願ったり叶ったり
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文/中国農村部の大法弟子

 【明慧日本2021年6月21日】私は、田舎に住む高齢の大法弟子です。修煉の中で、たまたま遭遇することがたくさんありますが、それには理由があると私は考えています。今日はそのうちのいくつかをご紹介します。

 ある時、私は法輪功の真実を語るために村の市場に行ったのですが、そこで油絵を売っている人がいました。彼は油絵を地面いっぱいに広げていましたが、そのほとんどが元中国共産党党首・毛沢東を描いたものでした。私は「これはどれだけ人に悪い影響を及ぼすでしょうか。風で吹き飛ばされればいいのに」と思ったところ、これらの油絵はあちこちに吹き飛ばされて、もう取り戻せないのもありました。

 ある雨の日、私はぬかるんだ道を歩いて、一軒一軒、大法の資料を配っていました。私のすぐ後ろから若い男性がついてきているのに気づいたので「彼を止めろ、彼に大法への罪を犯させてはならぬ」と一念を発しました。私は資料の配布を続けました。配布し終えて戻ってくると、その青年がまだ同じ場所に立っていたので「雨が降っているのに帰らないのか?」と声をかけました。すると、青年はハッと我に返り、どこかへ行ってしまいました。

 ある日、隣村に大法の資料を取りに行ったときのことでした。私は自転車に乗れないので、いつものように資料の詰まったバッグを背負って歩いて帰りました。村を出たとたん、バイクに乗った3人の男性が追いかけてきて、うち1人が「その人だ!」と言ったのが聞こえました。

 あたりを見回すと、私一人しかいなくて、目をつけられたのだとわかり、どうしようかと悩みました。大法の資料は人々を救う為の物で、何かあったらいけないと思い、師父にお願いしました。 バイクの3人組が追いついてきたとき、鶏の餌を積んだ車が私の横に止まり、運転手が「ばあさん、乗りな」と言ってくれました。いざ乗ってみると、それは私の村の青年でした。村に着くや否や、村の入り口に3台のバイクが待機していました。その瞬間、青年は車を村外れの養鶏場の方向に向けて走り去ったので、私は危機から逃れることができました。

 ここで師父に感謝いたします。慈悲なる師父は、いつも弟子を見守ってくださりありがとうございます。


 切羽詰まったときに現れた中年男性

文/中国の大法弟子

 先日「リトル・クーラー」という車で、田舎に行って迫害の真相を伝えました。車から降りると、キーを外す前にドアをバタンと閉めてしまいました。「しまった!!」 助けを求めましたが、ドアがどうしても開きませんでした。このとき、私はいつも自分は落ち着きがなく、せっかちで、理性に欠けていることを認め、後悔し、途方に暮れていました。

 焦っている際に、ふと師父のことを思い出して「師父、車のドアを開けるのにお手伝いいただけないでしょうか。弟子が家に帰れません」と頭の中で師父に言いました。

 言い終えたら、隣に一台の車が止まり、車から1人の中年男性が降りてきました。彼に事情を説明すると、彼は平鋼で車のドアをこじ開けてくれました。
私がその人に「ありがとう!」と言う前に、その人は車に乗って遠くまで行ってしまいました。

 ああ、きっと師父がドアを開けさせて下さったのでしょう。私は合掌して、師父に感謝いたしました。


 内側に向けて探し、家族円満

文/遼寧の大法弟子

 私は以前、息子が運営している銭湯の手伝いをしていたのですが、なぜか何をやっても息子夫婦は納得してくれませんでした。「早い時間に来てもダメ、遅く来たらもっとダメで、ちょうどいい時間なんてない、私が何をしてあげてもダメだしされて、手伝わないのはもってのほかだ」といつも言われて内心悔しい思いをしていました。そのために何度も涙を流しました。

 学法していくうちに「これは、私の悔しい心、不満に思う心を無くさせるためではないだろうか?」と思うようになりました。そう思っていると、師父は「息子はどこかの世で私に優しくしてくれた」と悟らせてくださいました。それがわかると、私もだんだんと心を放下できました。そして、心を込めて息子夫婦に「すべては私が悪いのです。私は修煉者で、あなたたちに対してむきになるべきではありませんでした」と伝えました。

 私が有言実行してから、息子夫婦の態度はガラリと変わり、私が慣れない時ほど、とても良くしてくれるようになりました。

 何か問題にぶつかったときは、自分の内側に向けて探す時なのです。環境もそれによって一機に変わるでしょう。

 
(中国語: //www.minghui.org/mh/articles/2021/5/1/422946.html)
 
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