案件を処理する時、本当に法律を念頭に置いているのか
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 【明慧日本2021年6月13日】世の中に昔も今も役人や官吏がいます。同じ仕事をしても、中には善良で国民のために良いことをする役人もいれば、他人を害して自分自身や子孫にまで影響を及ぼす役人もいます。ここに古代と現代のいくつかの例から教訓を引き出してみました。

 1、清朝の次官が権力者に仕え私利私欲を貪り、天に召される

 清朝の学者・袁枚は、『新斉諧』の中に法を執行する中で私利私欲を優先したため、悪の報いに遭った次官の物語を記録しました。

 乾隆20年、朝廷は黄河一帯を視察するためにある次官を派遣し、陶荘旅館に滞在させました。 大晦日の夜、次官は側近と共に灯りを持って川を見回り、当番の主簿官と酒を酌み交わしました。そして、陶荘旅館に戻った次官はすぐに眠りにつきましたが、寝ている間に亡くなった母親のところに行きました。母親は、ここに来た息子を見て、驚いて「ここは人間世界ではない、ここに来てどうやって戻ることができるのか」と言いました。 そこで、母親は次官を連れて川の西側にいる高僧のところに行き、人間世界に戻る方法を尋ねようと思いました。

 寺院に来て高僧に会うと、次官は跪いて叩頭しましたが、高僧は彼を無視しました。次官は「私は天子の命令により黄河を視察に参りましたので、何の罪で死ななければならないのでしょうか? 私が納得できるように教えて頂きたいのですが、なぜ私を無視するのでしょうか?」と高僧に尋ねました。高僧は笑って「あなたはあまりにも多くの人を殺し、あなたの福禄も尽きてしまったのに、なぜ納得しないのか?」と答えました。 次官は「私は多くの人を殺しましたが、それは国の法律に従って殺すべきだった人たちであり、私の罪ではありません!」と言いました。高僧は「あなたは案件を処理していた時に、心の中に本当に法律があったのか? あなたはそれらの権力者に迎合して、私利私欲を満足させ、朝廷に気に入られ、出世しようとしているだけなのだ!」と言いました。

 高僧は如意の玉を手に取り、次官の心臓に向けました。次官は冷たい空気が心臓に突き刺さり、瞬時に五臓六腑は冷えて、心臓は震え、雨のように汗をかき怖くて話せなくなりました。しばらくして、次官は「私は自分の罪を認めます。今後改めます。それでよろしいでしょうか?」と聞きました。高僧は「あなたは自分のやり方を変えられない人であり、今日はあなたの死ぬ日ではないので、地獄でまとめて償うしかない」と言いました。 そして、ある小僧に彼を人間世界に戻すように指示しました。

 その時、彼の死んだ母親が、「息子よ、あなたはもう何日も生きられないのよ。あなたはなぜ法を執行する時、公平に行動せず、個人的な利益を欲しがり、権力者に迎合して、昇進を得ようとしたのですか!」と泣きながら言いました。母親の前にいた次官は恥ずかしくて言葉を失い、長いため息をついて夢から覚めました。間もなく、次官は体調を崩し、吐血して死亡しました。

 次官は、法を執行する時に権力者に迎合して私利私欲を図り、天に対して罪を犯し、悔い改めようとしても遅すぎたのです。人々の運命は天に決められますが、幸福や災いは自分の心によるものです。従って、仕事の中でも社会の中でも物事に対処する時、道義を指針として善良な心を持つべきで、いかなる理由があっても人を殺したり傷つけたりしてはなりません。

 2、退役軍人が地獄を訪れた体験

 多くの悪行を行った者は、死んだ後に地獄で苦しみ、罰を受けるしかありません。 明慧ネットに掲載された「地獄を訪れた体験」という記事には、ある退役軍人が地獄で、人間界で法を執行していた検察官や司法官たちを見たという内容があります。まず、法の執行者である4人を1組にして拷問器具に後ろ向きに縛り付け、1本の鉄棒を同時に横から4人の腰に挿し、両側にいる拷問係がその鉄棒を押したり引いたりしていました。拷問を受けている者は被害者の苦痛を償っているというのです。その光景はとても惨めで、4人が激痛に耐えながら叫び、床には血が飛び散り、とても悲惨なものでした。人は人間世界で悪いことをすれば、その罪を償うために地獄で拷問を受けるのです。

 法曹部門で働く人は命に関わることなので、慈悲深い人はたとえ本当の犯罪者に罰を与えても、寛大な心で行うのです。『坐華志果』には以下のことが記載されています。呉興県のある官員の父親は県の拷問者を務めたことがあります。その父親はよく仲間たちに「この公職は、我々にとって良い修行の場所だ。ここで善行を積まなければ、まるで宝の山に入って手ぶらで帰って来るようなものだ」と言っていたそうです。拷問者であるその父親は、毎晩刑具の棒を尿のバケツに浸していました。なぜなら、尿はうっ血を溶かして筋肉を再生することができ、浸していた杖で人を殴った後、皮膚が裂けて肉が血まみれになっても、感染して潰爛することはないからです。その父親はこの方法で多くの人々の命を救いました。

 その父親が「この公職は、我々にとって良い修行の場所だ」と言うのは、つまり、騒々しい法曹部門で働くと、実際には自分のできる範囲内で人々を守ることができ、人をいじめたり傷つけたりすることを避けられるのです。父親の博愛の心は道義に通じるものがあり、僧侶になって修行していませんが、実は徳を積んで身を修めていたのです。

 3、現在の法曹部門の関係者が悪報に遭う事例が頻出

 現代社会の多くの人々は、善悪は報われると信じず、法曹部門で働く人々の中には、その権力を利用して無実の人々に罪を負わせ、さらに拷問を加え、多くの冤罪を作り出しています。恐らく前文にある次官と同じように、「それは国の法律に従って行っている」と言うかもしれません。実際には、誰もが心の中に天秤を持っており、高僧の言葉を借りて対照してみれば分かります。「あなたは案件を処理していた時に、心の中に本当に法律があるのだろうか? あなたはそれらの権力者に迎合して、私利私欲を満足させ、気に入られて、出世しようとしているだけなのだ!」。現在の実例を見てみましょう。

 内モンゴル赤峰市610弁公室の責任者・楊春悦の一家は、数年前に交通事故で息子を失い、さらに楊春悦自身も脳腫瘍で死亡しました。楊の妻は「神様、私たちの家族にはどんな徳が欠けているのでしょうか」と号泣しました。しかし、詳しいことを知っている人たちは、「足に水ぶくれができたのは自分で歩いた結果で、これは多くの悪いことをしたからだ!」と密かに言っていました。楊は法輪功を迫害し、法輪功学習者(以下、学習者)を不当に連行し、数百もの冤罪を作り出した結果、自分の幸せな家庭を壊してしまいました。もし、楊の妻がもっと早く法輪功への迫害に加担しないように夫を説得していれば、このような結果にはならなかったかもしれません。

 河南省魯県裁判所は、少なくとも9人の学習者に不当な判決を下した時、うち2人の学習者は副裁判長・楊東升によって重刑を宣告されました。学習者は、自分が迫害を受けているにもかかわらず、「学習者を迫害しないで下さい。善悪には報いがあるからです」と楊に忠告しましたが、楊はその忠告に耳を貸さず、「善悪の因果応報を信じているのは、才能のない者だけだ。俺を説得するなんて、ありえないことだ。共産党がバックアップしてくれているから、信念やら法律やら構わず、共産党と一致して、法輪功には絶対に手を緩めない」と言いました。 2011年8月14日、河南省魯県裁判所の公用車が鄭堯高速道路で重大な交通事故を起こし、10人のうち3人が死亡、7人が負傷し、楊東升ら3人の裁判長が死亡しました。

 楊はその言葉を言った時に、頭上三尺には神々がいることを知らず、まさに地上のささやきが、天上では雷のように響きます。結局、多くの悪事を働いたため、悔い改めるチャンスも無くなりました。天上は、上層部の命令を実行するかどうかで判断するのではなく、物事に対処する時にその心は利己的で悪なのか、それとも善なのかを判断するのです。

 瀋陽市瀋北新区裁判所の裁判官・鄂安福(45)は、2011年2月18日に脳出血で倒れ、約2カ月間救急処置を経て死亡しました。情報筋によると、鄂安福は臨終の前、家族に「法輪功学習者にお願いして!」と言い続けたそうです。鄂は2001年に、秘密裏に5人の学習者に対して3年から8年の実刑判決を宣告しました。その中の女性教師・王敏さんは鄂の昔の同僚であったが、それでも遼寧省女子刑務所に拘禁されました。臨終前の鄂は地獄の門が見え、学習者を探して罪を償おうとしましたが、残念ながら遅すぎました。

 結び:転機は一念の間に

 では、天上に対して罪を犯した人には救いがないのでしょうか。そうとは限らないようです。湖北省の教師である劉さんの経験を見てみましょう。教師として、劉さんは残念ながら中共の嘘に耳を傾け、善悪の報いがあることを信じなかっただけでなく、法輪功の師父と法輪功に対して不敬な発言をしてしまいました。

 2003年のある日、劉さんの息子はブランコで遊んでいたとき、太ももをぶつけられ、大量出血をしました。子どもは病院に運ばれましたが、医者が診たところ、性器が潰れているため、怖くて受け入れなかったそうです。劉さんはタクシーを呼んで武漢に行くしかあるません。途中で、劉さんは午前中、法輪功の師父に無礼な言葉を言ったことをふと思い出し、その瞬間、心の中で法輪功の師父に懺悔し、「息子を助けて下さい」と懇願しました。劉さんの妻も、息子を救うために法輪功の師父にお願いし続けました。すると、車が武漢に着く前に、子どもの傷口の出血が止まりました。武漢の病院では注射もせず、薬を飲んだだけで、翌朝、子どもは正常に尿を排泄しました。それ以来、劉さんは法輪大法を尊敬するようになり、「法輪功は本当にすごいです!」と、この出来事を伝える度に話しています。

 本記事は、今も中共の嘘に騙され、無神論を信じている法曹部門の関係者が、今後の仕事で法輪功の案件に関わるとき、よく考えて良心を選択するよう特別に注意を喚起するものです。「真・善・忍」は道義であり、法輪功を誹謗中傷したり傷つけたりしてはならないのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/5/426530.html)
 
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