快適さへの執着は危険
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文/山東省の大法弟子  

 【明慧日本2025年3月19日】私は法輪大法を修煉し始めて20年以上になります。現在68歳です(訳注:2024年現在)。最近、私が明慧ラジオで聞いた話では、周りでは多くの高齢の学習者が「病業」の災難に苦しんでいることが分かりました。非常に長い時間がかかるものもあり、肉体を失う人もいます。とても悲しい気持ちです。高齢の学習者の中には、長年非常に熱心に修煉し、多くの人を救い済度してきた人もいますが、法理をはっきりと理解しておらず、内に向けて探すこともしていないため、旧勢力に利用されてしまいます。今、私は「病業」の状態から抜け出す方法についての個人的な経験を修煉者のみなさんと交流したいと思います。

 数日前、ある学習者が私を自転車に乗せて、病業を持つ学習者の家まで連れて行き、法を読み、正念を発するように言いました。道は凸凹していて、家に着いた後、腰が痛くなりました。私はそれほど深刻には考えませんでしたが、痛みは強くなり、数日間も煉功ができませんでした。

 私の家族は椎間板ヘルニアが再発したのではないかと心配していました。痛みは10日以上続きました。ベッドに横になって法を学ぶのは師父に失礼なので、焦りを感じました。心の中で師父に助けを求めました。

 ある朝、私は師父の教えを思い出しました。

「身は牢屋に臥すれども、哀しまないで
 法在りて、正念正行
 幾多の執着の事を静思し
 人心を捨て去れば、悪は自ずから敗る」(『洪吟二』「哀しまないで」)

 私は自分の執着心を探し始めました。いくつかは見つかりましたが、主なものを見つけたとは感じませんでした。

 私は朝の煉功を怠けていたことに気づきました。目覚まし時計が鳴ったら、たいていはそれを止めてまた眠りにつきます。1時間後に起きて、功法を数セットだけ行い、正念を発します。その時はもう朝食を作る時間でした。夜に煉功をすることもありましたが、しないこともありました。第二式の功法(1時間)は疲れるので、時々スキップ(40分)していました。

 修煉には勤勉さと苦難に耐えることが必要です。安楽への執着は危険であり、旧勢力が私たちの抜け穴を利用する可能性があります。これに気づいた後、私はすぐに起き上がり、1時間座禅しました。背中と腰を支えるために枕を後ろに置き、痛みに耐えました。座禅を終えて立ち上がると、痛みは消えていました。立つことも歩くことも困難ではありませんでした。私の家族は再び法輪大法の素晴らしさを目の当たりにしました。師父、ありがとうございます!

 私たちは苦難に直面した時、それを常人の悩みとして扱ったり、病気だと思ったりすることはできません。師父がすべてを管理しています。私たちの体は神の体に変化しており、高エネルギー物質でできています。どうしてまだ「病気」にかかっているのでしょうか?

 法に基づいていないところがあれば、同修の慈悲なる指摘をお願いします。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2024/11/22/485140.html
 
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