文/梁珍
【明慧日本2021年3月22日】2021年3月14日は、香港で起きた「楊美雲事件」から19年に当たる。世間を騒がせた事件は3年を経て、不当な有罪判決から法輪功学習者(以下、学習者)の勝訴に至るまでの間に、どのような風雨の道を経験したのだろうか。数人の当事者が当時の苦労を語った。
事件の主な被告人とされた楊美雲さん
楊美雲さんは教師で、香港の伝統的な大家族の中で育てられた。楊さんの叔母は、香港で女性として初めて直接選挙で市議会議員に選ばれた楊励賢氏で、正直で高潔な人柄であった。楊さんは幼い頃から家族の影響を受けて、良い人になりたいと思ったという。
しかし、病気がちで小柄な楊さんは、いつも慎重に周りに対処してしまい、人生について納得できない思いもあった。1998年、オーストラリアの叔母から法輪功を紹介してもらった。「法輪功を修煉したら、本当に身体が良くなりました。以前の私は力があまりなく、法輪功を修煉してからとても重いものを運べるようになりました」と楊さんは話したことがある。
小柄な楊さんは、当時、パトカーに乗せられた初めての学習者だった。
人権派弁護士「『阻街事件』は香港基本法の研究で重要な人権案件である」
アメリカ人の人権派弁護士・関尚義氏(John Clancey) |
アメリカ人の人権派弁護士の関尚義氏と、新しく弁護士会の会長に就任した夏博義氏は、当時「阻街事件」の代理人弁護士であった。
今年1月6日、79歳の関氏は民主予備選挙へ参加して組織したとして、「国家政権転覆罪」の容疑で逮捕され、世界に衝撃を与えた。また、香港で国家安全法が実施されて以来、初めて逮捕された外国人でもある。弁護士として関氏が担当した最も有名な事件は、2002年のいわゆる「阻街事件」である。
「楊美雲事件は、香港の法制史において非常に重要な事件であり、基本法を学ぶ学生はこの事件を研究するはずです」と 保釈された関氏は、当時の判決を振り返った。
2002年3月14日、4人のスイス人と香港の学習者12人が、中国共産党(以下、中共)による本土の学習者への迫害と残虐な殺害に抗議するため、西区中央政府駐香港連絡弁公室の前でハンガーストライキを行ったとして、警官の暴力により連行された。そして同年8月、当局に「阻街」、警察の公務執行妨害をしたなど7項目の罪名で有罪判決を宣告された。3年の控訴活動を経て、2005年5月5日、当時の香港終審裁判所の李国能裁判長をはじめとする5人の裁判官は、警察の逮捕は違法であり、告訴をすべて覆すという判決を全員一致で下した。
香港連絡弁公室の前で迫害に抗議する4人のスイス人と香港の学習者 |
香港に50年以上在住している関氏は、「裁判所は基礎案例として、この事件を参考にすることが多いと考えられます」と広東語で市民はデモをする権利があると語った。
学習者が抗議した当時、中央政府駐香港連絡弁公室の前には広い歩道があり、学習者たちは少ないスペースしか使っていなかったが、「阻街」と誣告された。「当時、4人のスイス人が連絡弁公室の前に来て、一定期間のハンストを行おうとしました。その後、12人の香港学習者が彼らを支援し、合計16人になりましたが、座っていた場所は比較的小さい範囲でした。ですから裁判所も、その歩道を塞いでいるとは思わなかったのです」と関氏は振り返った。
「後にその歩道は狭くなりましたが、当時はもっと広く、駐車場として使用していました。学習者による抗議活動の後、香港連絡弁公室はすぐに門の前に巨大なプランターを作り、公共スペースを狭くしたため、抗議活動を阻止しようとしているのではないかと疑われました。そのため、プランターは『政治的なプランター』とも呼ばれていました」
弁護士は学習者の粘り強さに感心する
この訴訟は、公正な裁判を受けるまでに3年かかった。複数の法廷で訴え、最終的にすべての法廷を通過した学習者の粘り強さに関氏は感心した。「彼らは皆、法律は自分たちを守るべきだと思っているので、当事者たちは訴えようとしています。裁判所では、そのような権利があるかどうかがはっきりしたわけで、何人かの弁護士に依頼し、最終的には抗議をする権利があるという判決を明確にしたのです」
法輪功の案件を引き受けて、プレッシャーを感じたかと尋ねられた時、信仰を持つ関氏は、ゆっくりと答えた。「とてつもなく大きな愛があれば、恐怖心がないはずです。私の動機も、人のためです。お金のためでもなく、名声のためでもなく、ただ人を愛するためで、恐れることはありません」
弁護士会の新会長の夏博義氏 |
弁護士会の新会長である夏博義氏は、学習者の訴訟を受けてから、『デモをする権利』という本を書いた。同氏は、「阻街事件」の弁護を担当した際に、香港ではデモの権利に関する本がないことを知り、自分で本を書くことにしたとメディアに話した。「平和的な抗議活動は良いことだと思います。声を上げられない人たちに自分の声を発信させるべきです」と夏氏は述べた。
「阻街案件」で学習者が勝訴した後、今は亡き香港市民愛国民主運動支援連合会の会長・司徒華氏は「アップルデイリー」にコラムを書き、「法輪功はすべての香港市民のデモの権利を守るために善戦し、大きな勝利を収めました」。「彼らは確かに『真・善・忍』の通りに実行してきました」と称賛した。
「阻街案件」の勝訴は、香港市民にとって大きな励み
周勝さん |
「阻街事件」の被告人の1人で、小型ビデオカメラで一部始終を撮影していた周勝さんによると、スイスの学習者4人は当初、3日間のハンストを予定していたが、3日目、連絡事務所は怖くなり、警察に電話して参加者を連行させた。警官はまず数回警告をし、それから連行が始まったという。
周さんは小型ビデオカメラを手にして、現場にいた女性警官が年配者の女性学習者の耳の後ろのツボをつねって気絶させる様子や、男性学習者も同じようにつねられて立ち上がれなくなる様子を撮影した。2人の学習者は次々とパトカーに運ばれていった。緊急事態のため、周さんは急いでカメラを立ち入り禁止地の外にいる学習者に渡し、自分も2人の警官にパトカーに連れ込まれた。その後、警察側は、阻街、公務妨害、警官を襲ったなどの罪名で学習者を誣告した。
周さんは法廷での様子を話した。「警官自身が手を噛んで歯形を残し、学習者が噛んだと言いました。学習者の顎が警官に触れただけだったが、警官は法廷で学習者に襲われたと、堂々と偽の証言をしました」。その後、嘘をついた警官は処罰されるどころか、昇格したという。
当時、誣告された学習者たちは交流を通して、各国の領事館や香港政府の司法行政部門、裁判所、議員、弁護士会、警察などの関連部門に真相を伝えることを決めた。資料を郵送し、一軒一軒を訪ねて迫害の実態を伝えた。
また、周さんを含む3人の学習者は、中共と香港政府による法輪功への迫害を訴えるために国連に行き、事件の真相を世界に伝えるために渡米した。
青関会が2021年1月に解散後、香港の各真相を伝える拠点は元の状態に戻った |
周さんは、3年間かけて学習者が「阻街事件」の裁判で勝訴したことは、香港市民にとって大きな励みになると話した。中共が弾圧をエスカレートさせ、香港が恐怖の苦境に直面している現実について、周さんは、香港の人々は正しいことを粘り強く行うべきで、中共に脅かされることなく、自由と法治のために努力し続けるべきだと言った。