重大な事故は向上の機会
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文/韓国の大法弟子

 【明慧日本2024年4月12日】師父のご加護のおかげで、私は2つの重大な事故を乗り越えました。私の2度目の事故についてお話ししたいと思います。私の命を救ってくださった師父に感謝申し上げます。

 2021年10月27日夜、私は韓国の大邱広域市でバイクに乗っていました。寒さをしのぐために綿入りのジャケットを着ていました。私は、交差点で数台の車の後ろに止まり、信号が青に変わるのを待ちました。信号が変わる前に、突然「バン」という音とそれに続くカチャカチャという音が聞こえました。すぐに「何か事故でもあったのかな?」と思いました。

 耳の中でブーンという音がしつこく聞こえ、誰かが「ああ、様子がおかしい、彼女は死んだのか?」と言う声が聞こえました。 私は「誰が死んだの?」と思いました。ゆっくりと目を開けると、群衆が私の周りに集まっていて、私はこう思いました。「なぜ私は地面に座っているのだろう?  ああ! 車に轢かれたのは私なのだ」、誰かが「気分はどうですか?」と私に尋ねました。私はすぐに「気分は良いです、大丈夫です」と答えました。

 群衆が私の周りに集まり、警察の到着を待っていました。地面に座ってみると、靴がなくなり、バイクが数メートル離れたところに飛ばされていたことに気づきました。私に突っ込んできた車も見ました。私が足を前に伸ばして座っていると、何人かの人が「立ち上がれますか?」と尋ねました。私は「はい」と言いましたが、立ち上がることができませんでした。私は、携帯電話を取り出して夫と嫁に電話をし、私がどこの交差点で事故に遭ったのかを伝えているときに、救急車が到着しました。

 常人の原則は修煉者には当てはまりません

 私が「自力で立ち上がれる」と言うと、救急隊員たちは私が立ち上がろうとするのを支えてくれました。しかし、腕、足、手を動かすことができず、ショックと寒さで震えていました。この時点で、夫と義理の娘が到着しました。警察は私に病院に行くように勧めました。嫁は「お母さん、このような状況では、検査を受けなければなりません」と言ったので、私は「彼らが適切だと思うように対処させてください。病院には行きません。私は元気です」

 私の抗議にもかかわらず、救急隊員は私を担架で担ぎ救急車に乗せました。私は嫁に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と唱えるように伝え、師父のご加護を求めました。

 病院に着いたとき、私はこう思いました。「先生は私のためにたくさん耐えて下さっている。大法の名誉を傷つけてはなりません。法輪大法は素晴らしものであり、私は旧勢力によるこの迫害を認めません。これは私の個人的な失敗が原因で起こったに違いありません。旧勢力はこの抜け穴を利用して私の体に危害を加え、真実を明らかにして衆生を救うために観光地を訪れることを阻止しようとしました」

 ちょうどそのとき、嫁が私に「お母さん、気分はどうですか?」と尋ねました。私は「大丈夫です」と答えました。私は「引き続き『法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい』と唱えて師父のご加護をお願いして下さい。師父が全部やって下さるから心配しなくていいですよ」と言いました。嫁は「わかりました」と言いました。

 私の事故は、新型コロナウイルス感染症の流行中に起こったため、病院は非常に混雑していました。救急病棟には空きがなかったので、寒さに震えながら屋外の救急車で待たなければなりませんでした。やがて医療スタッフが来て、私を椅子に座らせて待ちました。上半身に脱力感はありましたが、一秒たりとも入院したくありませんでした。私は「先生、私は大法修煉者の名に恥じないように努力し、正念を持ち続けるつもりです」と思いました。そして師父の説法を思い出してみました。

 10分後、病院のスタッフが、もうすぐ私が診察を受ける番だと告げました。私は嫁にこう言いました。「私は修煉者です、大丈夫です。これはただの修煉の試験なのです」嫁が「本当に大丈夫なの?」と聞いたので、私は「立ち上がるのを手伝ってください、そうすれば行きます。正門から外に出ましょう」と答えました。

 私は嫁よりずっと背が高いので、支えて起こすことは出来ましたが、嫁は私を支えるのがやっとでした。私は彼女を安心させ、必要なのは軽いサポートだけです、と言いました。心配した救急隊員が私たちを戸口で呼び止め、スピーカーから私の番号が呼ばれるのが聞こえました。主治医がやって来て、「もしあなたが自力で歩いてここから出られるなら、私たちはあなたを強制的に留まらせるつもりはありません」と言いました。私はそれに納得して、嫁から離れ、自分でドアを押して出ました。

 家族に患者のように扱わせませんでした

 病院の正門を出るとすぐに、息子と孫が私たちの方向に歩いてくるのが見えました。孫が私に向かって走ってきたので、私は孫を抱き上げました。息子が「大丈夫?」と聞くと、私は彼を安心させ「大丈夫です。私を見てください、私は元気です」と答えました。私は泣きながら「先生、ありがとうございます」と言いました。

 病院の駐車場で嫁が「家には暖房がないし、冬は特に厳しいので、私たちの家に泊まりませんか? 私たちの建物にはセントラルヒーティングがあり、床暖房が完備されています。数日間私たちと一緒にいてもいいですよ」と言いました。

 私は「娘よ、あなたも私の息子もとても親孝行です。とてもありがたいことですが、私も修煉者です。私は夫と一緒に法を学び、煉功することで完全に回復します。もし私があなたの家に行って患者のように扱われたら、私の状態はさらに悪化するでしょう。全部自分でしますから、家に帰らせてもらってもいいですか? 今後2日間私の状態に改善が見られない場合は、電話しますので、家まで迎えに来てください」

 夫と私は家に帰りました。まだ寒いので、夫がお湯を沸かして飲むと言いました。私は彼が立ち上ろうとしたので、私は彼を呼び止めました。 「待ってください、私がお湯を沸かします。あなたに私の世話をさせるのなら、私を患者のように扱うのと同じではありませんか? 私は大法修煉者なので何の問題もありません」

 私は起きてお湯を沸かしました。後でズボンの裾をまくり上げてみると、足全体が打撲傷だらけでした。夫はとても心配していましたが、私は「それは錯覚ですよ」と言って安心させました。「法を勉強しましょう」と言って、私たちは法を読み、坐禅をしました。真夜中に正念を発した後、眠りに就きました。

 翌朝、私は6時過ぎに起きて、いつものように体を洗い、師父にお線香をあげました。それから私は法を唱えました。 8時過ぎ、足の打撲を思い出し、ズボンの裾をまくり上げてみると、打撲は消え、足は正常に見えました。私は泣きました。私は夫に「ほら、私の足は完全に治りました」と言うと、夫は驚いていました。

 それから数日間、病院、交通局、警察から補償の問題について話し合うために私に連絡がありました。夫と私は「私たちは法輪大法の修煉者なので、何も望んでいません」と言いました。

 私たちが賠償請求を拒否したことを聞いた警官が、電話をかけてきて「あなたのような人は今、いません」と言いました。最初、彼は私が韓国の法律に基づく賠償請求の権利を理解していない外国人であることを心配し、事故のビデオを取り出して夫に見せました。そのとき初めて、私たちはそれがどれほど深刻であるかを知りました。私にぶつかった運転手は70代くらいでした。交差点に近づくとブレーキをかけようとしたが、誤ってアクセルを踏んでしまった。彼の加速した車が私のバイクに衝突し、私は空中に投げ出されました。それでも、私はこの重大な事故から比較的無傷で立ち去ることができました。

 思い返してみると、事故現場でまだ地面に座り込んでいたとき、最初に誰かに「気持ちはどうですか」と聞かれたとき「気分は良いです、大丈夫です」と答えた瞬間、本当に気持ちが楽になった気がしました。大きな綿に包まれている様でした。師父が私を守って下さいました。

 私の個人的な理解

 私がこの出来事を共有するのは、何が起こっても自分たちを常人として扱ってはいけないことを同修たちに思い出させるためです。善意を持った修煉者の中には、病業に苦しむ人々を自発的にケアし奉仕する人もいます。私の経験では、他の修煉者を病気の患者として扱うべきではないということを、彼らに思い出させることができると思います。困難を経験している修煉者は、単に自分の状況を自然なものとして受け入れ、それが業を消去しているからだと考えるべきではありません。法輪大法の信念をしっかりと貫けば、病業を乗り越えることが出来るのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/4/5/474922.html)
(English: https://en.minghui.org/html/articles/2024/4/9/216519.html)
 
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