弟嫁を看病する中で執着心を除去する
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文/黒龍江省の大法弟子

 【明慧日本2021年10月22日】私は1999年の初めに修煉を始めたのですが、大法の大切さを理解していなかったため、修煉して10年後にはじめて学法グループに参加し、16年間かけてやっと『轉法輪』を一通り暗記しました。しかし、師父からのご指導とご加護を、この21年ずっと感じています。

 1、着実に修め、心性を向上させる

 2009年、転職を機に新しい町に来て、同修たちと連絡を取りたいと思いました。ある日バスに乗ると、見知らぬ女性が立ち上がり、「どうぞ、私の席に座ってください」と声をかけてきました。よく見ると彼女は同修でした。迫害が始まる前に修煉体験交流会に一緒に参加したことがあり、私はその日に舞台に上がって体験を発表したので、彼女は私を知っていました。それから、家の近くの学法グループに参加するようになりました。学法の場所はある同修の家です。それ以来、やっと修煉の真髄、心性を向上させる方法が分かるようになりました。以下、いくつかの例をあげます。

 トラブルが起きる時、弁解しないようにと決心しました。弁解することは、内に向けて探すことを邪魔していることだと私は悟りました。例えば、夫に「あなたは家に帰る時、鍵を持っているのに、自分でドアを開けず、いつもベルを鳴らして家族に開けてもらう」と文句を言われたことがあります。実は、私は家族全員の買い物をしているので、毎回たくさんの物を持って階段を上り、鍵を探す余裕がありません。夫に言われた時、「弁解せずに、言われた通りに改善しよう」と思い出しました。それから、階段を上ったら地面に荷物を置き、鞄から鍵を探してドアを開けるようにしました。夫に文句を付けられたことを一つずつ、誠意を込めて改め、何も抵抗や不満はありませんでした。とうとう、夫は何も不満を言わなくなりました。

 ある日、同修のAさんのパソコンの問題を解決するため、彼の家に行きました。Aさんには人心が多いので、多少、彼を見下しています。彼の家に着いてから急に胃の調子が悪くなって、その後吐いてしまいました。「この家のエネルギー場が悪い」という一念が頭に浮かびましたが、すぐその念を否定して、「同修の不足を見ないで、内に向けて自分の不足を探そう。きっと自分に何か問題がある」と思いました。

 Aさんの家を出た後、帰り道でまた2回吐きました。「今日は来る前に三度豆を食べた。作る途中に何回も味見をした。豆類は火が完全に通っていないと毒性があるので、そのせいかな」と考えました。その考えも、またすぐに否定しました。

 「修煉者として、表向きの原因を見ずに、根本的な原因を考えよう。これは業力を返済しているのかもしれないし、自分の人心が招いた妨害かもしれない。いずれにしても、自分の考え方を正して、Aさんを見下す心を捨てなければならない。嘔吐しても、怖いことではなく、私はやるべきことをやれば良い」と思って、グループ学法に行きました。

 その考え方が正しかったのかもしれません。その日の学法で、『轉法輪』の一講を読んでいる時、私はずっと両足を組んでいましたが、痛みを感じませんでした。私にとって、これは初めてのことです。修煉者として、頭に様々な考えが浮かんできたら、法理に適う考えを選んで、法理に適わない考えを否定すれば良い、と今日の出来事をまとめました。

 2006年、夫が浮気をして、相手の女性がよく私に無言電話をかけてきました。夫の浮気に私はたいへん傷ついて、大泣きした後、師父の言葉を思い出しました。

 「それらはみな自分自身の業力によるものです。われわれはすでに数え切れないほど多くの業力を消してあげました」[1]

 「あなたが平素から煉功者として自覚してさえいれば、それに正しく対処することができるでしょう」[1]

 その女性や夫には前世に借りがあったかもしれず、業力のせいかもしれないので、いずれにしてもこの関をしっかり乗り越えなければならないと決心しました。翌日、女性が家に来て、3人で対面して話し合いをすると、夫は「離婚しない、彼女と関係を断つ」と意思表明をしました。私は女性を家に一晩泊めて、友達のように彼女と会話して、慰め、次の日に彼女を見送りました。

 夫を許しましたが、心はやはり痛かったのです。あの頃、このことを考えるたびに心がナイフで切られるように痛かったのです。半年後のある日、またこのことを思い出して胸がいっぱいになった、そのときに女性は夫に電話をかけてきて、会いたいと言いました。これは、自分の放下していない情が招いたことだと、私はすぐに分かりました。

 その後、このことを自分の心性をチェックする道具にしました。このことを思い出して、もし悲しくて心が痛ければ、それは人心をまだ放下していないということなので、引き続き放下できるように努力し、2年かけて、完全に放下できました。そのことを思い出しても、もう他人事のように思え何とも思いません。

 2、娘に対する情を放下する

 娘が幼い時、『洪吟』の詩を教えて暗記させました。小学生の時、夏休みと冬休み、若しくは夫が出張する期間には、私は周囲の子供弟子を家に呼んで、子供弟子のための学法グループを作りました。

 中学生になると、娘は大きく変わりました。携帯、ストリートダンスに夢中になり、親に反抗して、叱られたら根に持ちました。娘に私と一緒にグループ学法に参加するように強要したり、土曜日のグループ学法に参加しないと、携帯電話を没収するという手段まで使いました。ある土曜日、娘は学法に参加したくないと言うので、私は娘に携帯を渡さずに一人で行きました。帰ってきたら、娘がナイフで両腕の複数の箇所を浅く切ったことを発見しました。その後さらに、娘に自殺願望があると知りました。娘はSNSで飛び降り自殺をほのめかす写真を貼り付けて、「このまま飛び降りたら、どうなるだろう」と書き込みました。娘のSNSは、私と夫が娘の発言を見えないように設定しているので、このことはSNSでその写真を見た遠い親戚から聞いて私はショックを受け、一歩下がって自分の教育方法を反省しました。

 反省事項の第一、娘に学法を強要してはならず、私はあまりにも執着しすぎました。どうしてよその子供に対してはそんなに気にかけないのに、娘に対する情は強いのです。第二、今まで娘を甘やかしすぎました。世の中の一番良いものを娘に伝えたいのですが、しかし人間にはそれぞれの運命があります。第三、これからも娘の教育を手放すわけにはいかないので、娘が修煉を続けられなくても、常人の中で良い人間になるように教育しなければなりません。第四、現代社会の変異した観念、行為の娘に対する悪影響、およびその背後の負の要素を解体するために、私は強い正念を出さなくてはなりません。第五、この娘を失ったらどうしようかと最悪の結果を考えましたが、修煉者として正しく向き合おうと思いました。第六、最後に、師父を信じることを選択しました。すべては師父の按排に従って、すべてを師父にお任せして、私は心を正しく持てば良いのです。

 以上のように考え方を整理して、娘に対する態度を変えました。もう娘に強要せず、ただ自分を正して執着を捨てようと決心した後、娘から中学の卒業試験の前夜、寝る前に、『洪吟』の詩をいくつか一緒に暗唱しようと言ってきたので、2人で暗唱しました。そうして娘は眠りにつきました。

 朝起きて、試験場に行く前に、「お母さん、私ちょっと緊張している」と言うので、私は「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしいを唱えるのを忘れていない?」と言うと、娘は頭を下げて何度か唱えてから、顔を上げて「もう大丈夫」と微笑みました。卒業試験で娘の成績は、なんと中学の3年間で最も高い成績を出して、見事に立派な高校に合格しました。

 高校に入ってからも、娘の状態は順風満帆ではなく、周囲との付き合いに支障がありました。どんな因縁関係があってこうなったのか、私にも分かりません。しかし、娘が行き過ぎたことをして危険が起きる前に、私はいつもタイムリーに発見して、なんとか阻止することができました。娘の状態も良くなったり悪くなったりしていますが、全体的には良い方向に向かっています。私は娘の将来を心配することを止めました。師父が娘を管理しておられることを知ったからです。私がしなければならないのはただ、娘に対する情を捨てて、娘を通して自分の不足を直すことでした。

 3、弟嫁にまつわる私の修煉過程

 麗さんは夫の弟の妻で、私と同じ歳です。毎年夫の実家に帰省する時、麗さんに会っています。麗さん夫婦は私たちとは違った生き方をしていて、多額のローンを抱え金遣いが荒いのです。麗さんはオシャレが好きで、背が低いので、綺麗な服と高い厚底の靴を買うのが好きです。ですから私は彼女を少し見下しています。

 その後、彼らの家計は結局破綻して、生活が続かなくなり、麗さんは出稼ぎをして、私の家に泊まりに来ました。一番見慣れない人が、私の家に泊まりに来るって? これは私のどこを修めていくのだろうかを考えてみると、麗さんを見下す心と嫉妬心だと気づきました。借金があるのに良いマンションに住み、綺麗な服を着ているのを見て、私は心のバランスがとれなくなり、見下すと同時に麗さんに対する嫉妬心も生じました。自分でもびっくりして、今まで彼女を軽蔑していたと思ったのですが、嫉妬心があるとは思いませんでした。

 執着心を除去するには、まず自分にその執着心があることを素直に認めることから始まります。自分自身が執着心があると認めないなら、どうやって取り除くことができますか。認めないのは、その執着心を掴んで離したくない心境を語っています。認めたら、次のステップとしてそれを除去することは簡単です。そこで、「このような嫉妬心はいらない」と決めました。

 麗さんが我が家に来てから、私に多くの人心に気づかせてくれました。例えば、彼女が掃除する時、トイレ掃除用の洗剤を台所で使ってしまったので、ステンレス製コンロの表面が黒く焼けて、拭いても拭いても元の色に戻らなくなっています。私は「何でもない、どうせコンロの使用にまったく影響しないのだから」と思って、絶対怒りませんでした。

 ある日、麗さんはバスの乗車カードを買いたいと言ってきたので、どこに売っているかを教えましたが、買いに行かず、私に会ったらまたカードが必要だと言います。その後、彼女と一緒にあるスーパーを通るとき、ここにもバスの乗車カードを売っていると教えて、彼女はスーパーに入りましたが、保証金が高いと言って、結局買いませんでした。しばらくすると、私に会ったらまた「乗車カードを買いたい」と言い出しました。本当にうんざりしました。

 その後、カードのことを聞くたびにイライラするのは執着心があったからではないだろうか、この修煉の機会を大切にして、執着心を捨てなければならないと思いました。私はわざわざ車を運転してバスターミナルに行って、麗さんがきっと気に入るようなカードを買って、カードに100元(約2000円相当)を入れました。麗さんに渡したら、とても喜びました。

 しかし、麗さんは出かける時によく乗車カードを忘れてしまい、その後、とうとう見つからなくなりました。実はそのカードは、彼女の生活とはあまり関係がなくて、彼女は使う機会さえあまりなくて、カードにまつわる全過程は私の執着心を放下させるために起きたことだと、私は思いました。私は向上したので、カードの事も終わりました。

 それから、麗さんは家を借りて住み、どこに行っても生活用品と服は山ほど多くて、毎回の引っ越しも、私の車を使ってやっていました。麗さんの体はあまり丈夫ではないので、重い荷物はすべて私が持ち、階段を上って運んでいました。毎回、これは私が彼女を助けているのではなく、私はただ自分の修煉の道を歩んでいるのだ、と自分に言い聞かせています。それで、私は大抵文句なく手伝うことができました。

 2020年3月、麗さんは急性虫垂炎になり、入院して手術することになりました。その時、地元では新型コロナウイルスが深刻で、何軒かの病院に断られて、最後にやっとある私立病院に入院できたのは、麗さんの虫垂の壁に穴が開いた7日後でした。手術をした後、ウイルスの流行のせいで家族は来られず、私が昼夜を問わず14日間付き添ってから、麗さんの夫がやっと来ました。

 麗さんの出稼ぎの仕事は病院での介護なので、一般人より介護のことが分かっていて、そのプロ級の基準で私に要求します。まず、パジャマは2着が必要だと言い出し、その時多くの店は閉めているので、私は感染の危険を冒して地下鉄に乗って、大きめのスーパーに行って買ってきました。麗さんは毎日汗をかくので、一日に何回も体を拭いています。術後は水を飲むことを禁止されているため、私はガーゼに水をつけて、麗さんの歯、口内、唇を何回も濡らします。傷口が痛くてトイレまで移動することができなくて、ベッドで大小便をしていたため、私はその介護と便の後始末をしました。床ずれ防止のエアクッションを欲しがったので、私は何軒かの薬局を回って買ってあげました。少し回復して寝返りができるようになったら、私は寝返りの補助、ベッドから体を起こす時の補助をしました。麗さんの体重は私より重くて、毎回1時間かけてやっとベッドから起こせます。彼女が言い出した要求に私はなるべき応じるようにしていました。麗さんのお金は手術代しか払えなくて、看護に必要な全費用は私が負担して、返す必要はないと麗さんに伝えました。

 表面から見れば、私が彼女を看護していますが、実際には、看護を通じて私は自分を修めているのであり、これは私の修煉の道です。修煉者には師父がついておられるので、足りない部分を師父は按排してくださっています。麗さんは私を成就させるために、家を離れて私の家に来て、私を修めるために手術までして、彼女に感謝しなければならないと思いました。また、もっと修煉の機会を大切にして向上しなければならないと思いました。

 周囲には、私が大法弟子であることを知っている人は少なくて、真相を伝えて衆生を救うことにおいて、私は他の同修のように活動していませんが、私には私の歩む道があり、置かれている環境の下でできることをしています。

 私が勤めている学校の校長先生の以前の職場には数人の大法弟子がいますが、ずっと法輪功の良さを理解していません。私に接触してから、私の人柄と仕事の能力を認めてくれました。その後、私が大法弟子であることを知り、校長先生はとても驚きました。その後、私の仕事に対する考え方を観察し、私と何回もの交流をした後、校長先生は心から大法が良いと認め、「三退」をしました。そのことからも、師父の按排を感じることができました。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/9/15/428650.html)
 
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