夢の啓示「しっかり最後の一歩を踏み出そう」
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2023年4月4日】最近、中国共産党の党員たちからの嫌がらせを受け、プレッシャーを感じています。「もうすぐこの世で法が正されるのに、どうしてこんなに辛いんだろう」と思い、困惑とともに、ネガティブな感情を抱くようになりました。

 夜、夢の中で師父が悟らせて下さった

 夢の中で、私たちは全部で5、6人ほどの同修で、師父に出会いました。師父は、私たちをとても美しい場所に連れて行ってくれると言われたので、皆とても喜んで師父について行きました。しかし、ある通路に差し掛かったとき、突然、師父の姿が消えていることに気づきました。しかも、その通路は古くて汚くて、道の真ん中には底が見えないほど深い、大きい穴がいくつもありました。幸いなことに、それぞれの穴の端から道端まで1メートル以上の距離があり、注意すればまだ通り抜けられることでした。私は最初、ちょっと躊躇して引き下がってしまいました。しかし、師父が示してくれた道だと思うと、行ってみようと思い、すぐに通り抜けました。振り返ってみると、その道はとても短かったのです。

 さらに進むと、残りの道はまた変化し、農家が野菜を育てるビニールハウスの屋根のようになりました。試しに手で触ってみると、支える鉄筋はかなり細く、踏むとグラグラしました。こんな不安定な「道」は崩れないのか、心配になりました。でも、「これは師父が言った道だからきっと大丈夫だろう」と思い直し、まっすぐ進むことにしました。すると、この道はかなり頑丈にできていることがわかりました。こうして、すぐにある建物にたどり着きました。

 ここは最初に師父が言っておられた場所だとわかって嬉しかったのです。窓を開けて外を見ると、頂上が見えないほど巨大な山が目の前に広がっていて、それは大変美しかったのです。一歩ずつ階段を上っていくと、千差万別の景色が、果てしなく高く伸びているのです。そのとき、見覚えのある同修が、まっすぐな道を登っていき、ある高さを超えると、まっすぐな道はなくなり、あとは螺旋状になっていて、それ以上高く上るのがとても遅くなるのが見えました。その同修は私の知り合いで、迫害が始まってから法を得た人でした。

 果てしない美しい景色をしばらく眺めた後、私は視線を下してみると、呆然として言葉を失いました。下にある道路はもちろん、陸橋の上の車や歩行者までもが水に溺れていました。その悲惨な光景は、言葉では言い表せません。亡くなった人たちの姿を見て、泣きたくなりました。その時、もし私が師父の言うことを聞かず、この最後の難所を通り抜けなかったら、私もその中の一人として水に溺れていたかもしれないと、すぐに悟りました。

 夢は終わり、私は目を覚ましました。

 この夢を通して、私は次のように悟りました。

 1. 法がこの世を正す時間が迫っており、残りの道は非常に短いとはいえ、険しさは変わりません。夢の中に出てきたいくつかの大きな穴は、私が理解したところでは、さまざまな罠です。例えば、同修の中には、安全に注意を払わず、そこに落ちてしまい、法を実証することを疎かにしてしまった者もいます。また、スマホをよく見ていて、だんだん精進しなくなった人もいて、これも落とし穴にはまったケースです。また、邪な道に行った同修もいて、法を実証することをほとんどせず、これも落とし穴にはまったのです。実際、落とし穴の縁には、広すぎず狭すぎずの道があり、車を走らせ、その上を大股で歩くことは不可能ですが、注意していれば、問題はないはずです。

 2. 大法を信じるか信じないかの試練は、最後の瞬間まであります。修煉者は自分の狭い認識で、師父の言う法を疑ってはなりません。なぜならば、大法は宇宙の根源であり、想像を絶するほど広大だからです。人間の中の修煉者による大法への理解は、実はとても限られていて、だからこそ混乱が生じるのです。しかし、どんなに難しくても、師父が言ったことをそのまま実行すれば、必ず成功します。

 3. このような大きな魔難の中においても、衆生を救っているからこそ、上昇が速かったのです。この魔難が一掃され、普通の環境で修煉すると、向上は非常に遅いが、それが普通です。宇宙の法理は公平であり、そのためプレッシャーに晒されながら衆生を救う時間は大切にすべきです。

 4. 法を正す中で、しっかり行えなかった部分は、その責任を負わなければなりません。道路にいた車や人はおそらく常人のことで、陸橋にいた車や人は修煉者のことだと思います。どちらにしても、基準を満たさなければならず、自分の思い込みでは通用しません。

 今朝の煉功の最中に、後ろから千軍万馬の叫び声と軍鼓を打つ音が聞こえ、天兵が駆けつけてきたのです。次に私が見たのは、天国楽団の列には大法弟子だけでなく、多くの世の人々もいて、正法時期に特に積極的に行動した世の人々が先頭を歩いています。そして、先頭には見覚えのある顔が......。

 とにかく、最後の一歩まで着実に歩むことは、自分にも他人にも責任を持つことなのです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/3/30/458279.html)
 
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