文/中国の大法弟子
【明慧日本2025年3月18日】昨年の春、中国では、各省の政法委員会、「610弁公室」、公安局が次々と違法な公告を出し、大法弟子への迫害を煽りました。金銭などの手段で、真相を知らない人々に密告を奨励し、迫害に加担させようとしたのです。しかし、修煉の成熟した大法弟子たちは動じることなく、三つのことを続け、冷静に街へ出て真相を伝え、三退を勧めました。
一方で、多くの同修が恐れの心に縛られ、実際には自己保身の執着に囚われていました。真相を伝えに外へ出ることをやめたり、資料を配ることすら怖がるようになった人も少なくありません。私の周囲にもそういった同修が何人もおり、その状態が数カ月続いたため、真相を伝える力が明らかに弱まっていました。
さらに、『ニューヨーク・タイムズ』が連続して大法や神韻を攻撃する記事を掲載した際、一部の同修はようやく危機感を抱き、自分の不足を探し始めました。しかし、それでも心が緩み、三つのことを最優先にする意識が薄れていました。恐れの心が厚い壁のように本性を覆い、私心が優位に立ち、「誓約を果たせない現状」を正当化する言い訳ばかりが先行していました。
同修の皆さん、今この瞬間も、師父は弟子たちと衆生のために大きな苦難を背負ってくださっています。この法難に直面し、私たちは本当に奮い立っているでしょうか? もし、私たち全体の修煉がしっかりと成されていれば、邪悪が隙を突いて法難を引き起こすことはできなかったはずです。だからこそ、私たちは一人ひとりが修煉を向上させ、人を救う力をさらに強めていくことが何よりも求められています。師父は、「人を救う数、満たれば 邪悪あわせて誅す」(『洪吟三』「劫」)と説かれました。救われるべき縁のある人々は、まだ多く残っています。大法弟子の修煉が基準に達していないため、師父が再び大きな苦難を耐え忍ばれているのです。
年末が近づくと、一部の同修は「もう資料はいらない」「新年の準備をしなければならない」と言い出しました。まるで、常人の年越しの習慣が、大法弟子にとって最も重要な「三つのこと」よりも優先されるかのようでした。冷静に考えてみてください。このような状態は正しいでしょうか? 人を救うことが急務であるこの時期に、自ら手を緩めることが許されるでしょうか? 修煉に「休み」や「年末年始」はありません。
今、極めて厳粛な時を迎えています。長年にわたり、一部の同修は人を救う重要性を真剣に考えず、発正念すら疎かにし、言葉遣いも慎まず、気ままな態度を取ってきました。それなのに、自分の修煉に満足し、同修からの善意の指摘にも耳を貸そうとしません。しかし、すべての生命は最終的な選択を迫られています。大法弟子も例外ではありません。私たちは、本当にやるべきことを成し遂げたのでしょうか? この一年で、どれだけの資料を配ったでしょうか? どれだけの人を救うことができたでしょうか? 試練に直面したとき、本当に着実に修めることを貫けたでしょうか? 大法の基準に則って、自らの言動を律してきたでしょうか?
もちろん、素晴らしい修煉状態を保っている地域や同修もいます。彼らはすでに、年末年始に配る真相資料や、対面で真相を伝えるための音声ファイルを準備し終えています。一部の同修は、年末の一週間だけ資料作りを休むものの、前もって2週間分の資料を用意し、すでに必要な同修たちに届けていました。
お互いに注意を促し合い、決して自分の修煉を緩めることなく、法難に直面したときにただ傍観するのではなく、しっかりと自分のすべきことを果たしていきましょう。私たちは、肉体と精神をもって正邪の戦いに参加し、全体の力で最後の邪悪を打ち砕かなければなりません。
どうか、私たち一人ひとりが自分自身を深く省みてください。法を正す時期の大法弟子として、本当にやるべき「三つのこと」をやり遂げたのでしょうか? 最終的な審判のとき、後悔のない状態で立つことができるのでしょうか?