生死の関を3回克服し、大法の超常を実証
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文/中国の大法弟子の口述 同修整理

 【明慧日本2021年5月7日】私は小さい時、『西遊記』の中の孫悟空が言ったその言葉「私に師父がいます!」を見て羨ましくて堪りませんでした。八仙人が海を渡る物語を読んで、「私がもしその時代に間に合ったらどれほどよいか、私にも師父がおられるのに」と常に思いました。

 1998年大法を修煉して、「今生で大法を得られ、私は本当にあまりにも幸運である」と思いました。この人生でついに師父を見つけました。私にも師父がいます!

 私は今年72歳で、遼寧省錦州市に住んでいます。自分の20数年の修煉過程を思い返すと、ありありと目に浮かびます。師父の慈悲なる保護がなければ、私は今日まで来られませんでした。師を信じ法を信じそして同修の無私なる尽力で、私は生死の大きい関を3回乗り切りました。

 一、好奇心が招いた邪霊

 2015年5月14日、私は工事現場で作業をしましたが、仕事場所の元の住所は墓地でした。好奇心で、私はある廃棄された水楼に歩いて行き、水楼の構造はどうか見てみました。水楼はある山の斜面に建てられており、帰った後、電動自転車に乗った私は眠くて堪らず、私は東を2回ちらっと見てから正面を見ると、1本の大きな黒い柱が道の真ん中にあるのを見ました。この大きい柱を避ける為に、急いで角を曲がると地面に転んでひっくり返りました。電動自転車のライトまで転がって光が消えました。当時私の意識もはっきりしておらず、どのように自転車に乗って家に帰ったかさえ、はっきり覚えていません。当時私は「師父、助けて下さい」と一念を発しました。家に着いて自転車に乗ったまま、降りることができませんでした。妻は驚いて言いました。「どうしてあなたはここまで酷く転がりましたか? 七穴からの血が止まりません」

 私の甥は私を車の中へ強行に引きずり込んで私を連れて病院に行きました。私は「私を連れていっても無駄です。病院に着いても私は車から降りません」と言いました。甥はこの話を聞くと車を途中まで走らせ、ぐるりと向きを変えて帰り私を家に送ってくれました。

 学法煉功を通して私は乗り越えて来ました。親族と友達はみな、「この事実は本当に百聞は一見に如かずですね」と言い、みな大法が本当に超常であると言いました。この事の後、私は道路の中にどうして大きな黒い柱が出て来たかを内に向けて探し、好奇心が招いた邪霊であると悟りました。

 二、利益の心が引き起こした脳血栓

 6日間過ぎた後、現場の責任者は仕事に来るように私に電話をしました。利益の心によって、責任者が他の人を探し、この仕事を失うのが怖くて私はすぐ仕事に行きました。40日後(2015年7月19日)、私がオンドルから地面に降りようとする時、頭が壁にぶつかり、妻は私を仕事に行かせませんでした。私は「それでは同修の家に行って学法します」と言いました。妻は私が自転車で行く事に反対したので、私は「それでは自転車を杖として使う」と言い、村外れまで歩きました。私が自転車に乗ろうとした時、自転車に跨っただけで、地面に転がってひっくり返りました。妻は私を心配して私を家に連れて帰り、家に着くと私は意識がなくなりました。

 私の意識が戻った時、妻は私に既に27日間意識不明で脳血栓の症状であったと話してくれました。目を閉じると、すぐ狼のような目が私を見つめているのが見えました。10数人の同修が毎日来て、私の為に発正念をしました。

 27日後、私は壁に寄りかかって煉功をしました。弟と他の同修達は毎日私に付き添って、学法する時は同修が一言読み、私は従って一言を読みました。私がぼんやりしていると、弟は毎回いつもほうきで私の踝の骨を打ちました。ある同修は私の弟に「彼を打たないでください。このように打ったらあなたは業を作るかも知れません」と言いました。しかし弟は私をできるだけ速く回復させる為に、私が眠くなり意識がはっきりしていない限り私の足を打ちました。親や友達が見舞いに来ても、私は誰もわかりませんでした。大小便を自分で処理できず、おむつを穿いていました。息子の嫁のおじさんは私達と村に住んでいます。見舞いに来て私に病院に行くように勧めました。私が「行かない」と言うと、彼は「あなたが病院に行かず病気がよくなるならば、私は村を3回這い回ります」と言いました。

 この期間中、私の舅が見舞いに来て、私に「よくなるのか?」と聞きました。私の末弟(同修)は舅に「よくなりますよ」と話しました。舅は「何日かかる?」と聞きました。私は「私がいつよくなるかにかかわらず、それは私がよくしておらず、よく修めていないからで、大法は永遠に素晴らしいのです」と話しました。私の心の中には「一歩進んで大法の為に死んでも、一歩退いて自分の為に生きない。私は自分の身を持って体験した事で、大法を実証する」という一念がありました。正にこの堅い一念で、同修達の全体の協力と師父の加持の下、1ヶ月で乗り越えました。

 村の人々は私に会う度「あの時あなたを見たら死人の様でした」と言います。私は「病院に行かず、注射を打たず、薬を飲みませんでした。今日があるって本当に大法は不思議ですね!」と言いました。私のリアルな体験は村の中で神話伝説になりました。

 三、耐え難い痛み、生死の関を乗り切る

 2015年の年末、ある日私はお腹が痛くて耐え難いものでした。その痛みは、孫悟空が鉄扇王女のお腹に潜り込んだようで、誰かが腸を引っ張るようでした。本当に1日が1年のように長くて辛いものでした。

 この期間、私の3番目の弟が見舞いに来て、私の妻に「こんなになったのに、まだ準備などをしないのか!」と言いました。その意味するところは、葬式の準備をするということです。

 当時私は次のように悟りました。「前の2回は乗り切ったけど、今回お前を痛ませてお前ができるかどうかを見よう」ということです。私は心で「できる、私はきっとできる! 今回私は必ずまた乗り切ることができる」と言いました。今回私は生死を放下し、いくら痛くても、私は病院に行こうとする考えがありませんでした。100%師を信じ法を信じました。20数日間で乗り越えました。

 3回生死の関を乗り切った事を通して、私は師父が偉大で法が偉大であると悟りました。私は師父のおっしゃった「彼が救われれば、彼が代表する背後の無量無数の衆生が救われることになります。これは小さいことではありません。彼一人が救われることによってたくさんの生命が救われることになりますが、この業力は誰が消すのでしょうか? この関はどのように乗り越えるのでしょうか? どのように行えば、旧勢力にあまり隙に乗じられないのでしょうか? どのように行えば、宇宙の異なる次元の旧い法理、旧い観念に従う衆生に納得させることができるのでしょうか? どのようにすれば、影響された生命の不満を解消し、あなたを阻まないのでしょうか? これは非常に難しいことです。師父は「弟子の正念が十分であれば、師父に回天の力がある」と話したことがあります。あなたの正念が十分で、誰かが何かをやろうとすれば、私たちが理に則っているので、師父は何でも解決することができます。自分が正しくなければ、師父はどのようにすればいいのでしょうか? あなたが正しく行なっていないのに、師父がそれらを取り除くなら、それではいけません。正しく行なっていなくても、魔難がやってくるとき、それを消滅してしまうなら、私たちは誰を救うのでしょうか? それではいけません。」[1]を深刻に悟りました。私は師父のおっしゃった「あなたが修煉したければ、私はあなたに対して責任を持たなければならず、」[2]を堅く信じています。

 師父の按排された難であれば私は耐え、旧勢力の按排は全般的に否定し、私は師父の按排された道だけを歩みます。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法十一』「二十年説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『スイス法会での説法』

 
(中国語: http://www.minghui.org/mh/articles/2021/3/12/421179.html)
 
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