すべての問題の原因は学法に集中しないこと
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 文/大陸の大法弟子  

 【明慧日本2021年1月5日】自分と周りの多くの同修の経験を見てみると、問題が発生することが多々あります。いわゆる様々な「病」に苦しめられている人もいれば、命を落としてしまった人もいるし、執着に包まれて突破できない人もいるし、長い間困難な状況にありながら何が問題なのかわからず、困難や魔難の中で消極的に耐えている人もいます。

 滅多に学法しない、ひいては学法しない者もいるし、学法している者もいるが、真剣に法を学ぶことができず、心に法が入らない者もいます。心を静められなければ法に溶け込めず、法から悟りが得られず、法理がわからなければ、法の奥深さや喜び、力を体得することができず、やる気も出ないので、次第に形式的に法を学び、何も得ることができなくなってしまいます。

 師父は繰り返し、3つのことをするためには、まず法を学ぶこと、これが基礎であるとおっしゃっていました。修煉とは、まずは天へ向かう「はしご」となる法を絶えず学ぶことで、はしごから離脱すると元も子もなくなります。修煉で遭遇したすべての魔難と妨害は、そのすべての目的は一つで、大法との連携を断ち切ろうとするのです。最初から最後まで彼らの目的はあなたを大法から離れさせることであり、「はしご」から離れさせることが一番手っ取り早くその目的を達成できる唯一の方法です。魔難中に大法を去った元弟子たちは皆、これらの邪悪な妨害によって大法を学ぶことができず、大法に触れられません。彼らは周りの弟子たちの助けと啓示を必要とします。

 修行の道を歩む過程は皆同じではなくそれぞれ異なり、出会う魔難は様々ですが、本質からは変わらず、邪悪の目的は修煉者の根を断ち切ることです。魔難において問題点が見つからないとき、まず見直すべきなのは、自分が学法しているとき集中しているどうか、怠けていないかどうか、怠けているのは、学法に集中していないことに起因しているのです。

 長い間、私は常人の執着にとらわれ、学法を怠るようになり、やがて長い間学法しなくなり、執着がどんどん激しくなり、時には常人より劣っていました。同修に助けられて、常人の執着を抑えて精進しようとした時、私(実際には執着する観念と業)はまだ怒り心頭で、聞く耳を持たない理由をいろいろ見つけましたが、最終的には主意識を通して欲望を抑えて、法の勉強を始め、少しずつ法の中で認識を高められるようになりました。

 精進しているすべての大法弟子の最も重要な特徴は、法を学ぶことを妨げるあらゆる妨害を強い意志で克服していることであり、法に溶け込めば溶け込むほどに学びが深まり、楽しみが増え、体得も増えます。法の暗記にしても、他の方法で学法するにしても、心から法から離れられなくなり、ますます多くの物が見えてきます。法の中にはすべてが含まれており、できないことがないと悟りました。毎日、師父が要求している「3つのこと」を積極的に行い、どんどん自信とやる気が出てきました。法を暗記することは学法するいいやり方で、暗記しているときは集中しなければならず、強制的に妨害を取り除くことができます。続ければ学法する楽しさを経験することができます。学法を苦とするのは業力と悪い観念と邪悪な妨害だけです。本当の自分は学法を最大の幸福とみなしているのです。振り返ってみると、法の要求に従っているときは、すべて法を集中的に勉強して、法を暗記していた時でした。

 様々な人間の妨害の中で「法を学べない、学びたくない」という状況に遭った時は、師父の『轉法輪』以外の説法、『精進要旨』などを読むと、すぐに自分の状態を取り戻せました。『轉法輪』にはすべてが含まれており、師父は様々な方面や異なる状況において『轉法輪』を解くために国内外で多くの説法と経文を説かれました。これらは私たちの修煉の導きとなり、自分の次元に限られて『轉法輪』からすぐに悟れないとき、各地の説法を読む必要があります。同時に、明慧のホームページに常時掲載されている修煉者の交流や大きな問題に対する意見などにも注目する必要があり、師父の要求に従わなければならず、基点は決して間違ってはならず、師父が求めているものを行うことが私たちの存在意義の全てだと思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2020/12/2/415900.html)
 
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