袁江さんの母親が語る息子の苦難(三)
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 【明慧日本2021年1月13日】(前文に続く)

 2)両親が受けた迫害

 1999年7月に迫害が始まった後、袁江さんの両親は法輪功の無実を訴えるために北京に行ったが、2000年11月に蘭州安寧公安局まで連行され、9日間拘束された。

 袁江さんが放浪生活をしていたころ、家には父親だけがいた。勤務先の大学は父親に北京に行かせないように、監視者を派遣して監視したり、家に泊まり込んだりした。

 袁江さんの母親は、法輪功師父の潔白を取り戻すため上京したが、2000年12月末に北京で連行され、蘭州安寧支局と蘭州第一留置場で計155日間拘禁された。2001年6月1日に帰宅した時、息子の袁江さんが数カ月前からすでに家を離れて放浪生活をしていることを知った。

 10月20日頃、母親の任さんは、袁江さんが鴻雁山荘に送られたことを知り、蘭州電信局の事務所に行き、袁江さんの衣類と食べ物を届けた。電信局の事務所長は「袁江は拘禁された後も何も言わず、もう食べ物を送るな」と言ったことから、母親は心の中で、袁江さんが迫害に抗議するため断食していることが分かった。

 袁江さんが鴻雁山荘から奇跡的に脱出した後、両親は監視されていた。家の下にはパトカーが停まっていて、食料を買いに出かけた際には、警官から取り調べを受けたという。

 母親は「それ以来、私たちは外出する時よく尾行され、見張られていました。 長女は海外で20年以上在住し、何度も親戚訪問で招聘しましたが、法輪功を学んでいると手続きを制限されたので、親戚を訪問する権利を剥奪されました」と話した。

 「2001年3月以降、師範大学の退職者の毎月の手当は、2001年の150元から230元、そして600元まで上がり、今では900元まで増額されましたが、私たちは一銭も受け取ったことがなく、経済的にもひどい迫害を受けました」

 袁江さんが亡くなった後の翌日、見知らぬ人物が家に来て、袁江さんの父親の教え子だと名乗り、自分の妻も学習者で、明慧ネットに投稿するので袁江さんのことを教えてほしいと、言ったという。

 母親の任さんは「明慧ネットが開けないので、わざわざ載せなくていいです」と言った。

 その時、袁江さんの父親が奥の部屋から出てきたが、袁教授の教え子と名乗った人は、どうやら袁教授のことを知らない様子だった。そのため、家族はこの人物は情報を得ようとしたスパイだと判断した。

 午後に、袁江さんの勤務先の李副部長が来た。ドアを開けた途端、何の為か分からないが、同じ制服姿の4、5人が後ろから一斉に入ってきた。

 午後6時頃、蘭州市第一公安局の路志斌らが家にやってきて、ビデオカメラを持って、いろいろと聞いたり、記録したりして、身分不明の人たちの前で袁江さんの父親と母親を識別していた。

 袁江さんの遺体を火葬した日、警官は4、5人の身元不明者を連れて、火葬場の道端に立ち、袁江さんの母親を特定して確認した。

 三、袁江さんを救助した人たちは拘禁され、そのうちの于進芳さんは死亡

 袁江さんが迫害されて亡くなった後、蘭州市公安局の警官らは、蘭州市で大規模な捜索を行い、袁江さんを救助した数人の学習者を連行した。

 2001年11月11日、蘭州市城関区公安局の路志斌は、十数人の警官を率いて于進芳さんの家に侵入し、于さんと妻の夏付英さん、および学習者ではない娘、婿、家政婦を連行した。于さんは同日、甘粛省楡中県留置場に拘禁され、妻の夏さんは2日後に解放され、娘と婿は1000元をゆすり取られ、3日間拘束された。

'于进芳、夏付英夫妇'
于進芳さんと妻の夏付英さん

 于さんは、甘粛省楡中県留置場で十数日間連続して拷問を受け、病院に運ばれた。その後、警官は家族に「胃出血」で入院したと告げた。

 2002年4月、于さんが退院した際、公安局の関係者が家族に4000元の支払いを強要した。一家にはお金がなかったので、娘たちが2000元を工面して、勤務先が2000元を支払った(後に夏付英さんの給料から差し引かれた)。

 その後、于さんは蘭州市大沙坪留置場に拘禁された。

 2002年12月初旬、袁江さんを救助した于進芳さん、夏付英さん、王志君さんは、蘭州市城関区裁判所による非公開裁判にかけられた。

 2003年11月頃、于さんは懲役5年、夏さんは懲役3年、王さんは懲役5年の実刑判決を言い渡された。

 5年間迫害を受けた于さんは、肉体的にも精神的にも大きなダメージを受けた。2006年11月13日、家族は満期になった于さんを迎えに行った時、于さんは非常に痩せており、身体が衰弱して、食べ物は喉を通らず、頻繁に嘔吐していることが分かった。于さん本人によると、釈放される2カ月前からこのような状態が続いていたという。于さんより3日早く出所した妻の夏さんは、「何があったのですか?」と聞いた時、彼はただ微笑んで何も言わなかった。

 その後、于さんはますます食事ができなくなり、嘔吐することが多くなり、帰宅してからわずか12日後の11月25日午後6時、家族に多くの疑問を残してこの世を去った。

 おわりに

 袁江さんと于進芳さんの経歴は、迫害に直面しても屈しない幾千万人の学習者の縮図である。

 社会の良心と人類の未来を呼び起こすために、幾千万人の学習者と袁江さんは歴史の特殊な時期に尊い命を捧げた。歴史は、いずれ袁江さんと今日の佛法真理を守るために冤罪を被せられたすべての学習者に公正な評価を与えるであろう。未来の人々は、苦しみに耐え、正義と良心を呼びかけた法輪大法の学習者たちを深く尊敬するだろう。

 (完)

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2020/12/18/415789.html)
 
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