【明慧日本2021年9月15日】(甘粛省=明慧記者)高鋒さん(男性)は、1995年に国営企業の蘭州中興電子機器会社に就職し、長期営業業務に従事していた。その年の初めに法輪功を学び始めた。法輪功を学んだ後、高さんは長年の頑固な気管支炎と胃痛が治り、短気な性格、飲酒、麻雀などの良くない習慣をやめた。仕事の中でも生活の中でも、高さんは真・善・忍に基づいて自分に要求し、名利に対して淡白になり、 苦労をいとわず仕事に取り組んでいた。長年、高さんは多くの得意先や関連会社の上司から信頼されていた。
1999年7月に、中国共産党の江沢民集団による法輪功への残酷な弾圧が始まって以来、高さんは繰り返し厳しい迫害を受けた。
一、北京での陳情活動で連行される
1999年7月20日、高さんは法輪功と法輪功師父の潔白を取り戻すため、北京に陳情に行った。7月21日、北京の豊台体育場で数万人の法輪功学習者(以下、学習者)が夜遅くまで拘束された。
高さんは警官の指示に従わず、大型バスに乗らなかったため、数十人の警官に激しく殴られた。眼鏡が壊れ、顔の右側が腫れ上がり、全身に数々の傷を負った。 7月22日、高さんは引き続き陳情に行き、また連行されて北京市海淀区にある集会場に拘束された。
拷問のイメージ図:殴打される |
二、集寧市の麻薬戒毒所で受けた迫害
集寧市の麻薬戒毒所で、高さんは耳を殴られたり、胸を蹴られたりした。また、監房や中庭、トイレの掃除、畑の肥料運び、木を切ったり、根っこを掘ったりなど、強制的に働かされた。 そして、毎日の食事は、朝と夜に穀物の饅頭1~2個とお湯だけで、おかずは一切なし。1つの饅頭は4元で、毎日の食事代として8元を支払わされた。
三、北京市海淀区の留置場での拷問
2000年11月19日の夜、高さんと十数人の学習者は、勉強会を行った時に、北京市公安局、国内安全保衛部門(法輪功迫害の実行機関)、および豊台区の関連部門の警官らにより連行された。
公安局で尋問された時、高さんとほかの学習者は殴られ、蹴られ、靴底や物干し竿、手錠などで顔を叩かれ、髪を引っ張られて壁に叩きつけられた。高さんの体の敏感な部位(生殖器や土踏まずなど)は、スタンガンで電気ショックを連続的に与えられたため、焦げて膿が流れ出た。さらに、全身に冷たい水をかけられるなどの拷問を受けた。
拷問の再現:頭を掴まえられ壁に叩きつけられる |
拷問のイメージ図:ベッドに縛り付けられ電気ショックを与えられる |
拷問のイメージ図:冷たい水をかけられる |
四、北京大興県の遣送処刑務所で受けた迫害
2001年3月1日、北京の豊台区裁判所は高さんに懲役4年の実刑判決を言い渡した。2001年5月、高さんは北京の大興県遣送処刑務所の第6大隊に送られた。 そこで、高さんは身体検査、採血を強要され、糸の選別、手提げ袋の紐付け、割り箸を作るなどの作業を強制された。
十数人の警官が毎日交代して、高さんを脅し、罵倒していた。真夏の夜、受刑者らはパンツ一枚だけでもなかなか眠れない暑さの中で、監視役は3枚の掛け布団を高さんにかけた。
五、甘粛省蘭州刑務所で受けた迫害
2001年5月22日、高さんは北京から甘粛省蘭州刑務所に送還され、強制労働や洗脳による迫害を受けた。
蘭州刑務所は、高さんを批判する過酷な洗脳大会を開いた。高さんは小さな椅子に座らされ、睡眠や人との会話も許されず、洗脳勉強会に参加させられ、強制労働をさせられ、庭やトイレの掃除、水汲み、土掘りなどの作業をさせられ、様々な拷問を受けた。
拷問の再現:小さな椅子に座らされる |
拷問のイメージ図:両手を後手にされ吊るし上げられる |
拷問のイメージ図:灌食される |
六、4年間の刑期を終えて、直接洗脳班に連行される
2004年11月19日、高さんは蘭州刑務所で4年間の刑期を終えたが、直接蘭州の龔家湾洗脳班に移送された。
洗脳班で迫害を受けた結果、高さんは重度の結核症状が現れた。咳と吐血、頭部の激しい神経痛、めまい、心臓の痛み、体が急に寒くなったり熱くなったりして、全身が震えて歯ががたがたし、足が恐ろしく大きく腫れ上がって潰瘍し、手も饅頭のように腫れていた。2005年4月4日、洗脳班の関係者は高さんの姉に1000元を払わせた後、高さんを解放した。
七、再び連行される
生計を立てるために、高さんはバイトを始めようと思ったが、身分証明書がなく、迫害で体が弱っていたため、なかなか仕事が見つからなかった。2006年5月19日、北京の学習者・曹東さんの自宅に身を寄せた。
5月21日の朝、曹さんは出かけたまま帰って来なかった。5月26日午後6時になって、国家安全局の男性5人と女性1人が、鍵を持って曹さんの家に侵入して家宅捜索を行った。高さんは再び連行された。そして、曹さんは欧州議会の副議長であるエドワード・マクミラン・スコット氏に会い、中国での法輪功への残酷な迫害を暴露したため、国家安全局の警官らに連行されたことが判明した。
29日の夕方、高さんは病院に引きずり込まれ、何度も乱暴にチューブを食道に挿入され、灌食された。その直後、高さんはめまいと吐き気を感じ、胃が激しく痛み、大量の汗をかいた。
八、迫害は生活の隅々にまで及んでいる
2006年5月31日の午後、高さんは蘭州市安寧区の警官らに蘭州まで連れ戻された。それ以来、高さんと家族は、絶え間ない嫌がらせを受け続けている。
九、公職を解雇され、経済的な被害を受ける
地元の警官はたびたび高さんの勤務先に圧力をかけた。2000年5月初旬から、繰り返し迫害を受けた高さんは、2005年辞職を余儀なくされ、放浪生活をしていた。