観念を変えると、妨害が直ちに消える
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年5月7日】私達が修煉の中で遭った問題は、表面上とても大きく見える難もあります。しかし私達が観念を変え、人の理に従わず、仮想の思惟に邪魔されない時、本当に「柳暗花明又一村」(眼前に新たな世界が開ける)である事に気付きます。以下は近年の私の修煉の中での幾つかの小さい出来事で、書き出して同修と交流します。

   一、他人を見て自分を探し、積み重なっていた観念が消える

 ある同修は、変異した考えがとても酷く、ほとんどの場合行っている事と、話している言葉は、理で諭しても分からせることができないと感じました。私はこの同修に対して偏見がとても大きく、長年の付き合いで、私は彼女に対してたくさんの観念が出来てしまいました。私はこれらの観念を無くしたかったのですが、いつもその観念を取り除くことができませんでした。接してない時はそうでもないのですが、一回接すると、私は数日間、心の中が騒がしくなりました。そこで、私も心の中で悩み苦しんでいました。

 ある日、私は、彼女のことを見て自分を修めるべきだと思い、彼女の言動から、自分の内に探しました。ある日、私達は小さいグループで学法をしました。その日は私の学法状態が非常に良く、たくさんの法理が見えました。学法の後この同修は交流をし始め、それは、話し出すときりがありませんでした。その日、私は正に彼女を見て、自分を探すべきで、私もこのように自分を顕示し、自分を表現しているのではないか? と思いました。

 私はすぐ頭の中で自分の平素の言動の中で自分を探してみました。すると、それは私が彼女に対して日頃から思っていることは、実際はほん一瞬の考えに過ぎませんでした。私が衝撃を受けたのは、その時、彼女に対する反感が無くなり、これ以上否定的的な考えも無くなっていました。その彼女がそこで話しているのを微笑ましく見ており、彼女に対して少しの喜びさえありました。それはどのような状態でしょうか? 彼女に対して、私は寛容になるべきであり、彼女に慈悲の心で接するべきだと思い、このように私は嬉しくてにこにこしながら、何の考えもなく彼女が話しているのを見ているだけで、平和で、気持ちが良く、喜びでした。

 これはたぶん当時の次元で、私の同修に対する最も純正な表現だったのでしょう。私は学法して内に向けて探し、先ず、自分を見て、相手ばかりを見ないようにすることで、人の表面の表現上正しいか間違っているかを論じない態度なら、この一点に達することができる、と悟りました。

   二、トラブルがある時、人の理、人の思惟から抜け出す

 少し前に、大学を卒業したばかりの甥は全く予想外に、理由もなく私に対して汚い言葉で一言、言いました。私は当時、驚き呆れて物が言えなくなりました。彼が私に対して言ったとは信じられず、何故なら私は彼とは揉め事を引き起こしたことがありません。2日後、私はやっと気がつきました。彼は正に私に対して言っていたのです。私は考えれば考えるほど腹が立ち悔しく感じました。キビが10年籾殻が8年と些細な事まで蒸し返され、人間の悪念が絶えず湧き出てきました。

 私は頭の中で蒸し返しているこれらのもの、悪念は修煉者の状態でないと思い、私はいつも人間の理に従って考えてはいけません。人間の理で問題を考えると、それは正に人間ではありませんか? 人間世間の出来事の中で是非を論じ、正しいか間違っているかを論じ、私は人間とそれらを論じるべきでしょうか? 私は修煉者で、高い次元の理で計るべきで、自分を本当に高い次元の上に置くべきです。

 しかし理はこの理ですが、やはり心の騒がしさ我慢出来ませんでした。私は自分に聞きました。神を罵る常人はいるか? いるに違いありません。神は怒るでしょうか? 絶対そうしません。それでは私は修煉者で、神の道を歩む人として、全ての衆生に対して同じく慈悲の心で、私は甥を衆生と見なし、彼に親切に接するべきです。その上、大法弟子が常人とトラブルがある場合、100%大法弟子の過ちです。内に向けて探すべきで、修煉者に偶然などありえません。彼が私を罵ったのは、彼には私を罵るべき理由があり、必ず私の言動が法に符合しない所があるからです。

 このように思い、私が心を静めて見つけると、本当に自分に法に符合しない所があったからで、貪欲に駆使され、そして長年、心から甥に対して正に好感を持たず、排斥し、中国の子供はみな極端に利己的で、冷酷な少年だと思っていました。このような観念は衆生に対して慈悲の心が生じにくく、悪念を湧き上がらせました。実は邪党の教化が彼を変異させ、彼を壊滅させ、彼は既に可哀相なのです。私は良く行うべきで、大法弟子がしっかり行ってこそ、衆生を救うことができます。良く行わないと、それは衆生を滅ぼす可能性があります。

 三、大きな善の威力、師父の無量の慈悲

 私は労働教養の迫害を受けている時余儀なく離婚させられ、住所がありませんでした。数年前、姉は私に自分の持家を貸してくれました。ある日、姉(未亡人)は私に、冬は寒さが厳しいし、職場と自分の家が余りにも離れているので、私の住んでいる所からは近いから、私と一緒に一冬を過ごすために、9月頃引っ越して来ると言いました。私は、それを聞いて、言葉では良いように答えましたが、心では100%嫌でした。「彼女がここに居ると、私はこの冬をどう過ごすの? これはどれほど大きい妨害なのでしょう」と思いました。しかし家は姉の家なので、何も言えず、私は心の中が騒がしくなりました。しかしそれは意味の無いことで、考えない方が良いと言うことを知っており、取り敢えずまだ2カ月が残っているので、その時になって考えようと心を放下しました。

 9月になって、私はこの事を既に忘れていました。日曜日、姉は突然布団等幾つかの長期居住用の物を運んで来て、今日からここに住み始めると言いました。私は急いで彼女をと部屋を片付けました。夜私は次のように思いました。既に来てしまった、来たら来たで、4か月に過ぎないだろう? 私もこの4カ月を割り切って、あなたが私の良さを一生忘れないようにあなたに伺候し、私はあなたに大法弟子の風采がどうかを現してあげる。私は彼女に朝何時に食事をし、朝何を食べるかを聞いておきました。

 翌朝、私は起きて、煉功を終え、彼女に大法弟子は毎日何時に起きるかを見てもらいました。時間になって食事を作り、作り終えると、彼女を起こして食事をさせました。彼女が仕事に行く前に、私は彼女に昼と夜食べたいものを聞いておきました。

 間もなく、姉は私に電話をかけてきて、彼女達の部門が急に移転したそうです。その職場は姉の家と近くになり、私の所からは遠くなったので、引っ越して行くことになったと話しました。移転に約半月かかるそうです。今は正に片付の最中なので、私の所には来なくなり、元々先週知らせがありましたが、彼女は知らなかったそうです。

 私はそれを聞いて、正にこれは芝居を演じるようで、芝居をするよりも速いと感じました。4カ月だと言ったのに、正にこのように一朝一夕で、すぐ終わりました。私はとても感激して、全身が軽くなり自由に飛んでいるような感じがありました。私は師尊の至れり尽くせりの庇いと師尊の無量の慈悲に感恩し、1つの部門を引っ越しさせてでも、大法弟子が三つのことをしっかり行うのを常人が妨害しないようにしてくださいました。考えてみて下さい、4カ月です。それは4日或いは4時間ではありません! そして4カ月後、冬がまだ終わらず、そして以後ずっと居るかさえも未知でした。

 この前、ある同修が私と似た状況にぶつかりました。同修の姉が彼女を邪魔したので、気まずくなりそうで、同修は姉の提供した家から出ようとしました。私は彼女に私の体験を話し、同時に私は彼女に「いつも他人が自分を邪魔し、他人が自分に触れたり、関わったりしてはいけないと思わないように、あなたの心に合わないと、あなたはすぐ妨害だと思います。あなたの姉の事を考え、相手の苦しみを理解すべきです」と話しました。彼女は理解し、ちょうど彼女の姉が電話をして来て彼女は帰りました。その後、彼女は自分を放下し、心を込めて姉に親切にしてあげました。長くはかかりませんでした。突然、コロナウイルスの流行で、彼女の姉は自分の家に戻りました。帰る時、彼女の姉は大法のお守りを求め、危険に晒された時、やはり真心で大法の師父に助けを求めました。以前なら、彼女の姉はこのように大法を信じなかったでしょう。

 ここまで話すと、長期に渡って上記のような悩みを抱えて来た同修達のことを考えました。皆「多分私が彼に借りがあるだろう、ならば私は返そう!」とこのような一言を話すのを思い出しました。私はこれは一種のどうしようもなくなった時のパフォーマンスだと思います。

 師父は次のようにおっしゃいました。「もし困難の前で、念が非常に正しければ、邪悪の迫害や妨害を前にするとき、あなたが言った、正念の強い一言は邪悪を直ちに解体することができ、(拍手)邪悪に利用された人はすぐに逃げてしまい、邪悪のあなたに対する迫害はすぐ消え、邪悪のあなたに対する妨害を即刻になくすことができます。正しい信念というこの一念だけですが、この正念を守りきることができる人は、最後まで歩むことができ、大法によって造られた偉大な神になるのです」[1]

 魔難の中で、しばらくの間妨害を解体できなくても、不正な理由を探してはいけず、そうすれば邪悪に隙を突かれる可能性が大きいのです。私達は耐えず自分を探し、絶えず内に向けて探すべきで、本当に観念を変え、法に基づいて法を認識した時、妨害は必ず直ちに消え姿をくらますでしょう。

 次元に限りがあり、法に符合しない所があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法七』「米国西部国際法会での説法」

 
(中国語:http://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/10/421287.html)
 
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