文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年1月10日】私は2011年の初めに法輪大法の修煉を始めた53歳の女性です。10年近い修煉の中で、最初の半信半疑の状態から、病気が治り、そして家庭の魔難を通じて心性を修めることが分かり、それから法を正す真の修煉に入り、師父のご加持と励ましなしではできませんでした。
修煉する前の苦しみ
以前、私は身体が弱く、病気がちのため、いつもストレスが溜まり、ほんのちょっとしたことでかんしゃくを起こしたりし、母でさえ「この子には譲るしかない」と言っていました。
結婚後、家庭の生活もぎりぎりで、いつも借金の返済に追われました。夫は賭博にはまり、しょっちゅう嘘をついたり、家に帰ってこなかったりしました。家のことを誰にも言えず、怒りや不安で重度の不眠症に罹り、睡眠薬に頼るしかなく、健康状態は更に悪化しました。私は夫を教育しなかった舅と姑を怨むほか、自分の運命にも失望し、「どうしてこうなったのか? 誰が私を救ってくれるのか?」と心の中で叫びました。
2011年の初め頃、私は洋服店で働いていました。ある日、友人がお姉さんと一緒に店に来ました。お姉さんとは初対面でしたが、やさしそうな人で、とても良い印象でした。お姉さんは私を見て、「とても痩せていますね。身体は大丈夫ですか?」と心配そうに聞き、離れる時に「今度また会いに来ます」と言いました。
しばらくして、お姉さんが本当に来てくれました。お姉さんの家と私の家は歩いて20分ほどしか離れていませんでした。ちょうど店を閉める時間でしたので、お姉さんから「今日はバスに乗らないで、2人で話しながら歩いて帰りましょう」と提案されました。歩くと1時間以上もかかりますが、お姉さんの様子を見てから、「そうしましょう」と言いました。
お姉さんは歩きながら、家庭の事情を私に聞かせました。お姉さんは夫と共に大学の教師ですが、以前、2人には重い病気があったそうです。その後、法輪功を修煉して完全に快復し、それから16年が経ちましたが、2人とも薬を飲んだことがないそうです。その話を聞いて、私はびっくりしました。修煉について何も分かりませんでしたが、法輪功が中国共産党(以下、中共)に弾圧されていて、たくさんの学習者が労働教養をさせられたり、刑罰を受けたりすることは知っていました。「法輪功はどんな団体なのか? 法輪功の学習者はどうして巨大な圧力にもかかわらず、自分の信仰を放棄しないのか?」私は全く分かりませんでした。
私はお姉さんに「中共がなくなると、中国はどうなりますか?」、「法輪功学習者はどうして焼身自殺をしたのですか?」、「神佛は本当に存在していますか?」など、たくさんの質問をしました。「唐宋元明清、中国の歴史では一つの王朝が終わると、次の王朝がやってきます。誰もが歴史を止めることは出来ません。現在、腐敗が横行し、悪事を尽くした中共の滅亡はまさに天意です! 中共は法輪功を迫害するために、いわゆる『天安門焼身自殺』事件を作り出し、嘘偽りの宣伝を通じて真実を紛らわそうとしただけです。しかし、大法の師父は本の中で、殺生と自殺は犯罪であり、しかも罪が重いとすでに明示されています。佛法の修煉者は決して自殺をしません」と説明してくれました。
最後に、「以前、私も夫も重病を患っていたことを、同級生たちとスタッフたちは皆知っていました。しかし、法輪大法を修煉して間もなく、治療もせず、薬も飲まずに2人とも健康になったことは、現代医学で説明できないでしょう? 神佛の有無については、政府の意志で決めるものではありません。大法の書籍『轉法輪』を読んで、自分で考えてみてください」と言いました。
知らず知らずのうちに1時間以上も歩きましたが、まったく疲れを感じませんでした。お姉さんの話を聞いていた私はとても楽しかったです。別れ際、お姉さんは話を理解した私に、「中共の組織から脱退してください」と言いました。私はお姉さんの話に同感し、すぐに同意しました。
修煉後、病気がなくなり、全身が軽くなった
数日後、友人のお姉さんは1冊の本『轉法輪』を私に渡しました。「大学の教師の彼女も読む本だから、絶対に良いはず。私も読んでみよう」と思い、その日の夜から読み始めました。当時、私はまだ毎日睡眠薬を飲んでいたので、たくさん読むと眠れなくなると心配し、少しずつ読むようにしました。
10日余りが過ぎた頃、私は突然、最近睡眠薬を飲んでいなかったことに気が付きました。毎晩『轉法輪』を読んでいるうちに熟睡していたのです。とても嬉しかったです。
それからしばらくして、私を苦しめた偏頭痛、関節炎、腰痛、肩こりなどの症状がなくなり、全身が軽くなりました。
『轉法輪』は本当に神の本です。身体が健康になると、気持ちも明るくなります。私は毎日元気に働き、昼休みもお弁当を数分で食べ終え、またすぐ店の整理整頓などをしました。
私と仲の良い1人のスタッフは、私が「まるで別人のように変わった」と驚き、私にその原因を尋ねました。彼女は長年佛教を修めています。私は自分の体験を語った上で、『轉法輪』を彼女に貸しました。
しばらく経って、このスタッフは修めていた佛教を放棄し、法輪大法の修煉を始めました。
その頃は本当に喜ばしいことばかりでした。私たちは一緒に仕事をしていて、誰かが間違いをしたり、言うべきではない話を言ったりすると、目線が会うだけですぐに気づき、恥ずかしそうに笑ってやめました。師父は『轉法輪』の中で、いかに良い人、更なる良い人になるかをはっきり教えてくださり、「真・善・忍」は良い人と悪い人を測る唯一の基準であると説かれました。
私は自分の体験を他のスタッフや友人に語り、みんなが同感し、そして中共の組織から脱退する「三退」に同意しました。
当時、私は怖がることもなく、周りの人々に法輪大法の素晴らしさを伝えました。同窓会が開かれた時にも、私は正々堂々と自分の変化を話し、法輪大法こそ真の修煉法であり、大道であり、良い人から始め、心性を修めることで健康と幸せが訪れると伝えました。その上で、私は皆さんに優美な功法を披露すると、即座に私の動作を習う人もいました。
海外旅行で真相に出会い、心性の試練に直面する
2011年の秋頃、私たち友人の3家族がシンガポール、マレーシア、タイの旅行ツアーに参加しました。海外に行くと、どこでも法輪功学習者が迫害に反対する看板を掲げる姿が見られます。それらの大法の真相は中国国内で見ることが出来ないので、楽しいツアーが一変して緊張した雰囲気になってしまいました。旅行中、夫と友人たちは繰り返して私を説得していましたが、私は動揺しませんでした。すると、私に冷たい態度をとり、ひどい言葉で私を攻撃するようになりました。大法を修煉してから、私の性格は優しくなり、身体も健康になった事実を見たにもかかわらず、彼らは私に圧力をかけ続けました。
夫は私が家で大法の本を読むのを承知しています。私が元気になったことで、医療費も掛からず、家事も出来るようになり、家族にプラスになるので、夫は家の中で煉功と本を読むことを許しますが、迫害を恐れて大法の真相を伝えることを許しませんでした。
夫は自身のよくない「素行」を忘れたかのように、逆に私を叱るようになったことに、私は本気で怒りました。しかし、冷静になって考えると、中共の嘘偽りの宣伝に毒害され、善悪の区別が出来ない夫も実にかわいそうだと思いました。それから、私は夫への怨みがなくなり、チャンスを見て少しずつ夫に大法の真相を伝えました。夫に興味がありそうな真相資料をドアノブなど目立つ所に置き、できるだけ早く真相を知らせたかったのです。夫は最初抵抗していましたが、段々と受け入れるようになりました。
しかし、私が出かけて資料を配る時は夫に内緒にしました。2014年、私がビジネスのためによその地域に行った時、一緒に学法をしていた数人の同修が警察に連行されました。緊急の状況の中で、夫は1冊の『轉法輪』を残し、そのほかのすべての大法の書籍を家から持ち出して隠しました。家に帰った後、私は夫に書籍のことを聞くと、「安全なところに置いてある」と教えてくれました。私は本をよく守るように、心の中で夫の正念を加持しました。
それから2年後、ある日の夜、びっしょりと汗をかいた夫は私の大法の本を運んで家に帰り、私に返しました。私はずっと心配していましたが、やっと安心しました。中共の狂ったような弾圧の環境で、敢えて大法の書籍を守る夫はたいしたものだと思いました。師父は「慈悲は天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」[1] と語られました。夫が大法に感化され、自分の未来を選択したことに、私は本当にうれしく思いました。
法理を悟り、より多くの人を救う
修煉が深くなるにつれ、私は少しずつうまく大法の真相を伝えるようになりました。相手が理解出来るように、それぞれの好みに沿って、大法は人を救うためであり、中共こそ人類を滅ぼす悪魔であるので、その組織から脱退することは自分の未来のためであると伝えました。
もちろん固執する人もいましたが、そんな相手に対しても考える余裕を与え、嘘偽りの宣伝を見破り、自分のために素晴らしい未来を選択することを願いました。
私は資料を配る時にも正念を持ち、素早く動いていました。資料を車のドアノブに挟み、運転手がそれを読んで「三退」の意義を知るようにしました。買い物や販売する時も丁寧に作られた資料を渡し、人々に大法を知る機会与えました。
同修が迫害されると、私は全体と協力して地元の派出所や拘置場の付近で、近距離の発正念をし、拘束された同修を加持すると共に、邪悪の要素を解体しました。また、地元の弁護士に大法の真相を伝え、彼らの良識を喚起し、自分たちの位置を正しく選択するようにしました。ある時、私は裁判所の中で、同修のために弁護してくれる弁護士を見つけ、しかも費用も高くなかったため、同修の経済の負担を軽減しました。そのほか、拘置場の中の迫害に関する情報を随時に明慧ネットに送り、邪悪の気炎を震え上がらせました。
同修と協力して人を救う
2014年、ある同修は迫害を逃れるために南方に行くことにしました。別れる際、私に「機会があれば、あなたも来てね」と言いました。当時、私は「家族もいるので、その可能性はない」と思いました。
数カ月後、同修から連絡が来ました。同修が今働いている所は、10の支店を持つ塾のチェーンで、教師だけでも数百人がいるそうです。その地域の大通りやショッピングモール、公園といくつかの住宅街に、まだ大法の真相資料が配られていないので、同修は私にきて、一緒に真相を伝えてほしいと言いました。
私は心の中で「師父の按排なら、私は行きます」と思いました。人を救うのは大法弟子の使命です。家族に相談すると、案外にも反対されず、「南方に行って、自分に合う仕事が見つかればチャレンジしてみて、ダメだったら、旅行だと思えばいい」と言ってくれました。
同修と合流してから、すぐに仕事を紹介してもらいました。教師の経験がなかったため、私に校務の仕事を担当させました。具体的には、電話の受付や、生徒の食事の注文、保護者の接待、教師と保護者の架け橋の役割、それに、教師の毎日の必要な物資の収集と配布、教師の1日2食の手配などです。
しかし翌日から、私ともう1人のスタッフは別の分校に配属されました。新入生を募集しているため、応募に来る生徒と保護者を出迎え、塾まで案内する仕事でした。
「どうして私をよその所に派遣するか? しかし、もしこれが師父の按排なら、私はどうするべきか?」と考えていました。最初に生徒と保護者らを指定された場所に送ると、そこは中共の赤い旗だらけでした。「なるほど、師父は私に邪悪を取り除くように按排されたのですね」と気づいたと同時に、派遣された当初、自分のメンツを守る人心も見つかりました。私は発正念をしながら、素早く数枚の旗を取り除き、帰り道のゴミ箱に捨てました。
私は数十回の案内の過程で、少しずつ教員室や廊下、そして校長室にまであった中共の旗をほとんど撤去しました。師父は私の正念を加持してくださり、私には怖がる感じもなく、歩いて往復したため足に水ぶくれが出来ましたが、心の中では嬉しく思いました。
その後、不思議にも私は次々と各分校へ派遣されました。私は同じ方法で、各分校にあった中共の旗を取り除きました。最終的には私と同修が協力し合って、全校の範囲内の旗をほとんど撤去しました。
私の仕事はかなりきついのですが、時間と空間的には自由がありました。それを利用して、私は各教室の黒板の上に飾っていた方形の中共の旗を全部取り除きました。
毎日しっかり学法するにつれ、環境もますますよくなり、少しずつ教師や保護者と良好な人間関係を築きました。朝早くから始まる塾は、朝食を抜いて来る生徒と教師がたくさんいることを知り、私は買ってきた味付けのゆで卵やお粥、パンなどを早めに学校に持って来て、2元ぐらいの低価格で提供しました。私は生徒と教師たちが毎日お腹いっぱい朝食をとるのを見て、とても嬉しく思いました。長くなると、私のことを「お母さん」と呼ぶ若い教師もいました。
私は良い人だと周りの人たちに信頼され、それによって、大法の真相がより良く伝えられるようになりました。たくさんの保護者と教師は真相を知って「三退」をしました。私はその学校を辞める時、主要幹部とまだ真相を伝えていなかった同僚に『共産党についての九つの評論』や『明白』、『希望』 などの資料を渡しました。その後地元に戻ってから、残りのスタッフに真相資料を送りました。
すべてが機縁であり、逃したら永遠の悔いになる
自分の修煉の道を振り返ると、残念なところはたくさんあります。安逸心により、時々「三つのこと」に気が緩みましたが、発正念して取り除くこともせず、衆生の済度が遅れてしまいました。もっとよく行い、もっと精進するはずですが、いろいろな人心に阻まれたのです。法理上で分かっていても、自分を突破することはなかなか容易ではありません。
現在、私は別の都市に来ています。法を正すこの最後の段階で、私は一日も早く真相を伝える環境を開き、安逸心と自分のための心を取り除き、包容力を大きくして本当の慈悲の心が生まれるようにしっかりと修めたいです。私は法を正す時期の真の大法弟子になり、先天的な本当の自分のほかに、何も要りません。
師父が法を正すことを手伝うことは、どんなに光栄でしょうか。私はこの修煉の道を最後までしっかり歩んで行きます。
師父の慈悲なる済度とご加持に感謝申し上げます。
注:
[1] 李洪志師父の詩『洪吟二』「法は乾坤を正す」