快適さへの執着の害に注意する
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2021年11月14日】先日、同じ法輪大法の学習者である家族と、日常生活の中で三つのことのバランスをとることについて話し合ったことがあります。私は、一日のほとんどの時間が仕事に費やされているので、熱心に修煉している状態を維持するのは難しいと言いました。

 私は、修煉には些細なこともないと思っています。正念を発し、法を学び、煉功をすることは、常に善と悪の戦いです。もしも悪魔に支配されてしまったら、確かに熱心に修煉することは難しいでしょう。

 仕事を終えて家に帰ると、業力がこっそりと「リラックスして休め」と言い、それが自分のためになるように装います。一生懸命に働いた後には、休息を取るのが合理的でしょう? だから私たちはリラックスして、ニュースを見たり、ネットで娯楽を求めたりします。そして、それはどんどんエスカレートしていきます。これまで50分だった法の勉強時間を、30分で終わるようにしたいです。そして、週末や連休まで待とうと言い訳をし始めます。

 だんだんと気が抜けてきて、これで負けたら次の戦いはもっと大変になります。黒い業がどんどん蓄積されていき、自分の足を引っ張るようになります。さらに精進が足りなくなり、最後には快適さに執着して修煉が台無しになってしまうかもしれません。

 私の経験からすると、自分に言い訳をしてはいけないと思うのです。法の勉強や煉功を怠ったことに気づいたら、すぐに補うべきです。修煉に近道はありません。法を学び、煉功をするたびに、私たちの業の一部が消去されます。いかなる努力も無駄にはなりません。ある修煉者は経験談の中で、勤勉になればなるほど修煉が楽になり、邪魔が入らなくなると指摘しています。業力が着実に減っていけば、三つのことをより効率的に行えるようになります。

 仕事をしていないときには、さまざまな活動にどれくらいの時間をかけているかを書き留めておくといいでしょう。そうすれば、時間をうまくコントロールできるようになります。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/19/432694.html)
 
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