獅駱嶺の啓示
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2025年2月28日】獅駱嶺(しらくれい)は、『西遊記』で三蔵法師とその弟子たちが経典を取得する過程での重要な関門です。この関門の特別な点は、山に住む三匹の妖怪たちが非常に強力な武術を持っていることです。彼らはある国のすべての民を食べ尽くした後、その国を占領し、数年間も支配していたのです。つまり、この「国」には普通の民は一人もおらず、全て妖怪で占められているということです。これは、他の場所のように国の中に数匹の妖怪しかいないという状況に比べると、何倍も危険です。さらに重要なのは、この獅駱嶺が霊山に非常に近いことです。一般的な考え方では、長い道のりを経て多くの関門を通過し、もうすぐ霊山に到達するという時、妖魔鬼怪はほとんどいなくなっているはずだと思われがちですが、この関門は三蔵法師と弟子たちにとって非常に大きな心性の試練となるのです。これは私たちが何年もの魔難を経て、最終的な時が近づく中で、海外であれほど大きな嵐に遭遇することに似ていませんか?

 法難が起こる原因は多くありますが、主な理由はやはり私たち自身の心性の問題に起因しています。この点についてはすでに多くの同修の文章で議論しています。私がここで言いたいのは、大法がすべてを創造し、「大法は宇宙の法であり、誰も破壊することはできません。大法がこの世で人を救っているのです!」(肝心な時に人の心を見極めている』)ということです。真実は大法が人々を救っているのであり、人間が人を救っているのではなく、どんな人が重要であるということではありません。修煉している人は、法にかなっているからこそ、法があなたを通じて人を救う作用を果たします。しかし、人を救う威徳は、大法があなたに与えているものです。もしそのことを自慢や傲慢に感じているなら、それは本当に大法を理解しておらず、大法に対する畏敬の念が欠けていることを示していませんか?

 前述のように、獅駱嶺は三蔵法師とその弟子たちの心性に関わる試練でした。例えば、孫悟空の傲慢な心、三蔵法師の恐れの心、猪八戒の動揺や怠け心などがその対象となりました。しかし最終的に、孫悟空は六耳猕猴との激しい対決を通じて、ついに自分の傲慢さや野蛮さを取り除き、三蔵法師はどれだけ混乱する時があっても、どんなに悲観的で絶望的な困難に直面しても、常に西天に経典を取りに行くという使命を最優先にしていました。彼らは常に如来佛の加護を受けていたと言えるのでしょうが、最も重要なのは、唐僧の確固たる信念です。彼は霊山に近づいてもなお、こんなに大きな試練に遭遇しても決して揺るがず、諦めることなく、最終的には九×九=八十一の試練を乗り越えました。

 『法難』の中で、師父は「実は、私たちが人を救っている今、まだ15%の業力が消されていません。これは衆生を救っているこの20数年間、蓄積されたものです。とても巨大な業力であり、私には分かっています。ですから、私が直面するであろう巨大な圧力と、耐えることは、一つまた一つとやってきます。人を救うことは難しいことであり、これは口で言うほど簡単なことではありません」と語られました。

 このような状況下で、私たちにとって最も重要なのは「師を信じ、法を信じること」です。これを本当に実践できて初めて、法が私たちを通じて作用し、師父も私たちを助けてくださるのです。そうでなければ、すべては空論に過ぎません。例えば三蔵法師がもし、猪八戒の言う通りに「もう一緒に旅を続けるのはやめて、荷物を分けて高老庄に帰り、畑を耕しましょう」と決めたならば、如来佛はもはや彼を助けることはできなかったでしょう。

 【修煉者同士の理性的な交流は、通常その時の個人的な修煉状態における理解であり、善意の交流を通じて共に向上することを目的とします。】

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/2/4/490356.html
 
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