一つの考え、一つの念をしっかりと修め、自己を突破してたくさんの人を救う
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文/オーストラリアの大法弟子

 【明慧日本2021年5月14日】私は2019年にオーストラリアで法を得た大法弟子です。私は法輪大法は正法で、人に心を修め善に向かうように教えると深く信じました。真・善・忍に従って良い人間になり、修煉をして自我の昇華をはっきり感じ、私の心に平静、平和をもたらしました。

 私は毎日学法煉功をし、又大法弟子の使命は自分をしっかりと修めるだけでなく、更に師を助け法を正し、衆生を救い済度することであるとだんだん認識しました。私は毎日発正念をし始め、そして夫(同修)と一緒に活動拠点に行って大法の良さを伝え、資料を配りました。

 拠点の同修達は真実を伝える面で私にたくさんの助けと励ましをくれ、私に怖がる心を放下するように教えくれたので、それから正念で人を救うようにしました。偶に衆生を「三退」をさせると、私は嬉しくなり、そして師父が縁のある人を送って来て私を励まして下さっているのが分かりました。私は歓喜心を放下し、更によく行うように自分に注意を促しました。

 しかし私は深く学法ができず、修煉状態が良い時も悪い時もあるので、真相を伝える過程で、常にポイントがよく把握できない事を感じ、衆生の異なった態度或いは質問に対して、私はどうすればよいかが分からず、文字ごと言葉ごと全部真心から生じたと感じていますが、しかしあまり説得力がないようでした。私は必ず法をたくさん学び、絶えず正念を強めるべきであると分かりました。

 夫(同修)と他の同修数人はRTC電話の場で真相を伝えるように私を励ましました。昼子供達を学校に送った後、私は少しの時間ができ、多くの人を救いたくなりました。そこで、2020年の10月、私はRTCの真相を伝える養成に参加しました。

 3週間の養成過程で、私は大量の真相を伝える素材及び、人の異なったわだかまりにどう対応すべきかを学びました。今回の養成は私が以前拠点で真相を伝えるにおいて様々な不足を多く補ってくれました。師父の苦心された導き、素材を準備した同修達の苦労と、養成する同修達の辛抱強い指導は、私の心を感激させました。このように十分な準備をして、私は自分がきっと人を更によく救うことができると信じました。

 時間をむだにせず人をたくさん救う為に、私は月曜日から金曜日までRTCの場で電話で真相を伝えようと決めました。私の計画は朝子供達を学校まで送った後、拠点に行って煉功し、資料を配り、その後家に帰ると、ちょうど電話をかけ始めるいい具合です。2時間過ぎて、学校に子供達を迎えに行きました。しかしこのような按排では、昼ご飯を作る時間がありません。夫(同修)は週に何日間は家で食事をします。彼は精進している大法弟子で、仕事をして家を養い、それと同時に幾つかの大法のプロジェクトに参加しており、彼は私を理解し支持すると信じ、何故なら私も大法弟子としてすべき事をしっかり行いたいし、行わなければなりません。

 始まったばかりの時は、RTC養成の部屋で電話をかけるとき、私はやはり非常に緊張し、自分が整理した資料を見て、必要な内容を探せず、よく伝えられないのではないかと恐れていました。同修は私がとてもよくしていると話し、ただ話が余りにも速いので、あまり緊張せず、焦る心を全て放下するようにと励ましてくれました。私は、これは師父が同修の口を借りて私を目覚めさせてくださっていると悟りました! 人を救おうとする心があるのは良いのですが、しかし余りにも焦ると、むしろ自分を妨害する執着になり、本当に真相をはっきり伝えてこそ人を救うことができるのです!

 師父は次のようにおっしゃいました。「智慧が足りない時は多くの場合、あなたが焦っている時です。何かのことを焦ってやろうとする時、またはそのことを重く見すぎている時、もう一種の執着が現れ、それによって智慧が足りないという情況が現れました。実は多くのことをする時、落ち着いて穏やかに説明し、理性的に対処していれば、智慧が泉のように湧いてくると感じられるのです。しかも、言っていることは全て的を得ており、真理なのです。執着し、焦っており、何かの強烈な心を持っていれば、智慧がなくなります。この時はまた人間になったからです。そうではありませんか? できるだけ正念をもって、修煉者の状態で行なえば、効果は非常に良くなります」[1]

 私は自分が焦る以外に、原稿をあまりにも気にして、自分が(原稿通りに)衆生の状況に的を定めて正しく対応できるか、話した言葉は相手を説得できるかを気にかけ、これ等も執着であると意識しました。このように多い人心を持って、正念も足りないと、同修達の凝集された真相の原稿そのものが本当の作用を発揮できないようにします。

 私は「執着を全部放下しなさい! 三退を目的とせず、純粋な心だけであれば、師父のご加持があり、同修達の助けがあり、縁のある人は自然に救うことができる」と自分に言い聞かせました。すると本当に、すぐに三退する衆生が現れました。私はこれは師父のご加持と私の正念であり人を救う事への是認であると分かりました。この2ヶ月間真相電話を掛けると、毎週いつも数人の衆生が三退をしてくれます。私は師父の法を心に刻み、時々刻々自分に正念正行すべきだと注意を促し、絶えず学法、発正念をする事で私の修煉状態をますます安定させました。

 正に私が一心に電話掛けに取り組む時、私は逆に家庭への世話をゆるがせました。昼にやるべき事をせず、午後または夜にずらし、結局多くの事することになり、子供達の騒がしさにいらいらして宿題を教える時、せっかちになり、事とも夫(同修)とコミュニケーションが取れず、家庭のトラブルがますます多くなりました。

 私は又常に憤り感じていました。「なぜ夫(同修)は全てを大法のプロジェクトに関わることができる? なぜ私だけが家事をして、手に負えない子供達の面倒をみて、貴重な時間を浪費しなければならないのか?」

 これらの負の考えが現れる度に、私はいつも師父の説かれた「すべてのことには因縁関係があります。人間はどうして人間でありうるのでしょうか? それは人間には情があり、人間は情のために生きているからです。肉親同士の情、男女の情、親の情、感情、友情など、何をするにしても情が重んじられ、情を切り離しては何ごともできません。やる気があるかどうか、気分が良いかどうか、愛しているのかそれとも憎んでいるのか、とにかく人類社会のすべてのことが情から出ています。この情を断ち切らなければ、修煉することはできません。情から抜け出すことができれば、誰もあなたを動揺させることができず、常人の心があなたを動かすことは不可能となります。それに取って代わるものは慈悲の心であり、より高尚なものです。」[2]を思い出しました。

 私は、これらのトラブルは全て私が越えるべき関で、放下すべき常人の心であると認識しました。トラブルが現れたら正に内に向けて自分を探し、執着を無くし心性を高めるべきで、これこそ修煉です。子供達に対処するのも同じで、私は内に向けて探すべきで、子供達の表現は正に私の修煉状態の反映で、きっと私自身がしっかりと行っていないのです。学法を強化するのみで、常に自分は修煉者であることを心に刻んでおくべきです。

 師父は次のように説かれました。「大法弟子の修煉の中に手本がないと私はいつも言っていましたが、個人修煉の中で自らの道を歩まなければならないだけでなく、私が皆さんに伝えたこの修煉形式さえ参照できるものはなく、皆さんは自分でこの道を切り開かなければなりません。」[3]

 私は自分が真相伝えと家庭の関係のバランスが取れていないのでトラブルが現れたのだと分かりました。大法弟子はどこでもいつでも良い人であるべきで、衆生に慈悲で対処し、身内に対しては尚更こうすべきです。私がよく行わなわなければ、自分が真相を伝え人を救う事に影響を与えるだけでなく、夫(同修)も仕事に専念できず大法のプロジェクトをしっかり行えず、その上大法弟子全体にマイナスの影響をもたらすでしょう。そこで子供達の休みの期間に、私は如何に時間を上手く按排し、RTCの場で電話をかけることができるだけでなく、家庭の事にも配慮でき、同時に子供達を教えよく付き合うかを細やかに考えました。真相を伝えるのは修煉で、家庭の面倒をよく見るのも同様に修煉で、事の大小にかかわらず、真・善・忍に従って、正念で対応し、心を落ち着かせて全てをしっかり行うのが、正に私がすべき事です。

 2021年2月、私が再びRTCの場で電話掛けをしようとした時、以前私を養成したおばさん(同修)が私に連絡して、私に新しい電話掛けプロジェクトに誘ってくれました。彼女は、参加する同修を探す時彼女が1番目に思い浮かんだのは私であると話しました。これは師父が私の為に按排された私に更に適した人を救う方式を示して下さったのだと思いました。ちょうど私も毎週電話を掛ける時間を調整しようとしていたので、おばさん(同修)に私の以前のライブルームの交替勤務の順番を取り消し、毎週新しい電話掛けのプロジェクトに2~3日参加できるように変更を頼みました。

 按排された時間が以前より減り、私はこれで自分は心を静めて全てをしっかり行えると感じました。数日間の養成を通じて、私は正式に新しい電話掛けプロジェクトで真相を伝え始め、以前ライブルームで電話を掛ける方式と異なって、熟知した後、衆生と連動する方式がとても良いと思いました。電話を掛ける時、私は明らかに自分の進歩を感じ、心は更に落ち着き、最大の善念で衆生に真相を分かるようにさせ、声とスピードが柔らかくゆっくりと変わり、衆生の質問に対応する時考えがはっきりとしてきました。師父のご加持に感謝申し上げます! すぐに三退する人が現れました! 今は衆生の如何なる反応に遭っても、私は心が動じず、正念を固め人を救うことができます。

 師父はいつも私を助けて下さり意識できなかった人心を見せて下さいました。ある日、ライブルームの同修が、私が交替勤務の順番を取り消さなかったので、私が司会すべきその日になって、臨時に代わりの人が見つけられず、大変だと言ってきました。私は、自分が忘れて交替勤務の順番が取り消されたのを確認しようとせず、むしろおばさん(同修)に私の代わりにするように依頼していたことに気づきました。私は自分のいい加減さ、怠惰と、おばさん(同修)に対する依頼心を見つけ、同修達に迷惑をかけた事に私は非常に申し訳ないと思います。

 修煉は厳粛で、一思一念も正念を保つべきで、如何なる事もいい加減にしてはならず、人心があればすぐ無くすべきです。私に又向上の機会を与えて下さった師父に感謝します!

 自分がライブルームを離れ新しい電話掛けプロジェクトに来るのを決めたのは人心があったのではないかと私も内に向けて探し、同時にすぐ正しくない念を放下し、なぜならどこでも全ての人を救う為です。私は絶えず学法をし向上する事を通じて、人を救う力も必ず大きくなると信じています。全ての常人の心を放下し、一思一念をしっかりと修め、自己を突破し、多くの人を救い、大法弟子のすべき全てをよく行う、これが正に私の修煉の道です。

 個人の現段階での悟りで、足りない所があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『各地での説法三』「大ニューヨーク地区法会での説法」
 [2] 李洪志師父の著作:『轉法輪
 [3] 李洪志師父の著作:『各地での説法七』「米国西部国際法会での説法」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/25/423745.html)
 
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