自我を放下する大切さ
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文/中国山東省の大法弟子

 【明慧日本2023年4月4日】私は1997年に大法の修煉を始め、それから26年が経ちました。無駄にした時間や実修しなかった時間を除けば、実修に費やした時間はごくわずかです。その理由は、大法を明確に理解していなかったこと、大法を人生の精神的な支えとして扱っていたこと、人心が重く、自我が強かったこと、名声や利益に影響されていたことにあります。私が修煉の中で得た最も重要な悟りを一言で表すとすれば、それは「自我を放下することは本当に大切だ」ということです。

 私は末っ子で、若い頃は食べたり、飲んだり、楽しんだりすること以外には何も関心がありませんでした。自由気ままに生きるのが好きで、人に支配されるのが嫌いで、ある程度稼いでたくさん食べたり飲んだりして暮らせばいいと思って、お金を貯めるという感覚はありませんでした。伝統的な家族の価値観なんていうものは私には全くありませんでした。いい年になってようやく家庭を持とうと思うようになりました。33歳に結婚して、そのお金も兄から出してもらいました。

 そんな私に対する兄の評価は、「性格が成敗を決める」です。 つまり、私の性格からして将来的に失敗の運命にあるということです。私は兄に何を言われようが、気にしていません。元々別世界にいるようで、自由奔放に生きていました。自分が認めたことは、誰に何を言われようと、突っ走って、何度か壁にぶつからないと気が済まないのです。

 姉と姪が東北から帰ってきたばかりの頃、家が決まらないうちは私と一緒に住んでいました。姉はよく私に、「この家をホテルみたいに扱ってるわね」と言ったものです。 当時、私は部所の事務所と社員食堂の担当をしていて、常に付き合いがあり、夜中に酔っ払って帰ってきて、そのまま寝てしまうこともしばしばありました。時には酔っ払って家で吐いてしまい、姉が後始末をしてくれることもありましたが、酔っ払っていたので分からず、翌日には、何事もなかったかのように同じ生活を繰り返していました。

 修煉を始めた後、家族に迫害の実情を話し、資料をあげても、受け取ってもらえず、ほとんどの場合、無視されました。自分の伝え方を振り返ってみると、独善、押し付け、焦り、割り込みを許さないなど、私の言葉から考え方にまで党文化の影響があり、そういう態度を取られたのも当然です。

 師父は「まず良い人であるべき」と説かれています。良い人とはどんなものだろうかと考えました。「あんたの事は何より重要でしょ?」「話すとすぐ怒る」「家族の気持ちを全く顧みない」などと、昔家族に言われたことを思い浮かべました。確かに、私は家族のことに無関心で、親孝行なんて自分には関係ない、上には姉2人と兄がいて、それは彼らの仕事だ、と思っていたのです。私が迫害されたことにより、家族も大変苦しみ、大法に対する最初の良い印象まで変わってしまいました。意思の疎通が困難になり、大法のことに耳を貸すこともしたがりません。その問題は、私があまりにも利己的だったからです。しかし、師父の新宇宙は「他者に奉仕する生命」を必要とし。自我と相反するものです、自我を捨てずに他人を思いやれるでしょうか? そう考えた私は、まず自分を変えること、そして他人を思いやることから始めるという重要な決断をしました。

 当時、兄と姉が外地にいたため、私は実家に引っ越して母の世話をしました。買い物に付き添ったり、力仕事や家事を手伝ったりしました。母は、父の死後、わずかな弔慰金だけで暮らしていたので、廃品回収して売ることを重視していました。母曰く、自分の労働を通して稼いだものです。私は家にいるときはいつも、母が廃品を売るたびに辛抱強く付き添っていました。姉も大変な状況だったので、私が家庭を持つ前に、姉の家族に家を譲って住まわせていました。姉の娘が大学受験をするときには、志望校の下調べをしたり、大学院受験の時、試験を実施する都市までついて行ったりしました。兄が忙しそうにしているときは、兄の書類整理を手伝いました。

 私は家族の集まりを利用して、伝統文化、善し悪し、輪廻転生などの話をし、家族の頭の中にある無神論や進化論の観念を無くし、数年間の努力の末、ようやく家族との距離を縮めることができました。彼らは皆、私の変化をとても喜んでおり、今では私が大法のことを語ると、すんなりと受け入れてくれるようになりました。

 他人を思いやる心

 2004年、広告デザインを学ぶために私の街にやってきた同修Lさん(同級生でもある)を、私の家に泊まらせました。当時、技術的なことについて知っている人はほとんどおらず、迫害を暴露するために資料が大量に必要でした。私は5000元近く費やしてデスクトップパソコンを購入し、ブロードバンドを導入して、同修Lさんは技術を勉強して大法の仕事に携われるように、私が買ったコンピュータで多くのことを学び、徐々に地域のコンピュータの専門家になり、地元の同修のために多くの問題を解決しました。

 私も少しずつ同修Lさんから修理技術を学ぶようになり、雨風の中、街中を回って同修に奉仕するようになりました。時には、同修と一緒に技術的なことを研究し、より多くの人が使えるように、技術討論サイトでも経験を公開しました。同修の良き助っ人になることで、私は自我を捨てる喜びや、本当に他人のために存在する修煉者とはどういうものかを体験しました。

 コロナの大流行期間には、2つの場所を往復する必要がありました。A地点の同修は非常に分散して住んでおり、場所によっては電動自転車で片道1時間かかります。自転車の正常な運転も私の責任でした。私は自転車に乗っている時に法を暗唱し、一度も故障しませんでした。この電動自転車は何万キロも走ってくれました。ある時、家に帰る途中、友人の店の前を通ったとき、友人は近寄ってきて、「この電動自転車はどうしてこんなによく走るの?」と不思議がり、「この電動自転車は加持されているの?」と聞いてきました。 私は、「はい、神器ですから加持されています」と答えました。

 私の変化とともに、まるで前方に黄金の道が伸びていくように、自我を捨てれば捨てるほど、自分がいかにちっぽけな存在かがわかり、内側に目を向ければ向けるほど、大法の無限の偉大さに気づかされました。生命の昇華は如何に得すると考えるのではなく、自分がどれだけ与えたか、どれだけ手放したか、どれだけ人のために尽くしたかにあると私は思いました。 私は心の中で師父にこのように言いました。「私は今後、必ず同修に協力し、師父の慈悲深い済度に応えられるよう、無私無欲で修めます」

 以上は私の個人的な体験であり、不足がありましたら、慈悲なるご指摘をお願いいたします。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2023/3/29/458214.html)
 
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