出山した神仙との対話(二)
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文/中国の大法弟子    (前回に続く)

 【明慧日本2021年9月22日】神仙と会話した後、神仙の「あなた達の人心が多すぎる」の話や、また山の中の修道者が大法弟子を軽く見ることについて、私は彼らが不公平だと感じさせる大法弟子の執着心を知りたいので、一念を発して、その執着心をリストとして出してほしいと神仙に頼みました。私は執着心のリストの紙を見ました。それは一人の修道者ではなく、数人の修道者の意見に基づいて作ったリストです。実は私たち修煉者は、それらが人心であることが分かっています。嫉妬心、闘争心、色欲心、顕示心、仕事をする心、自己中心の心、執着を隠す心、修煉することができない、癇癖、安逸心、恨む心などです。

 その後、私はまた5人の修道者と会いました。彼らはすべて千年以上修煉した神仙です。最も長い修道者は6700年以上修煉しており、紫の道袍を着て、髪の毛や髭はすべて白でした。短い修煉でも千年以上でした。

 私はこれらの神仙と交流した内容は以下です。

 一、情に関わること

 ある神仙は、「あなた達の中には、修煉ができない人がいます。彼らは、大法が良いと分かって、大法から離れたくないが、修煉に対して、しっかりしておらず、自分の人心を取り除くことができません。大法の本を読んだ時は、自分が修煉者だと分かっていますが、本から放れると、自由に思い通りに振る舞い、自分をなかなか変えません」と言いました。

もう一人の神仙は、「あなた達の情欲は非常に重くて、子供への情、夫婦の情、親への情、恋人への情、子孫への情など。情が重いので脱出するのが難しいです」と言いました。

 私は、「あなた達の言うとおり、やはり私たちの情はとても重いです。これは私たちがまだしっかり取り除いていないところで、私たちが正すところです。私たちの師父は、『三界内の生命であれば、どんなものにも浸透することができます。言い換えれば、あなたは情の中に浸っています。情に動かされず、情に動かされない人がいれば、その人は素晴らしいのです。これも修煉者にしかできません。修煉者であっても、修煉のとき、ある理が分かるようになった場合、昇華した部分が三界の外に到達したため、その部分が情に妨害されなくなったのです。ですから、修煉してまだ昇華していない部分があれば、常人のレベルに止まっている部分は全部、情に浸っており、情に動かされるのです。大法弟子は情に理性的に対処しているだけで、情に影響されないのは不可能なことです。皆さんは理性をもって対処しているだけです。修煉してできた部分だけが情の影響から抜け出せるのです』[1]と説かれました。情は三界内に広がり満ちて、三界内の生命は全て情があります。ただつけている密度が異なるだけです。大法弟子は、世間で修煉しているので、確かに情があり、そしてある面において情が重いのです。情を修めることは確かに重視すべきで、また慈悲を修めることも重視すべきです」と言いました。

 二、天機(天の意図)を聞くことについて

 神仙と会話している間に、私たちは天機について話しました。大法の中にたくさんの天機を含んでいます。大法弟子の間で交流する時も、多くの天機に触れています。修道者たちは大法弟子に注目し、一部の天機も知っています。それにしても、彼らはいろいろな疑問があります。

 彼らは一方で大法弟子の向上のスピードに驚いています。もう一方では大法への関わりに長く注目しています。彼らは天目が開いた修煉者に注目し、大法弟子の周りにいる護法神を見て、大法弟子の思惟の形成に注目し、大法弟子の法会、マスコミに参与している修煉者、神韻の公演、また師父の講法も注目してします。

 私は、天上、地上、数え切れない多くの生命が大法弟子に注目していることを理解しました。

 師父は「今、法会が開かれているこの空間の空気の密度は非常に高く、とてもミクロの粒子がすべて目であるほど高いのであって、どれも遠いところからの目で、この会場を見たり、私の話を聞いたり、皆さんの考えも見ており、皆さんの話も聞いています。人類社会でこれほど大きな出来事があり、宇宙の生命に関わっており、皆さんに考えてほしいのですが、どれほど多くの神が皆さんを注視しているのでしょうか?! すべての思い、すべての念まで見られており、まだ発していない一念、考えが芽生える前にすでに何を言いたいのかが分かってしまうのです。時々、一部の学習者がなぜこれほど意気地がなく、法まで得たのにまだこういうことをするのかと本当に思ってしまうのです」[2]と説かれました。

 私は、彼らが天機を知り、また法会を通して、もっと高い天機を聞き取り、大法弟子に注目し、更に天機を検証していることが分かりました。

 師父は、「私は1999年7月20日に、既に7月20日以前の学習者を全て所定の位置に押し上げ、皆さんを最高位置まで押し上げました」[3]と説かれました。

 また師父は、「どういうところまで押し上げたのでしょうか? あなたが来たところまで押し上げたのです。そこまで高いのです。非常に短い時間でそこまで押し上げました」[4]と説かれました。

 一部の修煉者は1999年7月20日の前に、自分の顔の眉と眉の間に大きな目が現れ、その目の中に数え切れない小さい目もあります。一部の修煉者は法を読んでいる時、口から法輪を吐き出すのが見えました。また一部の修煉者は、自分の金の身体や、自分の副元神を見ました。

 修道者たちは、私たち修煉者同志の交流も知り、実は交流する前から知っています。彼らは修煉者の思惟の形成の過程が見えますから。修煉者同志の交流は、ちゃんとねらいを定めてなされているので、彼らは聞くと、とても面白いと思っています。

 師父は、「千年も修道している人が、何かの真の天機を得たら心に潜めて、千年百年それを潜めても他の人に教えません。(皆笑って) それを知りたければ他のことと交換しなければなりません。しかし、皆さんはぺらぺら全部しゃべってしまい、(笑い)お腹にしまっておけません」[5]と説かれました。

 しかし、天機を聞いても、彼らは完全に信じることができません。例えば、2015年、江沢民を告訴する時、大法弟子は多くの正念を発して、邪悪の妨害を取り除いていました。私は同修と一緒に発正念していた時、天目で師父と「このところの平安を保つ」という契約をしたことを見ました。このところには江沢民を告訴した後、確かに安定しています。私はこのことについて何も話していません。これは私たちの功労だと思わず、私たちはしっかり行わなければなりません。私たちには必ず責任があります。

 彼らの疑問は、「あなた達の正念は本当にそこまでの役割を果たせますか?」

 私は、「佛法の神通力は世間の廃物や汚いものを洗い流しています。大法弟子の中で、天目が開いた人に見えたのは、一部分です。あなた達も一部分しか見えないのです。誰も大法の本当の真相を見ることはできません。私たちの師父は、ミクロの中で全てを変えて、『それらの逆手を取ってそれらを利用したのです』[5]の法を使って全て円融しています。私たちの師父が選択したのは必ず一番良い、一番完備のものです」と説明しました。

 引き続き、私は、「あなた達の疑問について、私たちの師父は『しかも、法理が難しいと、神しか理解できず、神しか救うことができず、低い次元の生命は法を得るための智慧を持ち合わせていません。ですから、今回伝えた法に人を迷わせるものは何もありません。理が明瞭である、法理が分かりやすい、理も言葉も分かりやすいと言うのです。話したこと、口にした言葉も最も平易で分かりやすいのです。低次元の生命は理解できたものの、かえって多くの高次元の生命を困惑させてしまったのです。この法がなぜこれほど簡単明瞭なのかとかえって信じなくなり、これはあり得ないと思ってしまったのです。そうです。理の表面は分かりやすいのですが、真に学び真に修めてはじめて高次元の理を理解できるのです。ですから、人を迷わせるものが何もないのに、かえって高次元の衆生が迷ってしまい、つまりこの意味です』[2]と説かれました」と話しました。

 三、衆生に救われる機会を与える

 大法の師父は法を伝えて下さったので、弟子たちは法に基づいて修煉してから、師が法を正す事を手伝うことや、衆生を救い済度する使命があります。

 師父は、「他の宗教の人に対する救いと済度は確かに最後に後回しされており、次の段階に行われます。大法弟子がなぜこれほど特殊なのか、宗教の人よりも特殊で、なぜ宗教の人を先に済度して大法弟子にするのではなく、今のこれらの人を済度して大法弟子にしたのか、と言っている人がいます。人間は人間を見るとき、今生だけを見ています。実は今の大法弟子の中の多くは歴史上、東洋と西洋の正教の一期目の教徒であり、自ら釈迦とイエスの説法を聞いたことのある人です。大法弟子こそ、本当の確固たる正しい信念をもつ信徒です。(拍手)しかも歴史上の有名な聖徒、和尚、道士とキリスト教徒は大法弟子の中にいます。(拍手)」[6]と説かれました。

 歴史の有名な人物はすべて大法弟子の中にいます。私は知っている同修の中に、釈迦牟尼の弟子とイエスの弟子がいます。例えば、大迦葉、阿難、蓮華色、ペトロ、モーセ、また日本の聖徳太子、千代野などがいます。さらに、釈迦牟尼、老子、イエス、孔子なども大法弟子の中にいます。

 神仙たちと交流したところ、私は「法は人間世界を正すことであり、法を学び、法に従って修煉すれば、神仙たちの未来、また彼らの選択には解決すべきことである」と意識しました。

 続く

 注:
 [1] 李洪志師父の経文『二〇一八年ワシントンD.C.での説法』
 [2] 李洪志師父の経文『世界法輪大法デーの説法』
 [3] 李洪志師父の著作『北米での巡回説法』
 [4] 李洪志師父の経文『二〇一三年大ニューヨーク地区法会での説法』
 [5] 李洪志師父の著作『二〇〇三年元宵節での説法』
 [6] 李洪志師父の著作『各地での説法七』「米国西部国際法会での説法」

【編集者注:この文章は筆者個人の今の認識で、同修と交流して、「比して学び、比して修す」のためのものです】

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/8/29/430026.html)
 
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