一つの念一つの考えを修め 心性を向上させる
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2021年5月29日】私と家族の同修達は三つのことを一緒にやっています。時間が経つにつれて、家族の同修たちが一つの考え、一つの念を良く修めておらず、心性の向上もあまりできていないと私は感じています。家族の同修はいつも、自分を妨害する念を見分けることができず、その念を自分の考えだと思っているようです。 

 例えば、彼は煉功のとき、動作の途中で、暑いと感じたら、すぐに服を脱ぎ、また寒いと感じたら服を着るようにしています。鼻水が出てくると、動作の途中でも止めて、ティッシュを探して拭いたりしました。1時間に何度も拭きました。また、どこかに痒みを感じると、思わず掻いてしまいます。それを見て、私は彼らに「これは妨害で、煉功のときに体の中のエネルギーと体の外のメカニズムを破壊しているのです」と話しましたが、家族の同修たちは、「体が熱くなって、鼻水が出て、耐えられないのよ」と言い訳をしました。

 そこで、私は辛抱強く家族と交流することにしました。私は「煉功の途中で、あなたにあれこれをやらせようという念はあなたの念ではありません。鼻を拭く紙を探したり、服を着たり脱いだりすることなど、あなたは自分の考えだと勘違いしているのです。実際にあなたの考えではないのですよ。これらの念は絶対、あなたの純粋な心から出てきたものではなく、あなたの主元神が発したものでもありません。これらの考えは、思想業力或いは外来の魔によるあなたの煉功に対する妨害です。『轉法輪』に「煉功して魔を招く」と書いてあるじゃない? これはあなたに対するもう一つの形式の妨害だと思います。なので、功法をしている間、ほかの事をやってはいけないません。考えてみて、これはあなたの煉功を妨害していることですよね? この念に従ってはいけないし、反抗したり、排斥したりすべきです。自分の空間場にこれらの念を捨ててきた邪悪生命に対し、発正念して滅したほうがよいと同修の交流文書でも書かれていたでしょう」と話しました。

 彼は「じゃ、どうすればよいの?」と聞いてきたので、「煉功のとき、鼻水が垂れることは私もありました。そのとき、私は煉功し続け、鼻水が足や服に垂れても気にしませんでした。そのように動揺しなければ、しばらくして鼻水が止まりました。あなたも試してみて」と話しました。

 それから、私は修煉の中でどうやって悪い念を排斥しているかについて家族の同修と交流しました。修煉の初めから、私は自分の一つの考え、一つの念を修めることを気にかけています。毎日、自分の念に注意を払いました。このようにすると、自分の頭に現れた念が大法に符合しているかどうかを見分けられ、確認できるし、そのうえ、もし大法に符合していない念が見つかれば、すぐに排除したり、発正念したりして取り除くようにしています。毎日、このようにし続ければ、心性の向上が早くできると感じています。

 「つまり、良くない念を見つけるとすぐに排除すること、時々刻々自分の一つの念、一つの考えを修めることです」と、家族の同修に話しました。彼は「やってみる」と言いました。

 翌日、煉功のとき、家族の同修たちは前よりよくなりました。

 家族の同修たちと同じように、自分の一つの考え、一つの念を修めていない同修がいると思います。このような同修たちは、表面的に三つのことをやっていますが、心性の関に遭うと、乗り越えられるのでしょうか? 明慧ネットにある交流文章を読みました。三つのことをよくやっている同修がいます。このような同修を私は本当に尊敬しています。しかし、同修が心性をよく修めていないため、それほど大きくない関に遭っても、乗り越えられなかったとも書かれています。その一つの原因としては、自分の一つの考え、一つの念を注意して修めなかったからかもしれないと私は思っています。

 大きなトラブルに遭うとき、内に向けて探すだけではなく、常に主体的に自分の一つの考え、一つの念を修めることが重要だと思います。私たち修煉者は常に、自分の考えを修め、自分の考えをコントロールし、このように堅持し続ければ、修煉の道のりで心性の向上が早いと私は思っています。

 個人の考えですが、ご参考にしてください。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/10/422263.html)
 
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