若い大法弟子、旧勢力の罠に注意喚起
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文/河北の大法弟子

 【明慧日本2022年12月26日】既に知られているように、歴史上、旧勢力は大法弟子に対して長らく、綿密な段取りを行ってきました。大法の弟子が法の要求に厳格に従わず、師父が按排した正法の道に従わなければ、何らかの形で旧勢力の道を歩んだことになります。旧勢力は私たちの執着心をはっきりと分かっており、既に私たちを待ち受けるための罠を仕掛け、執着心を長期間に渡って手放さなければ、旧勢力が段取りした道を歩んだことになります。

 私は今年43歳で、大法を学び始めて24年になります。多くの年配同修が精進し続けている状態と比べると、自分はよくできていません。執着心が多く、年配の同修のように勇猛精進ができない理由などを内に向けて探しています。大法をたくさん学び、常に内に向けて探し続けることで、その多くが旧勢力の按排であることだと、今の次元で悟ったのです。

 そこで、若い大法弟子たちがこれを戒めとすることを願い、この点に関する私の体験を話し、教訓と欠点をさらけ出したいと思います。

 一、怠惰と苦を嘗めたくない心を利用して、朝の煉功を阻害

 年配の同修は、毎朝3時20分に起床し、365日、元旦も欠かさず煉功している人が少なくありません。しかし、3時に起きて煉功することは私にはなかなかできず、昼間に煉功することもあれば、夜にすることもありました。何日もできないこともありました。これには様々な執着心が反映されていますが、主なものは怠惰、苦を嘗めることへの恐れ、及び快適さへの欲求です。

 旧勢力は、若者が寝るのが好きで、苦に耐えられないことを知っているので、眠い、怠い、疲れるなど、三界内の理でそれらの物質を強化し、眠たくさせ、いくら寝ても寝足りないようにし、目覚まし時計が鳴っても消させて、また寝させるようにするのです。時間が経つと、どんどん煉功がおろそかになってしまいます。もし、この「起きられない」「早起きしたくない」という考えを自分のものだと思い込んでしまったら、それは大間違いです。実は苦を嘗められないのは真の我ではなく、すべて旧勢力の企みなのです。

 師父は「修道する気持ちも誰にでもあります」[2]とおっしゃっています。これは、「真の我」が苦しみを恐れず、むしろ苦を楽としていることを意味していると思います。修煉の苦は、人間の苦ではありません。真の大法弟子は、修煉の甘さと幸せだけを感じ、苦を感じないはずです。そのため、早起きしたくないのは、実は私たちではなく、早起きさせたくない、円満成就させたくない旧勢力なのです。

 もし、我々が旧勢力の陰謀を見破ることができなければ、怠惰や安逸心を打破することはできません。長期間煉功をしなければ、性命双修を達成することができず、体が転化しなければ、どうやって円満成就できるのでしょうか? これでは、旧勢力が按排した道を歩んでしまったことになります。

 法理においてこれに気づいたとき、3時20分に目覚ましをセットし、翌日アラームが鳴ると一気に目が覚めました。眠けや興奮がなく、非常に穏やかでした。5式の功法を全て終えても、眠くなることやぼんやりすることがなく、1時間の站椿もしんどくありませんでした。それ以来、現在まで継続できています。

 二、色欲心を利用して人をダメにする

 私の色欲心は表面上、主に服を買うのが好きで、服が似合うように痩せたい、体型を維持したいといった形で現れています。それとは別に、思想業が特に重いです。頭の中では、訳も分からずしばしば男女が愛し合ったりしている姿を妄想してしまいます。毎日、発正念して排斥していますが、効果は微々たるものでした。

 ある日、これは旧勢力の罠だと気づき、徹底的にそれを無くそうと決めました。発正念の時、突然目の前に非常に大きく恐ろしい魔が、口を大きく開けて私に向かってくるのが見えて、怖くて目を固く閉じ、発正念を続けました。それがだんだん弱まり、ついには消えてしまいました。これが、長い間養われてきた色魔だったのです。今でもたまに色っぽいことを思い浮かべますが、すぐにそれを捕まえて、小さく滅することができるようになりました。

 色欲心は旧勢力が人を滅ぼす利剣で、社会のあらゆる面にポルノを浸透させ、それを使って人類を滅ぼし、大法弟子を滅ぼそうとするものです。この分野には非常に多くの教訓があるので、若い大法弟子は注意を払わなければなりません。実際、色欲はドラッグ中毒のようなもので、手を出さず、触れず、邪念が生じたらすぐに排斥して取り除くようにすれば、旧勢力に隙に乗じられることはあありません。

 三、党文化を利用して人を滅ぼす

 若い大法弟子たちは、皆、幼い頃から邪党に洗脳され、党文化はかなり深刻なものです。私は長年の修煉によって、党文化が既になくなったと思い込んでいたのですが、実は慣れすぎていて自分では気づかなかったのです。その例として、甥っ子(母と甥っ子が私の家に住んでいます)を教育するときでした。

 甥っ子は小学校六年生で、学校でミスを犯したり、あるいは先生に叱られたりしたとき、私が最初にとった行動は、優しさと根気強さで教えることではありませんでした。理由も聞かず、初めからすごい剣幕で怒鳴るのです。そのような上から目線、威圧的で、嵐のような怒鳴り方は、しきりに強くなり、ひいては足で蹴ることすらありました。まるで邪党の人を倒すようなやり方です。当時の私は、もし鏡があれば、きっと悪魔のように映っていたでしょう。

 後になって、ものすごく後悔して内に向けて探し、怨恨の心、人を見下す心、思いやりのなさ、短気などが見つかりましたが、甥がミスするたびにどうしても我慢できませんでした。最初は、教師という職業柄、職業病だと思っていたのですが、何かおかしいと後々気づきました。実は、長年にわたって党文化に根付いていた「闘争思想」と、怨恨の心や人を見下ろす心によるものでした。

 師は「なぜならば、本当の悪事は旧勢力が邪悪な生命を利用して、人間の業力と観念を操って行なったからです。」[1]とおっしゃいました。つまり、これらはすべて旧勢力が意図的に仕組んだもので、共産主義の邪霊を利用して、人々に党文化を植え付け、観念を形成させたのです。人々の観念が党文化で満たされると、「闘争」、「説教」、「批判」、「文句」「責任転嫁」などが、トラブルに対処する際の最初の反応になります。

 師は「このようなトラブルに遭遇した時、まず冷静な態度でいなければならず、相手と同じような対処の仕方をしてはなりません」[2]と説かれました。これこそが、人がトラブルに遭遇したときのあるべき姿です。もし、旧勢力による悪意の按排であることを見分けられず、不親切と不寛容の現れを自分のものとし、ただ親切と忍耐の修行を続けるなら、根本から取り除くことは困難です。

 最近になってようやく気づいたのですが、もう一つ非常に深く隠された党文化の現れがあります。私は心の修煉をしてから、体が軽ろやかになり、それに私自身はせっかちなので、他人から見ると風を切って歩き、話し方も行動もテキパキしており、そう言われると長所として捉えていたのです。ある同修から「もう少し落ち着いてほしい」と言われて初めて、この問題を考えるようになりました。

 また、グループの中に無口な年配の同修がいて、いつもゆっくりと穏やかに話し、病気の奥さんには優しく、小声で宥めています。集団学法している時、討論が熱くなった時には皆が声を荒げることもありましたが、彼は声を出さないか、話すときは落ち着いていて、声を荒げたり、興奮したり、焦ったりするのを見たことがありません。

 最初は、それが彼の性格なのだと思っていましたが、後になって、それは長年の修煉によってのみ現れる静かで、穏やかな状態であり、修煉者のあるべき姿なのだと気づきました。古人は「心を静め、息を整える」と言っていますが、仏陀ですらいつも水のように静まり、山のように安定している姿です。

 その時初めて、焦り、怒り、おしゃべり好き、大声、興奮、口論、延々と個人体験を語ることなどが、すべて党文化の現れであることに気がつきました。党文化は雄々しく勇ましく、天と地と闘い、「革命」を起こすことを重んじ、修煉者に求められるものとは正反対です。

 年配の同修の穏やかさ、慈悲、落ち着きは、私のようなせっかちな状態とは全く違うものです。私はどれほどかけ離れているでしょうか。同修から「大雑把、頼りがいがない」と思われてもおかしくないのです。

 党文化のもう一つ非常に邪悪な側面は、「男女の平等」です。何時しか、私は夫を見下したり、恨んだりするようになりました。夫は工事を請け負っているため、家にいることはほとんどなく、帰ってきてからは何もしません。普段、家の大きいことから細々としたことをすべて私1人でこなしており、彼は気を遣うどころか、時々、私に文句を言うのです。そのため、私は心で恨んでしまい、「夫は素養が低い」と思うようになりました。

 長年、夫は大法を受け入れず、私が大法の真相を話しても聞く耳すら持ってくれません。私は「こんなに寛容にしているのに、なぜ大法の良さを認めず、受け入れないのか、もう救いようのない人だ!」と思い込んでいました。

 私は、絶えず法を学び、内に向かって探し続けることで、私の気が強すぎたせいだと気づきました。私がお金を稼ぎ、子どもの世話をし、家のことはすべて自分がやっていたから、彼を無視して、彼がいてもいなくても同じだと思っていました。

 この2〜3年、経済が低迷し、夫の仕事も収入も減っているので、家にいるときは何も手伝ってくれないため、私は心のバランスを崩してしまいました。それに、彼は何もしないのに、なぜ私に文句を言うのかと不満に思い、彼のことを咎めたり、見下したりして、給料で人を判断していました。これも党文化の毒素で、「金が第一」、つまり金があれば、地位や成功が手に入ると考えていました。時間が経つにつれ、私は夫を軽蔑し、見下し、心理的なバランスを崩し、恨むようになったのです。

 長い間、私は夫の前で党文化による強気、冷ややかな態度を取っていました。全く優しさ、気遣いができておらず、ましてや彼の仕事の大変さへの気遣いはもってのほかです。

 夫は元々冗談好きな人で、私の態度によって、彼もだんだん冷たくなってしまいました。夫婦間はコミュニケーションがなく、家庭には温かさもなく、このような家庭環境では夫が大法のすばらしさに気づくわけがありません。私から話す大法のことに聞く耳を持つ分けもありません。もし私のせいで、夫が救われなかったら、私の罪はどれほど大きいものでしょうか。

 実は、夫は家族思いの人で、家に帰れないときは毎晩私と子どもに電話をしました。私の両親にも優しく、お正月や伝統記念日などはプレゼントも買ってあげました。最もすばらしいのは、甥っ子が私の家に10年くらい住んでいるのに、彼は全く不満を表したことがなく、甥っ子に対しても気にかけていました。

 今になってわかりましたが、原因は党文化の中の「男女の平等」によるものでした。党文化は女性は男の役割を担うこともできると唱えているので、時間が経てば、女性がどんどん独立して男性を頼りとせず、伝統文化にある優しさと気立ての良さを失ってしまいました。今は男気のある女性、じゃじゃ馬ばかりで、家庭の不調和、高い離婚率などの社会問題がもたらされています。自分は夫を傷つけていることに全く気づけず、彼が救い済度されることを妨げてしまったのです。

 師父は「伝統の道に戻れば、天に通じる」[3]とおっしゃいました。神伝文化の中に、優しさ、包容力、忍耐力、我慢強く、男性への尊重、サポートこそが女性のあるべき姿です。師父もこれについての法を何回も説かれています。

 今これらを認識できたのも、最近学法を重視しているからです。それと同時に、『党文化を解体する』、『党文化について語る』を繰り返し読み、自身の党文化の毒素を徹底的に解体、一掃して、大法の中で自分を正し、清らかにすべきだと考えています。

 旧勢力が按排した若い大法弟子への誘惑と壊滅は他にも多くあります。例えば、携帯電話への依存、子ども重視、金銭重視、常人の中の名利など、細かいことはこれくらいにします。皆さんが私の教訓を参考に、同じような過ちをしないように共に精進することを願っております。法に則っていないところは、慈悲なるご指摘をください!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『北米での巡回説法』
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の詩:『洪吟五』「再び造る」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/3/450000.html)
 
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