文/中国の大法弟子
【明慧日本2021年4月11日】私と妻は2人とも20数年修煉している大法弟子です。ここまで歩んできて、幾多の魔難をたびたび経て、平坦な道ではありませんでした。私は十数年に亘り、邪悪の迫害を受け、何度も不当に実刑判決を言い渡され、労働教養を強いられました。妻は終始、正念をもって私を支えてくれて、私の傍から離れず、親戚や身内の者に称賛されました。私達夫婦の修煉には精進が足りないものの、大法の中で精錬され鍛えられているため、絶えず心性を高めていました。日常生活において、夫婦の間で大きなトラブルはあまりなく、調和がとれていました。しかし小さな摩擦、口喧嘩は途切れませんでした。私が妻の修煉に精進が足りないことを指摘すると、妻は私の生活態度について指摘してきます。私のここもいけない、あそこもいけないと言い、私に手を上げる事すらあり、自分も悩みました。自分の正しくない状態を改善しようと試みましたが、著しい効果を得られず、良くなったり、悪くなったりします。
ここ数日、これらの問題について私は真剣に内に向けて探してみると、気付きにくい問題点を発見しました。まず、私達の話し方に大きな問題が潜んでいます、習慣的に相手を責め立てる話し方が問題になっています。つまり平常心を保って話すことができません。口を開けば、個人の感情が入り、しかも、その感情は消極的で、嫌気がさしていて、他人をとがめる、疑う、非難する気持ちを含んでいるのです。日常会話の場合でも、相手に問い返す話し方を用いて、相手を詰問する話し方に慣れています。
もう一つですが、夫婦の間の会話はあまり気を使わないため、話し方に拘らず、口を修めることを忘れるのです。日常生活の中で、自分を厳しく律することができず、修煉の厳粛さに対する認識が足りずに、少し気を緩めれば常人の状態に陥り、また、口を修めることに気をつけることができなければ、善意が足りず、包容力もなければ、常人の状態に陥るのです。
なぜこうなったのでしょうか? 深く掘り下げてみると、この問題の一部の根源を見つけることが出来ました。私は前世紀の60年代の生まれです。中国の文化大革命の時は小学生でした。大学時代の専攻は中国語で、卒業後は国語の先生になったのです。中国大陸全体に漂う邪悪な中国共産党文化の雰囲気の影響を受けたことは言うまでもなく、ただ学校で邪党の計画的な洗脳を受け、成長過程の始終に蔓延った党文化の洗脳を受けたことで、共産党文化の中毒はもはや避けられないものでした。
例えば、各学年の教科書に邪党が祭り上げた文学者の文章が大量に載せられていて、特にエッセーが多かったのです。私もその祭り上げられた文学者の1人の文章を好んで読み、彼の本をたくさん購読していたのでした。いま振り返れば、自分のその嗜好は洗脳の影響を受けたもので、中毒の現われです。辛辣な口調、人を冷やかし、すごい剣幕で人に迫って話す癖がつき、人をからかって楽しむ言動は善意と寛容にかけています。正統な中華民族の慈悲深く丁重かつ温厚な品性からかけ離れ、月日が経つにつれて、自然と習慣的な言語になったのです。
大法を修めてから、特に『共産党についての九つの論評』を拝読して以来、家にある党文化の内容を帯びる書物を整理して、自分の考えと身体から多くの党文化と共産邪霊の毒素を取り除きました。性格と話し方も大分改善されて、傲慢な態度は目立たなくなりました。自分の認識は大まかに標準に達していると思いました。
しかし、振り返ってみて自分は本当に基準に達したのか? いいえ、達していなかったのです。主意識がしっかりした状態の時には、これらの良くないものを抑制できますが、一旦油断すれば、妨害されます。つまり、自分の思想の中に党文化の残余がまだあり、共産邪霊の毒素がまだあるという事です。妻や同修とのトラブルの衝突、私達の習慣的な責めあいは党文化がもたらしたのです。党文化の毒素を見極めて取り除くには、継続的に行わなければならないものです。
法を多く学び、自分を厳しく律し、真剣に確実に修めて、宇宙の特性「真・善・忍」に絶え間なく同化し、大法の法理で自分の考えを満たし、自分の大脳を清めてこそ、個人の感情や、互いの責めあいがようやく消えるのです。