師父は時間を無駄にしないよう啓発してくださった
文/中国の大法弟子
【明慧ネット2021年12月4日】私の家の前と裏には空き地があり、野菜を植えることができます。昨年の清明節の十数日前、これまでと同じように、きゅうり、ヘチマ、かぼちゃの種をまき、唐辛子と茄子の苗も植えました。奇妙なことに、唐辛子と茄子が成長した以外、その他のものは芽が出ませんでした。いくつかの区画の土地にもまったく芽が出てきませんでした。しかし、私は多く考えませんでした。清明節の休暇の時期にもう一度種を蒔きました。一週間以上過ぎても何の変化もなく、奇妙だと感じていましたが、あまり考えずに、また種を蒔きました。また10日ほど経っても依然として芽が出ませんでした。家族が代わって種を買い、またもう一度蒔きました。三度やってもダメなのはどうしてなのか? これで四回蒔いたのに。もう芽が出ないのなら、種を蒔くのをやめようと決めました。ところが数日して、苗や藤の蔓が出てきたので、骨組みを作り、縄で縛り、忙しさもまた楽しいからずやで、苗の成長がとても良くなりました。ところが、やっとのことでもうじき花が咲こうとした時に、続けざまに34日間も、雷や暴雨に見舞われ、ほとんど全部駄目になりました。
ある同修が我が家に来て、口をついて出た言葉は、「現在の時間は千金、若しくは万金に値します。あなたはまだ余暇があって、野菜を栽培しているんですか。道理で三度種を蒔いても芽が出て来ないはずです。師父はあなたに修煉を無駄にしないよう啓発されたのですね。精進している同修は分秒を争って、学法したり、出来上がったばかりの真相資料や本を手にもって学法して、一刻も疎かにしません。あなたの家の経済状況は・・・」師父は私が悟らないのを見て、同修の口を借りて私を啓発されたのです。そうです、どうして気にせず、考えもしなかったのか、これは一体どういう訳だったのでしょうか。修煉する人はどこにも偶然なことはありません。自分は本当に愚かでした。現在さまざまな災難が頻発しており、衆生は危険にさらされている中、全力で多くの衆生を救わなくてはいけません! 師父、本当に申し訳ありません、私は間違っていました。
正法時期の大法弟子にとって、真相を伝え、衆生を救うことは、私達の責任と先史の誓約です。弟子は辛苦を恐れず、最も誠実な心と固い意思をもって自分の歴史的使命を果たすことを望んでいます。さまざまな形式と手段で、都市と農村に深く入りこんで、真相資料を都市と農村の各戸に広く配り、真相資料で世の人の迷いを破り、大法の威光で都市と農村の大地を照らすのです。弟子はこの真心だけで、実質上、この重要な使命を果たさなければなりません。どこでも師父の守り、啓発、援助があり、そこから離れては何もできません。数年来のできごとが、わずかながら、一つ一つの情景として、弟子の目の前にあるかのように思い出されます。
寒夜に、師父の保護の下、農村で真相資料を配る
ある日の夜10時頃、私達は農村に着いて、各戸に真相資料を配ろうとしていました。私達3人は集合場所を決めて、各自が異なる道から村に入りました。この村はとても大きく、道端にある小さなスーパーマーケット、小さな商店には暗い灯りがちらついていました。私は一戸も漏れる事なく資料を村民の家の窓の下にある台の上や出入り口の駐車場に停めてある農業用の車の座席の上に置いたり、ドアの取っ手や柵の手すりに掛けたりしました。歩きに歩き、どの位配ったかわかりません。2冊の本が残った時、暗くてでこぼこな道を歩いて行くと、一軒の古い家に近づき、月の光を借りて、ぼんやりと見えたのは入口に薪(たきぎ)が積んである三階建ての奥まった古い家で、まるで老子様の母屋のようで、至る所真っ黒でした。心の中で、「ここには薪があるから、きっと薪を持って来て燃やす人がいて、資料を見るはずだから、一冊本を置いておこう」と思いました。置き終わって振り返ると、背中全体に寒気を感じ、足元からも冷え冷えとした空気が上ってきましたが、真剣に受け止めませんでした。しかし、もう一度よく考えてみると、この場所はこんなに寒いから誰も来ないかもしれない、資料を置いても誰も来なければ無駄になってしまうし、これは同修がお金を節約して作った資料で、どの資料も人を救う作用がある貴重なものだから資料を置くのをやめよう」と思いながら引き返して、資料を手に取って、身体の向きを変えた時、この冷気は背中から首まで及び、頭に立ち上りました。私は、突然どこかおかしいと感じ、不意に「師父、師父!」と叫びました。すると、たちまちこの冷気は一瞬とてもはっきりと首に沿って下の方へ抜けて行きました。私の眼から感謝の涙が伝わって流れ落ちました。この時の感銘は深く心に刻まれて忘れられません。「幸いにも師父が私を守ってくださったお蔭で無事でした」
待ち合わせ場所に行っても、同修は来ていませんでした。私はひとりで寒風の中で同修を待っていると、小さな店の3頭の犬が私に向かって吠え、けたたましく吠える声を聞きつけた店主がやって来て、慌てて近づいて来て私を見ていました。私は、心を落ち着かせ、自分に言い聞かせました、「私には師父がおられるから、恐いことなど何もない」。私は、全身黒づくめの服を着ていた為、余計な疑いを招かないように、私は立ち上がって、真っ黒な闇に向かって歩いて行きました。そして無事に、戻って来た同修に会うことができました。
夏の夜、師父は真相旗を掛けるのを助けてくださった
ある日の晩、午前2時に出発し、数十枚の真相旗と釣竿を持って、ある同修と都市と農村の境にある交差点および農村に入るための交差点を通って旗を掛けることにしました。私達は道中、発正念をし、真相旗を掛けに、どこであろうと行きます。大きな交差点、あるいは人通りの多い交差点に着くたび、師父に車や通行人が通らないようにお願いしました。タイミングよく、一枚の旗を掛け終わるたびに、自転車は他の交差点の約2、30メートルの所から入ってきたり、遠くから車が近づく音が聞こえます。私は、この一切を師父がコントロールされていて、私達を助けてくださっていることを知っています。
私はいつも思うのですが、修煉について言えば、もし師父の常なる保護と指導がなければ、弟子は自分の安全さえ保障できませんし、ましてや他人を救うことなど言うまでもありません。一切のことは師父に頼っているのです! 師父の無限なる慈悲に感謝いたします。常に私に励ましと力を与えてくださるおかげで、邪党の高圧的なやり方とさまざまな監視とコントロールを智恵で突破し、根気と理性で真相伝えをすることができるのです。
師父が大法を広く伝え、慈悲をもって衆生を救ってくださることに感謝いたします。私の20年以上の修煉の中でいろいろと心血を注ぎ、弟子を保護して教え導き、修煉途中において揺ぎ無く、絶えず前に進めるように励ましてくださいましたことに感謝いたします。大法が広く伝わっている時、この世に居ると言うことは、私達にとってこれほど幸運なことはなく、師父が法を正すことを手伝うために私達は全力で頑張らなくてはなりません。苦難や困窮を怖れず、志を変えることなく、努力して前に進まなくてはいけません。