文/遼寧省の大法弟子
【明慧日本2021年7月21日】私は幼いころから多難でした。法輪大法は私の運命を変えてくださり、私は死神と別れ、完全に救われました。24 年間、私の体はとても健康です。私たちの村の人はみな、法輪功が私の命を救ってくださったことを知っています。村の人はみな「私の性格が変わった」と言います。村の書記は「法輪功は彼女(私を指す)をよりよくし、本当にただの気功ではありません」と言いました。
一、修煉前後での二つの異なる結果
私は生まれて1週間にならないうちにけいれんを起こし、医者は「小児てんかん」という病名を告げました。毎回病気が起こるといつもひどく、全身がけいれんし、口から泡を出し、私は生きていけないと母親は感じ、干し草の俵を家の中に持ち込み、私が死んだ時のために草で私を巻いて捨てる準備をしていました。しかし毎回私は生き返りました。
満1歳になったばかりの時、私は再びカラアザールという伝染病にかかりました。私の家は農村で街から離れており、医者にかかるのは不便でした。この病気は毎日注射を打つ必要がありました。母親は有能で、医者が私に注射するのを見て、母親は自分で私に注射しようと思いました。医者の指導の下で母親は本当に自分で私に注射しました。2年後、私の病気はよくなりました。村のおばさんたちの話によると、村中でカラアザールにかかった子供が8、9人いましたが、他の子どもはみな亡くなり、ただ私だけが生きながらえたということでした。
5歳の時、私は再び喘息にかかり、さらにそれが持病になりました。私は幼い時から成長するまで病気でなかった時がなく、一年中、薬がなくては生きていけず、病気で苦しんでいました。自分の命はどうしてこんなに苦しいのかと私は不平を言いました。私に対して不公平だと神を恨みました。
病気に取りつかれたこの私は、自分が苦しめられただけでなく、実家と嫁ぎ先の二つの家族にも迷惑をかけました。一年中病気を治療するのにどれだけのお金を使わなければならなかったでしょうか! 家族全員が私の病気を治すためにみな倹約しなければなりませんでした。結婚する時、ちょうど農産物の分配時期でした。私の体が悪く、畑仕事ができなかったので、家の20ムーの農地は夫1人に頼って行っていました。夫が忙しすぎる時は、舅、姑、夫の妹がみな手伝いに来ました。
農民は土を耕して生計を立てています。夫は一年中苦労しており、食糧を売って稼いだそのわずかなお金はすべて私の病気を治すために使われました。
私の家の日々がどのような様子であったかを想像できると思います。私は病気の根源を取り除くことはできず、毎年発作を起こし、毎年治療しなければなりませんでしたが、病気は治療すればするほど重くなりました。私は病気に苦しい思いをさせられ、何度も死にそうになり、本当に死んだほうがましだと思いました。しかし息子と娘はまだ幼く、息子と娘の2人を置き去りにするわけにはいきませんでした。八方ふさがりで、どうしようもなくただこのように苦しめられていく毎日でした。
1997年4月10日のその日、私はすでに3カ月以上寝たきりでした。家族の話によれば、私は死を待つ人間であり、死ぬのが早いか遅いかだけでした。
その日、叔母が離れた地方からやって来ました。年寄りの叔母は私に法輪功を紹介するためにわざわざやってきたのでした。私が起き上がれないのを見て、まずは枕もとで法輪功の師父の済南での説法録音を私に聞かせました。叔母はさらに私に煉功動作を教えてくれました。私は「煉功できません」と言うと、叔母は「できる限り煉功すればいいです」と言いました。私はできる限り起きあがりましたが、それでも数分間頑張れただけでした。
3日目の夜、私は渋い苦汁を桶半分ほど吐きました。吐いた後、鍋のように膨らんでいた大きなおなかのむくみがなくなり、4日目、私は何度も排尿するようになり、全身のむくみがすべて消え、7日目、私は起き上がって家事ができるようになりました。6カ月後、私は病気がすべてよくなったように感じ、20日後、夫と一緒に畑仕事ができるようになりました!
3週間も経たないうちに、私の体には家族が言う地球を揺るがすような変化が起こり、私の心は明るくなりました! 家族全員、姑と夫と2人の子供はうれしくて満面に笑みが広がりました。夫は人に会うと「法輪功は神の気功で、死を待つ人間が命を救われました!」と伝えました。法輪功はこのようにして私たちの村で広がり、続けて数十人が私の家に着て学法し、煉功しました。
修煉後私には病気がなくなり、治療する必要も薬を買う必要もなくなり、夫と一緒に田植えをし、豚を飼って養育し、家の中の様子は日に日によくなり、年々良くなりました。数年後には新しい家を建て、その後、嫁を迎え、孫を抱き、この10年の間、夫はアルバイトもでき、私は田植えをし、生活に困らず、家の中は和気あいあいとしていました。夫は「あなたの煉功は家で20万の医薬費を節約した。私は満足している。法輪功を修煉してよかった、そのおかげでしっかり生きていくことができる」と言いました。
私が死から逃れることができ、今日の健康と仲のいい家族がいるのは、本当に法輪大法の福のおかげだ、ということを私はわかりすぎるほどわかっていました! 私を救ってくださったのは大法の師父であり、私は慈悲深い偉大なる師父に心から感謝いたします!
二、村の書記「法輪功は彼女をよくし、本当にただの気功ではありません」
『轉法輪』を学ぶことを通じて、真・善・忍に基づいて自分を律し良い人になることを私は知りました。私の体はよくなり、心もよくなり、村の人はみな私が変わったと言いました。村の書記は「〇〇〇(私を指す)は私たちの村の女性の中で、最もすごい人です。法輪功は彼女をよくし、本当にただの気功ではありません」と言いました。
村の書記はなぜ法輪功が私をよくしたことを称賛したのでしょうか? なぜなら以前私は性格が外向的で、せっかちな性分で、短気だったからでした。誰かが私に逆らったら、私はその人の「尻尾」をつかみ3回振り回すどころか、満足するまで尻尾をつかんで離しませんでした。私はいつも人とけんかをし、勝つまでやめませんでした。私を知っている人はみな、私を避け「村のいじめっ子」でさえ私を見るといつも先に私にあいさつしました。ある人が私に「あなたがもし男なら、各地を渡り歩き、遍く天下を打つ無敵の使い手になったでしょう」と言いました。そのため、私の人生は失敗でした。私がどこにいようと、いつも「敵」がいたからでした。私が闘争心が旺盛だったので、もともと弱っていた体に大きな負担がかかり、これもなぜ私が40歳になる前にベッドの上で麻痺して死ぬのを待っていたかの理由でした。
ある年、家で村役場に負担金を差し出すことになりました。私の家は当時困難で、家のお金を払いましたが村役場に50元の借金ができました。村役場は「農作物で納めてもいいです」と言いました。私の夫は急いで車を引いて行きトウモロコシをこの50元の借金の代わりにしました。翌日私は村役場に精算に行き、会計担当者が清算し、私の家にまだ50元の借金がある、と言いました。私はすぐににらんで「私たちが昨日収めた年貢は、どうやって支払うのですか? あなたはどうして記帳しないのですか!」と言いました。会計担当者は「私が記帳しなかったのではなく、あなたが払っていないのです」と言いました。
私はしつこく絡みました。この時ある人が会計担当者のために口を挟み、すぐに私を怒らせ、口論しながら帳簿を掴み、そろばんを投げつけ、会計担当者たちに仕事をさせませんでした。村役場の中では村民がみな支払いを待っていたので、私は「私はこの勘定はよくわからず、ここから先は誰も勘定を付けようと思ってはいけません!」と大声を出して叫びました。私のこのようの横柄な態度を見て、村の書記は無理やり私を室外に引きずって行きました。たくさんの人々が見守る野次馬見物の下で、私は拳を上げて村の書記を殴り始め「私はあなたに伝えます、私がなぜあなたを殴るのかを。なぜならあなたは部下をうまくリードできておらず、あなたはどうやってリードしたのですか? ですから私はあなたを殴ります。書記としてこのあなたは不適任で、あなたは早く地位を譲ってください!」と大声で叫びました。村の書記は反撃せず、ただ笑顔を浮かべていただけでした。その後にはじめて知ったのですが、間違いは私の夫にあり、夫が自分で会計担当者に報告するのを忘れたせいだったのでした。
また1年が過ぎ、穀物を家に取り入れたばかりでした。ある日の夜、村の書記が高音用スピーカーで「道路の両側にトウモロコシと高粱の茎を干している各戸は注意すること、明日の午前中は必ず干し物をみな持って行きます。午後に畑を鋤き始め、省のリーダーの視察を歓迎します。村(政府)は1ムーの土地に20元の補助金を出し、負担金から差し引きます」と言いました。その時私の体は悪く、力仕事はあまり行えませんでした。畑を鋤くのが遅れて、村役人の仕事に支障をきたすのを恐れたため、夫は手伝ってもらうために舅に助けを求めました。
舅は70代の年寄りでした。空がまだ明るくならないうちから、舅と私たちは一緒に農作物でいっぱいの畑でトウモロコシを抱え、暗い中をデコボコで歩きにくい道を歩きました。舅はトウモロコシの残り株に何度もつまずいて転び、何度も往復し、疲れ果て、倒れました。私はそれを目で見ており、心の中で「舅はこんなに年をとっていて、私たちを助けるために仕事をし、本当に転んでけがをしてしまったら、私たちは、どれだけ大きな責任を担わなければならないのでしょうか?」と圧倒されたように感じました。仕事をしながら、私はずっと心配で心臓がバクバクしていました。幸いなことに、舅は怪我をしませんでした。
あっと言う間に、負担金を払う時が来て、村の幹部が玄関までお金を要求しに来ました。やはり本来の負担金を払わなければならず、村の書記は高周波(訳注:無線通信)放送で「1ムー当たりに補う20元はカウントしない」と言いました。私は憤慨し、お金を払う時、補うと言ったそのお金を払いませんでした。後日、村の幹部たちが村の書記を除いて集まり、何回も私に会うために家に来て私が払わなかったお金を要求しました。毎回私の態度はいつも硬く「このお金は払います。しかし、あなたたちは下級官吏だ、あなたたちは戻って書記に伝え、彼が自分で取りに来たならば、私はお金を自ら彼に払わなければなりません」と言いました。私はずっと村の書記がお金を取りに来るように要求しましたが、村の書記は一向に来ませんでした。最終的に、私が払わなかったお金は静かに私たちのところに返ってきました。その時私は自分が能力があり、すばらしいと感じました。私は一般人でしたが、村の書記でも私を恐れていました。
法輪大法を修煉した後、過去に自分が行ったことは夢を見ていたかのような、いやな夢のようであったと私はわかりました。師父は「人は、以前に悪事を働いたために生じた業力のせいで病気になったり、魔難に遭ったりしています」[1]「人はなぜ病気になるのでしょうか? われわれの見るところでは、病気とあらゆる不幸を引き起こす根本的な原因は業力であり、あの黒い物質の業力場です。それは陰性で良くないものです。一方、良くない霊体も陰性のもので、いずれも黒に属するもので、環境が合うので、そこにやってくるのです。それは病気に罹る根本的な原因であり、病気のいちばん主要な源です」[1]と説かれました。
私の過去の全身の横暴さは、どれだけの人を傷つけ、どれだけの業を作ったのでしょうか? 私が病気にならないで済みますか、病気が重くならずに済むでしょうか? この一生で、私は幸運にも法輪大法を修煉し、師父はどのようによい人になるのかを私に教えてくださいました。宇宙の最高特性である真・善・忍に基づいて行動して、はじめてよい人であるということを私は理解しました。いかに行動するのかという天理がわかったので、私は人と争ったり、けんかをしたりしなくなりました。そのかわりに私は他の人を大切にし、隣人や近所の確執や恨みを溶かし、みんな一緒に喜んで仲良くなりました。
ある男性は、私がかつてみんなの前でその男性のほっぺたをたたき、その男性は私に対して心にわだかまりができました。15年経ち、会っても私を無視しました。私は積極的にその男性にちゃんと謝り、その男性の理解を得ました。
ある親戚の義理の妹は、顔を合わせば口喧嘩をしていたので、私と何年もの間会っておらず一言も話していませんでした。私は大法の中で培われた慈悲の心で、私たちの間の一つのギャップを取り除くことにしました。その後、義理の妹も法輪大法の修煉に入り、すでに修煉して十数年になりました。私とその義理の妹の2人は同修になり、とても仲良く、有無相通じ、ずっと話し、いつも一緒に修煉体験を交流し、実の姉妹より親しくなりました。ある隣人が私に「法輪功のおかげで、あなたたち2人は今日があります」と言いました。
法輪大法を修煉して、私は善良になり、村の人も私を避けていたのですが積極的に私に近づくようになりました。村の人たちは私の変化から法輪大法のすばらしさを見て、ある人は私と一緒に大法を修煉しました。修煉後、村の人たちも恩恵を受けました。法輪大法のすばらしさは、故郷の人たちの心に深く根付きました。
1999年7月20日、中国共産党(以下、中共)の党首である江沢民が法輪功に対する本格的な弾圧を開始し、真っ赤な大嘘が天地を覆い隠すかのようでした。警察署の警官は昼夜を問わず村に来て法輪功修煉者に嫌がらせをしました。ある日、村の書記はいら立ち、警察署の署長に「法輪功のどこが悪いのですか? 法輪功は私たちの村の死にかけていた人々の命を救いました。あなたは自分とは関係ないのですか? 法輪功を苦しめて何をするのですか?!」と言いました。
お偉方が何を命令しようが、どんなに督促しようが、村の書記は家を訪問して私に会ったことはなく、共産党が法輪功を迫害することに対して心の底から憤りを感じていました。私が中共の迫害に遭って路頭で迷っていた期間、いつも家に来て、村の書記はずっと私を保護してくれたのでした。
(続く)
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』