修煉なら実修すべき
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文/中国の大法弟子  

 【明慧日本2021年9月3日】最近、地元で数人の同修に深刻な病業状態が現れ、入院した人もいます。チーム学法の時、ある同修は「最近は妨害が大きく、座禅する時足がひどく痛み、発正念もぼうっとしてしまいます。元々抱輪1時間は楽勝だったのに、今ではたった30分でさえ精一杯です」と言いました。またある同修は「以前は1日に法を1講暗記できたのに、現在は少ししか暗記できず、思うようにできなくて困っています」と言いました。

 私としては、実修が大事だと考えています。実修することができなければ、妨害が大きいのです。最後になるにつれ、要求も高くなります。旧勢力は絶対にあなたの問題を見過ごすわけにはいきません。彼らは必ずやりたいことをやるのです。良くない状態が現れたとき、往々にして修煉に問題があり、実修していないからです。たとえ些細なことでも、如何なることも、心を修める試練となります。

 あるとき、2人の子供がうちの納屋の屋根の上で遊んでいました。私は2人の子供に対し、「あなたたちは他人を思いやらないと、走り回っていたら屋根に穴が開いてしまうのではありませんか。早く降りなさい」といいました。すると、2人の子供はまるで私のことばが聞こえなかったかのように目もくれず、相変わらず走り回っていました。その時、近くにいた人が2人の子供に対し、「転げ落ちたらまずいぞ、降りましょう」というと、2人は素直に降りました。

 私はすぐに悟りました。子どもに「他人を思いやるように」と言ったのは、「高尚」のように聞こえたとしても、「私(し)」のためであり、自分の屋根に穴が開くのを嫌がっていたのです。しかし、子どもが転げ落ちるのを恐れた人こそ、本当に子どもたちのためであり、人の心を動かせたのです。些細なことですが、自分との大きな差が見え、認識が少し高まり、心性をまた高めることができました。

 以前、同修と会っていた時、私にはある習慣がありました。「Aさんは?」「Bさんは?」「Cさんは……」と、すべての同修について尋ねてやっと安心できるのです。もし誰かが関を乗り越えられず病業が現れて入院したとかを聞くと、いつまでも気掛かりで、恨む心まで生じてしまいます。「なぜこんなに長い時間経っても乗り越えられないのか、しっかり修めているのか」

 最近、私はこの習慣を徹底的に変え、同修の良い面しか見ないようにしています。誰かが陰口を言うとき、私は黙ります。人が修めているのであって、神ではありません。誰にだって不足があります。ただ同修のために正念を発し、心配性をなくしました。このようにすれば、座禅する時心が以前より静かになり、清らかになったと感じます。

 以前私は商売をしていたため、大金を扱ったことがあります。自分は金銭に淡白でいて、利益心があまりないと考えていました。しかし最近、この心とは違う感覚がしばしば現れてきます。野菜や果物を買う時にも数円で心が動じてしまいます。売主が秤で重さをはかっているときも、内心安くなるように思わずにはいられませんでした。妻と一緒に買い物するときも、誰がお金を出すかと尋ね、妻が「誰でもいいよ」というと、私は「じゃあなたが出して」と言いました。後になって、自分は最低だなと思いました。金銭面ですでにすべてを放下したと思い込んでいたのに、なぜこんな些細なお金までいちいち気にするのでしょうか。人心は気を付けなければ、草みたいに伸び放題になってしまいます。これに気づいてから、発正念で利益の心を徹底的に滅し、気分が晴れやかになりました。

 私は息子の嫁に伝統文化と師父の説法を聞かせようと思って、プレイヤーをあげました。彼女に「妊娠して家でゆっくりできるので、必ず師父の説法を聞くように、これはあなたと赤ちゃんには大事なことです」と伝えましたが、息子の嫁は伝統文化しか聞かず、師父の説法を聞きませんでした。私が何回か促すと、彼女はいつも「わかりました」とだけ言いました。その後、妻に「伝わればいいのでは、繰り返すのはよくない」と言われ、私ははっと悟りました。彼女に説法を聞かせるのは彼女のためだとかこつけて、実は自分の打算がありました。彼女が説法を聞けば、子どもが恵まれて、子孫が繫盛するという自身の「気がかり」と「望み」が隠されていたのです。

 4月、私は明慧ネットの「5.13」文章投稿活動に応募しました。とてもまじめに書き、生き生きと書くことができ、書いているとき自分も感慨深くなりました。きっと発表されるだろうと待ち望んでいたところ、毎日確認しても発表されておらず、また考えさせられました。あまりにも自負で、自分を重視し、自我を証明する心が強すぎたのです。こんな心で円満できるのか、大法弟子が実証しているのは法であり、自己ではありません。私は「自分を実証する心を徹底的になくす」と発正念をしました。

 おととい、ある同修が私に自分が見た夢を話してくれました。夢の中で正法が終わり、広場に多くの同修が集まっており、みな円満成就しました。そして同修は続けて「この中にあなたはいませんでした」と言いました。私は驚きながら、自分はいままで一生懸命修めてきたのに、なぜ円満した人に私がいなかったのかと内心穏やかではありませんでした。それから、修煉者は自分の感覚に陥ってはいけないこと、以前のようなマイペースな修煉状態ではいけないことを悟りました。正法は最後の最後、急いで追いつき、何か人心が見つかればすぐ取り除かなければなりません!

 ほぼ毎日、私は様々なちょっとしたことに出会っています。実修を重視するようになってから、これらの些細なことから人心の現れが見つかります。この時はすぐに発正念をして放下します。このような実修の状態を保っていれば、向上が早いと感じます。毎日精進し、修煉の状態にあり、充実して満足しています。

 以上、個人の体得と浅はかな認識を同修と交流しました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/6/26/426306.html)
 
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