新しい学習者 師父はずっと私を見守ってくださっている
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文/アメリカの大法弟子

 【明慧日本2021年9月21日】

 尊敬する師父、こんにちは!
 同修の皆さん、こんにちは!

 私は今年で26歳、ルーマニア出身です。今はアメリカに住んでいます。2018年にルーマニアで友達から初めて法輪大法を教えてもらいました。その時すぐには修煉しませんでしたが、そこからの私の生活は、顕著に改善していきました。

 法を得る

 私は生まれた時からキリスト教徒で、神を信仰していました。しかし年々成長するにつれ、多くのことが変化しました。私は心の深い所で、長らく宇宙の真理と生命の意義を探し求めていました。

 ある時期、私はひどく混乱しており、父母との間にも多くの苦しみがありました。私は様々なキリスト教派の中に真理を探し求め、牧師さんを含め何人もの人々と話し合いました。そして精神修煉に関する本を何冊も読みましたが、どれも私が心の深くで探し求めていたものではありませんでした。

 友達が法輪大法を紹介してくれる前、私の心の深いところで、探していたものにもうすぐ出会えると直感がありました。私はこの感覚を友達に伝えましたが、彼女自身もまだ修煉していませんでした。

 彼女の紹介で大法修煉者のYoutubeを見た私は深く感動し、心の奥底から何かが目覚め、全てが変わったのです。

 大法に触れたばかりのときは『轉法輪』の一部分を読んだだけで、私はまだ修煉を始めていませんでした。なぜなら修煉するためには、たくさんのことを処理しなければならず、自分の恐怖心や、いくつかの欠点を認めること等をしなければいけないからです。

 私は修煉とは何かを本当に理解しておらず、大法を修煉する決意が固まっていませんでした。しかしその頃から、私の生活はすでに改善し、性格もだんだんと変わり、身体も浄化されました。例えば、タバコの味がそんなに美味しくなくなり、タバコをやめました。同時に、肉を食べることに固執しなくなりました。そして私は導かれるように『轉法輪』を購入しました。

 多くの苦難と変化を経て、私は婚約者と結婚するためにアメリカに移り、修煉を始めました。学法が進むにつれて、だんだんと自分を呼び覚ましたのは大法だと分かりました。これも決められた縁なのだと分かったのです。

 学法を始め、修煉を始めたとき、師父は私の面倒を見て下さっていると感じました。そして学法を続けるうちに、師父は私が初めて『轉法輪』の第一講を読み始めたときから見守って下さっていたのだと分かりました。そして更に修煉と法の理解が深まるにつれ、ずっと昔から師父は私を見守ってくださっていたと悟りました。

 師父は説かれました。「今のこの時間が最も喜ばしい時だったと、将来きっと分かることでしょう。もちろんわれわれは縁を重んじます。皆さんがここに坐っていることは、すべて縁によるものです」[1]

 修煉環境

 アメリカに来てすぐに中国共産党(以下、中共)ウイルス(武漢肺炎)が流行し、そのために外出ができず、同修と会うことも出来ませんでした。私にとっては、全てが新しいことでした。そのとき私はルーマニア語の『轉法輪』を学んでいて、ルーマニアの友達(同修)と交流していました。私たちは互いに励まし、修煉体験を分かち合いました。彼女と出会わせて下さった師父の慈悲なる按排に感謝します。私たち2人は遠く離れ、異なる国にいますが、このような得難い修煉環境を与えて下さいました。私は師父の煉功動画を見て、5式の功法を覚えました。

 中共ウイルスの流行がピークのとき、付近の煉功場に連絡しました。煉功場の同修と電話で数秒話しただけなのに、私の心は揺さぶられました。大法の場を感じ、その日は心がとても明るくなりました。中共ウイルスが原因で外での煉功は閉鎖しましたが、同修は私と毎日電話で共に学法してくれました。彼女は中国語で読み、私は英語で読みました。このおかげで、『轉法輪』を学び、修煉で精進することが大切だと理解できました。

 しばらくして、同修は私にソフトウェアの使い方を教えてくれました。私はそれを使って毎週の英語の学法グループに入ることにしました。当初、英語を学び始めたばかりで、ネイティブの発音ではなかったので、話すときや、学法のときは特に緊張して恥ずかしかったことを覚えています。だんだんと『轉法輪』の学法を通じて、私は内に向けて探し執着を取り除いていきました。始めたばかりの頃は、英語の学法グループがとても苦しいもので、普通に呼吸が出来ずに息苦しく感じ、学法が終わると泣いていました。

 私は名利に執着し過ぎていて、他人が自分をどう見ているのか、面子を気にしていたと分かりました。英語をネイティブのように読みたがり、嫉妬心が生じました。また、他の同修に対して観念があることも分かりました。例えば集団団学法で、私はある同修が読んているのを聞くのが好きで、他の同修が読むのを聞くのが好きではありませんでした。また他の人が善意で私の発音を指摘したり、あるいは彼らがはっきり聞き取れずに「もう一度読んでほしい」と言うと、心が乱れました。私がだんだんと分かってきたことは、自分も同じように他人にレッテルを貼っていた事でした。同時に分かったのですが、繰り返し言うことになったり、別の言い方を考えるのが面倒と思った時、私に寛容さが不足します。

 私はだんだんと、英語の発音がネイティブのようではないことや間違うことを受け入れられるようになりました。自分が知らない事を気にするのではなく、どのように英語を上達させるかに集中しました。これらの経験も私に「失わないものは得られず」[1]の法理を理解させてくれました。以前の私は、他人から発音を笑われたり、自分のことを良く思われなかったりすることを恐れすぎていました。徐々に一歩一歩、闘争心、恐怖心、嫉妬心、面子への執着を取り除き、気にしなくなりました。

 師父は説かれました。「われわれが失うものは、実際に悪いものにほかなりません。それは何でしょうか? それはほかならぬ業力なのです。この業力は人間のさまざまな執着心と一体関係にあります。例えば、常人はさまざまな良くない心をもち、個人の利益のためにいろいろ悪いことをし、そこで業力という黒い物質を得ることになります。これはわれわれ自身の心と直接に関係していることなので、良くないものを取り除こうと思えば、まずあなたのこの心を是正しなければならないのです」[1]

 真相を伝える

 師父の各地の説法を深く学ぶにつれ、世人に大法の真相を伝えることが極めて重要だと認識しました。中共ウイルスの流行は続いており、アメリカに来て間もない私は何の真相プロジェクトにも参加していませんでした。

 私が思いついたのは、マンション付近の屋外で煉功することでした。本当に実行する決心をするまでには、しばらく時間がかかりました。

 師父は説かれました。「皆さんの責任は全世界の衆生を救うことであり、それよりも大きいことです。ですから、皆さんは必ず自分の考え方と振る舞いを変えなければなりません」[2]

 同時に私は蓮花の折り紙を学びました。師父は様々な方法で私が外で煉功するのを啓示してくださり、私もこれは確かに自分が行うべきことだと気づきました。外で初めて煉功した日、近所の人が来て、「法輪大法にとても興味がある」と言いました。今では、道行く誰もが私のことを知っています。何人かは私がそこで煉功しているのを見て、とても喜んでくれています。ある日、以前雑談したことのある女性が言いました。「とても苦しいことがあった日も、あなたを見ていて、いい気持ちになりましたよ」。彼女の話に私は感動し、これも師父の按排だと分かりました。大法修煉の場は、衆生にとってこの上なく素晴らしいものだと私に分からせて下さったのです。煉功していると、人々はよく私に微笑んで、挨拶してくれます。

 屋外での煉功の経験は、私の多くの執着を明らかにしてくれました。例えば、大法でなく自分を実証する執着心です。私が折った鶴の折り紙を人から褒められると、私は嬉しく感じました。また外で煉功しているので、自分がとても格好良くて、スマートで、賢く見えるという考えが生じたりしました。

 師父は説かれました「名を為る者は、氣恨むこと終生」[3]。

 時にこの思想が、一回また一回と出て来たとき、私は落胆しました。しかし、修煉はゆっくりした過程ですので、この執着心が出て来たときこそ、精進していつもそれらを取り除いています。それらが表面に現れてくるのも良い事で、それらを見つけたら、法に則っていない一思一念をさらに取り除くことができます。

 私は自分の住む地区で「臓器狩り停止の署名活動」を始めました。その過程で、私は常にどのようにして更に良く行うのか、どう人に話しかければ良いのか、彼らにどのように良く説明できるのかが気になりました。私にはまだ社会や政治方面の知識がなく、英語にも自信がありませんでした。ですから私は一人での署名活動は避け、いつも他の同修と一緒に活動したかったのです。しかし実はこれも自分の情に対する執着を反映していて、「師を信じ、法を信じること」が出来ていませんでした。これら全ての執着と妨害は、私が1人の大法弟子として行うべきことの障碍となっていると悟りました。真相を良く伝えるには、必ずしも多くの知識が必要ではなく、心を込めて法を実証し、大法弟子に対する邪悪な迫害を暴露することが大切だと悟りました。

 あの頃、師父はまた私が『洪吟』を暗記することを通して啓示してくださりました。これは私の向上に大きな助けとなりました。いつも署名活動に行くとき、あるいは妨害があるとき、私は「その心志を苦しめる」[4]を暗唱し、これでいつも心の中の観念と、障碍を片付けてくれると感じていました。

 そして機会があって、何人かの中国人に真相を伝えました。ある日、法輪功に反対する人に出会いました。大法が中国に伝わっていたときに、彼も学んだことがあると言いました。しかしずっと中共の虚言の宣伝文句を繰り返し、アメリカがいかに中国に敵対しているかを語っていました。私は自分の最大の能力で彼に真相を伝えましたが、共通認識を得るのはとても難しいことでした。私が「偽りの天安門焼身自殺事件」について話したとき、彼は「中共は不完全だが、法輪功は西側諸国で人気のある良くない組織だ」と言いました。私は彼に聞きました。「もし中共がそんなに良かったら、なぜあなたはアメリカに移住したのですか」。この質問は彼を一瞬にして考えさせました。私は彼の善良な一面が出てきて、私が彼に伝えたことを理解したのだと感じました。

 この経験や、他の中国人に真相を伝える経験で、彼らには幾つか根が深い執着心があることに気づきました。例えば、話していて、ある人が大きな声を出しました。私が感じたのは、彼は他人に自分の話を聞いてほしいのだと感じました。そして私が内に向けて探して悟ったのは、私に名利と、自分へのイメージが人から悪く見られたりすることを恐れ、顔色を気にする執着があり、これを反映していたのだということでした。

 私は自分には一種の観念があることを見つけました。つまり、「中国で生活し、中共に毒害された中国人」に真相を伝えるのは更に難しいということです。彼らが私に大法を好きではないことや、受け入れないと言うとき、私は慈悲で対応できず、見下していました。そして「この人はなぜ自分が洗脳されていると分からないのか」と思いました。この困難は、私に多くの執着心、熱くなりすぎたり、恐怖、怒り、面子などを分からせてくれました。こうして自分が救えなかった衆生は、また別の機会で真相を知ることを心から望んでいます。同時に発正念して、人々の背後で操る邪悪を取り除く必要があります。一歩進んで内に向けて探すと、私は「自分の成果に対する執着」を見つけました。多くの場合、私はずっと他人の考えを変えようとしていました。慈悲をもって真相を伝え、人々に自分の理智で選択させようとしているのではなかったと気付いたのです。

 師父は説かれました。「私はいつもこのようなことを話しています。つまり、もし善の心で、全く利己的なものがなく、全く自分のことを考えず、完全に相手のためになるようにと思っていれば、話したことに相手は感動して涙するのです」[5]

 私は、衆生に慈悲を持ってでなく、恐怖心から真相を伝えていました。大法修煉者として行うべきことをできていないという恐怖心があったのです。そのため話をする時、頻繁に脱線して、政治と社会のその他の話題の摩擦に巻き込まれ、上手く真相を伝えることが出来ませんでした。夫に対しては尚更でした。これらの経験をもとに、私は多くの執着心、怨恨、怒り、嫉妬、情、自分と同じ視点を持つ人と一緒にいたがる観念等を取り除きました。また、私はリベラルな思想を持つ人々を軽蔑し、彼らと話すと落ち着きません。もちろん、これらは大法に符合せず、師父が私たちに教えて下さった法理に符合していません。私は絶えず自分を調整し、真・善・忍の基準に符合しない全てを取り除きました。私が更に深く理解したのは、大法修煉者として、私たちは歴史を変えに来たのではなく、衆生の善念を呼び起こすために来たということでした。

 修煉は私を変えてくれた

 修煉を精進し始めてから、すでに1年が過ぎました。大法が私をどんなに変えてくれたか、言葉を使っては表せません。私は落ち着いて、生活の煩わしいこともリラックスして放下出来ました。人との関係が改善し、注意力と集中力もついて、いつも一つ一つのことに集中しています。以前の私はいつも気が散りやすく、一つの事を集中して行えませんでした。今は毎日、自分をさらに良く律して、怒りっぽくならないようにしています。時にとても難しいですが、これが非常に重要なことだと分かっています。心の中に法があり、師父について、私は全ての困難を克服できます。

 小さな頃からここ数年まで、自分の過去や、育ったところをたまらなく恥ずかしいと思っていました。かつての私は父母と自分の人生に対して、深い怨恨を抱いていました。しかし今は何の後悔もなく、感謝でいっぱいです。私の生活、家庭、またアメリカに来たこと、この全てが師父に見守られていました。私は正法時期の大法弟子の、万古の機縁を非常に大切にしています。私は更にもっと良く精進し、心性を高めて煉功し、勇猛邁進して良く師父を助け衆生を救い済度します。

 以上は、新しい学習者としての体験です。この修煉体験を書くよう励まして下さった同修の皆さんと、そして特に師父に感謝いたします。

 師父に感謝します!

 同修の皆さん、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の経文:『二〇一九年ニューヨーク法会での説法』
 [3] 李洪志師父の詩 :『洪吟』「人を做す」
 [4] 李洪志師父の詩 :『洪吟』「その心志を苦しめる」
 [5] 李洪志師父の経文:『長春輔導員法会での説法』

 (2021年青年大法弟子ネット上法会)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/8/10/429254.html)
 
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