師と法を信じて、生死の関門を乗り越えた
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文/中国の大法弟子   

 【明慧日本2021年8月17日】昨晩、私の子供が「師父や大法を疑ったことがありますか」と聞いてきました。私は、師と法に対する私の信念は修煉によって得られたものだと話しました。修煉を始めたばかりの頃は、疑うこともありました。当時の私は悟性が悪かったのです。しかし今では「師や法に対して何の疑いも持っていない」と胸を張って言えます。

 私は20年以上にわたって法輪大法を修煉してきました。師父のご加護のおかげで、私は今日まで修煉の道を歩いて来れました。勤勉さに欠けていたとしても、師と法に対する私の信念は決して揺るぐことはありません。師が犠牲になって私たちを救ってくださったこと、そして私たちのために苦労を重ねてくださったことにとても感謝しています。

 私がどのようにして大法の無限の力と師の慈悲深いご加護を体験し、病業の関門を乗り越えたのか、皆さんにお話ししたいと思います。

 一、邪悪が作り出す偽りの現象を見分け、それを否定する

 私は2016年にテレビドラマを見始め、修煉を怠っていました。毎日、食事の時もテレビを見ていて、約2年間、集中して法を学ぶことができなかった私は、旧勢力に狙われました。師父は私に修正の機会を何度も与えてくださいましたが、私はそれを無視し続けました。私は警官に連行され、どうしたらいいのかわかりませんでした。師父にもう一度助けを求める勇気もありませんでした。私には明らかにいろいろな執着がありました。このような精神状態の中で、私は旧勢力の迫害を認め、他の修煉者に迷惑をかけないように自分のしたことを認めました。

 拘置所には2カ月以上拘禁されました。その時、最初の病業である「うつ病」に襲われました。ある朝起きたとき、胸に何かが詰まっているような感じがしました。憂鬱で悲観的な気分になり、生きているのが嫌になりました。しかし、私はすぐにそれに気づき、こう思いました。「憂鬱は私の一部ではなく、私はそれを必要としない、死んでしまえ!」。それからの12日間は、起き上がるとすぐに憂鬱な気分になりましたが、すぐに上記の言葉を繰り返すと、だんだんとその憂鬱という症状が消えました。

 しばらくすると、2つ目の病業が出てきました。それはめまいでした。最初は無視していましたが、何度か起こっているうちに警戒するようになりました。ある受刑者が言うには、多くの受刑者がめまいを感じるのは、我々がよく食べていないからです。ほとんどが高齢者で、年齢の割には働きすぎだからです。その日の午後、私はふと、自分は修煉者で、それを普通の状態と認識してはいけないと思いました。うつ病をなくしたのだから、めまいをなくすこともできるはずだと思いました。しかし、私には疑問がありました。私は確固たる一念を発しました。「めまいは私の一部ではない。いらない。死んでしまえ」。そうしたら、めまいが消えて、二度とめまいの症状は現れませんでした。

 私は4カ月間拘禁されている間、腰痛に悩まされていましたが、あまり気にしていませんでした。毎日、残業して頑張っていたので、独房ではよくある現象でした。ある夜、痛みのためにベッドで寝返りを打てなかったとき、私は自分が正しくない状態にあることに気づきました。私は同じ念を発しました。「あなたは私ではない。私はあなたを必要としていない。死んでしまえ!」 と。その後、私の状況は大きく改善しました。その後、私は正念を発し続け、しばらくすると完全に回復しました。

 以上の3つの出来事は、私に大法の力を確信させました。

 二、内に向かって探すことで生死の関門を乗り越えた

 拘置所から釈放された後、夫(同修)が亡くなり、私はとても感情的になりました。体から大量の出血があり、感情が邪魔をしているのだと思いました。しかし、私はこう思いました。「あなたは私ではない。私はあなたを必要としていない。死んでしまえ」と思っても、うまくいきませんでした。出血はさらにひどくなりました。私は夫に対する執着を手放せなかったのです。代わりに私は考えました。「大法はどんな問題も解決できる。もっと修煉して、もっと法を学んで、正念を発し続けよう。大法はどんな問題も解決してくれる」。私はこの考えが大法を完全に信じていることを示していると自信を持っていました。しかし、実はこの考えには大きな欠落がありました。私は自分の執着に従っていたので、血が止まらなかったのです。

 私は仕事が忙しく、多くのことを考えていたので、集中して法を学び、煉功をすることができず、落ち着いて内観することができませんでした。正念を発しても、力を感じませんでした。パニックになり、もし死んでしまったら? 私は、夫への感情を放下し、感傷的な気持ちを捨てなければならないと思い、一生懸命、手放そうとしました。しかし、出血は止まりませんでした。私は自分の執着のリストを紙に書き出しましたが、出血は続いていました。私はそれが大きな問題になっていることを知っていました。

 しかし、その問題はどこにあるのだろうか? 私はそれを見つけることができませんでした。正念を発しても、力にならず、私は師父にヒントを与えてくださるよう懇願しました。

 私はある出来事を思い出しました。娘に、師や法を軽視したことはないかと聞かれたことがあります。私は「ないです」と答えました。私は彼女の質問を笑い飛ばし、師と法をしっかりと信じていることを誇りに思っていました。私は内観することをすっかり忘れていました。しかし、今度は自分の内側を見て、深く掘り下げてみると、修煉を始めた当初、私は師父を軽視するような考えを持っていたことがわかりましたが、それは後に修正しました。もしかしたら、私はそれを完全に取り除いていなかったのでしょうか? 私は、師と法を軽視するすべての要素を排除するために、正念を私の空間場に送りました。

 その時、私の正念には力があることがわかりました。私は執着を見つけたことを確信し、30分ほど正念を発し続けました。すると、出血は止まりました。とても嬉しかったです。私は完全に回復したと思ったので、正念を発するのをやめました。出血は3日目に戻ってきました。私は他の執着があるに違いないと思いました。そこで私はさらに深く掘り下げ、正念を発し続けました。しかし、私の正念には力がなく、助けにはなりませんでした。「何が悪かったのだろうか? 出血して死んでしまったらどうしよう?」と考えていました。

 私は病院に行くことを考え始めました。痛みを感じるし(恐怖の執着)、多額の医療費がかかるかもしれない(利益の執着)、パニックになった私は、娘に私の葬式の段取りを話しました。私の両親に何と言えばいいかまで考えていました。娘は怯えて泣いてしまいました。その様子を見て、私は目が覚めました。こんなに悲観的で自分勝手なことをしていてはいけないのです。

 私はトラブルを避けたい、苦しみたくないと思っていたのです。だから死ねばいいと思ったのです。私はこの考えが正しいものではないことに気づき、しっかりと否定しました。私はここにいなければならないのです。もし私が死んだら、私が責任を負うべき衆生はどうなるのだろう? 救われるのだろうか? 私が死んだら、親族や友人に悪影響を与えるのではないかと考えました。

 私は旧勢力に騙されてはいけないのです。「死にたい」という思いは、旧勢力が私に押し付けた邪悪な思いだったのです。私は師父にもっと時間をくださるように頼みました。大法がこの艱難辛苦を乗り越えさせてくださることを知っていたからです。私は病院に行く必要はありません。常人の方法では私の修煉問題は解決できません。私は2日間の仕事の休暇を申請しました。

 私は穏やかな気持ちで法を学び、煉功をしました。自分の中にある執着を探し、師と法を軽視するという同じ問題を見つけました。私は真剣に修煉していなかったし、師父の話を聞かなかったのです。私は師父の啓発を無視し、修煉を怠ったことで、師父に多くの業を背負わせたに違いありません。私は師父に対して何と無礼なことをしたのでしょう。この執着を見つけたとき、私は一気に力を得ました。もう一度、私の次元場から師と法を見下した要素をすべて取り除きました。すると、30分もしないうちに出血は止まりました。

 師父への感謝の気持ちは言葉では言い表されません。そのとき、私は「修煉者にとって内に向けて探すことは最も有効な方法です」『二〇〇九年ワシントンDC国際法会での説法』という法をさらに深く理解しました。

 三、心からの九文字を念じれば、本当に奇跡が現れる

 出血が止まったとはいえ、不安はまだ残っていました。左下腹部に鈍い痛みを感じ始めたのです。私はそこに手を当てて「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」(心からの九文字)を念じることで、心からの九文字が届くところでは、そこにいる衆生が法に同化するか、悪が排除されるかと悟りました。私は集中した心でゆっくりと、心からの九文字を唱え、その衆生に向かって言いました。「師父は宇宙の法を教えてくださいました。私がうまく修煉できなかったので、皆さんは大法に救われなかったのです。今、私は宇宙の大法を伝えています、一緒に法に同化しましょう」。この心からの九文字を衆生に向けて丁寧に言うと、私の苦しみは消えました。

 私がこのような苦難を経験したのは、集中して法を勉強したり、煉功をしたりしなかったからだとわかりました。多くの執着が残っていたのです。ですから、私の体の中のいくつかの衆生は、法に同化していませんでした。私が直接彼らに大法に同化するように言ったとき、私は完全に回復しました。

 ある時、私は左腕に痛みを感じました。あまりにもひどく、煉功するのも困難なほどでした。それが1年以上も続きました。私は内に向かって探し、正念を発しましたが、解決には至りませんでした。自分の執着を確認していないことを知っていたので、腕はますます痛くなりました。結局、煉功ができなくなりました。私は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」と言ってみようと思いました。毎晩寝る前に、右手を左肩に当てて、衆生に向かって言いました。「『真・善・忍』に同化しましょう。もし、あなたたちが真実を知らないのであれば、私は今、あなたたちに伝えます。もし私があなたたちに何かを借りているなら、今すぐにでも解決します。もしこれが旧勢力の妨害を招いているのであれば、今すぐに排除します」。私の腕は日に日に良くなってきました。言い忘れたとき、痛みは和らぎませんでした。1カ月後、私の腕は完全に回復し、再び煉功ができるようになりました。

 ある日、1人で家にいたとき、自分の考えが邪魔をして、不注意にも悪の成長を助長していることに気づきました。私は心を集中させ、ゆっくりと1時間かけて「真・善・忍」を繰り返し唱えました。すると、とても心地よく、エネルギーに包まれているように感じました。後になって、私の水虫という病気が消えたことに気づきました。

 この記事を書いている間に、私は大法の法力は無辺であることを悟りました。法はどんな問題でも解決して下さいます。干渉を経験した理由をまとめてみました。

 1、怠惰。私の問題の多くは、怠惰に起因しています。私は積極的ではなく、問題を速やかに解決しませんでした。邪悪により干渉が拡大しました。

 2、警戒しないこと。私は常に正念を保っていませんでしたし、常人のような観念が常に干渉していました。

 3、師父は私を救うために多くのことをして下さり、衆生は私の救いを待っていることを知っていました。私は修煉に真剣に取り組んでいませんでした。私に期待してくれた衆生に謝りました。

 個人的な体験ですので、次元に限りがあります。適当でない所があれば、同修の慈悲なるご指摘をお願いします。合掌!!

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/4/6/421090.html)
 
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