色彩学と修煉文化(五)
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文/Arnaud H.

 【明慧日本2022年1月17日】(前号より続く

純色の伝統

  初期の油彩画の塗り方は、現代のそれとは大きく異なります。当時の画家たちは、透明色と半透明色を使うことを重んじ、異なる顔料をあまり混ぜませんでした。下の色が上の薄い色を透き通り光学的に混合されるので、全体的に純粋な色となりました。しかし、今の人はほぼパレットで異なる色を直接混ぜて顔料を上にのせて描き、大量の混色で彩度が下がり、絵は全体的に暗くなります。このことについては、以前に別の文章で詳しく論述しているので、ここでは取り上げません。

 初期の画家たちが純色が好んだのは、単一の原因によるものではなく、異なる時期の伝統文化と異なる流派の修煉文化にまで遡ることができます。ですから、異なる文化に異なる見方があります。

 皆さんがよくご存知の例を挙げましょう。西洋絵画には、群青色で聖母マリアの服装を描く伝統があります。画家たちは多くの場合、他の色を混ぜません。純粋な群青色を使って、光、影、明暗、色調の変化には基本的にグレーズ技法を用い、できる限り色の彩度を守ります。聖母マリアは群青色の外袍と同時に朱砂の赤色の服装も纏い、青と赤をセットにしています。

图例:意大利画家萨索费拉托(Giovanni

イタリア画家イル・サッソフェッラートによる聖母マリア

赤い服と群青色の外袍は、西洋の伝統的絵画における聖母マリアの一般的な表現方式

  中世の後期以降、このセットの服装の色は、西洋の伝統的絵画の聖母マリア像の慣例的な表現方式となりました。もちろん、伝統的なイエスの絵画における服装も、同様に赤と青がセットで用いられています。

图例:威尼斯画派画家达·科内利亚诺(Cima

ヴェネツィア派の画家チーマ・ダ・コネリアーノ(Cima da Conegliano)の作品

赤い服と群青色の外袍を纏ったイエス像

 このような社会習慣が次第に広まり、認められるようになった描き方について、現代人の多くは「かつての群青色は青金石(Lapis lazuli)の宝石を原料とした高価なもので、その高貴な風格を損なう安い原料の色と混ぜることはできなかった。そして朱砂の赤は群青色と対比することよって、群青の貴い色彩をより際立たせる」と考えています。

 信仰の立場から考える人は、純粋な色は純粋な信仰を現わし、純粋な色は信者の心の現われと考えます。宗教では、奥深く且つ崇高な青色は空の色として天を象徴し、朱砂の赤色は聖なる愛を象徴すると考えます。

 物質と精神の関係を模索する人は、群青色の顔料の成分(硫化物、硫酸塩)について、群青色が、魂を象徴する硫と肉体を象徴する塩で構成されており、魂と肉体のバランスを形成しているのであって、他の物を混入すれば、このバランスを乱すことになると考えています。

 しかし、硫化水銀を加えて、つまり朱砂の赤で描いた服と群青色の外袍をセットとすることは、精神を象徴する水銀の元素を加えることで自然哲学の三位一体を形成することを意味しています。同じ理屈で考えると、ここでの赤色は通常、他の色と混合せず、基本的にグレーズ技法を用います。

 油絵が歴史上に現れたのは、比較的遅いのです。油絵の技法は、油絵の登場後に材料と磨り合わせながら形成されてきました。もちろん、これらの技法は完全に油絵の登場後に発明されたわけでもなく、多くの技法は、油絵の登場前の絵画にルーツを持ちます。透明色の使用は、アリストテレス(Aristotle、紀元前384年~紀元前322年)の時代に既に広まっていました。出土した昔の絵画の遺物には、それらの透明色は2千年による風化を経て基本的に存在しません。しかしアリストテレスの著作『感覚と感覚されるものについて』(De Sensu et Sensibilibus)に、このような技法が記載されています。例えば、「ある種の色が別の色を透して、その外観を見れるようにする」、「画家は時々この技法を使う」など。

 もちろん、印刷術が普及する以前、すべての画家が古代の文献について把握していたわけではありません。画家の多くの美術技法は、縁のあった人や文献から学んだもので、透明技法の形成と普及にも多くの経路があります。例えば、先生の教えや、美術の各門派の技法を参考にすること、神学と哲学理論の結合、また各実践経験の積み重ねなどなど。

 古代ギリシャの画家の技法について言えば、彼らが純色を使うこととそれに対応する技法には、客観的な背景があります。当時の顔料製造の技術には限界があり、画家の得られた顔料の種類も少ないものでした。各顔料の色の彩度も高くありません。ですから、異なる顔料を混ぜると、必ず色の彩度が失なわれ、その色の純度も損なわれ、形成されたのは暗く気折れした色彩であり、彼らの芸術の成果に深刻な影響を与えました。

 当時の美術観には、色の割り当て理論がありますが、紀元前4世紀のアリストテレスから1世紀のプルタルコス(Plutarchus)まで、哲学家は、基本的に純天然の顔料の純粋さを保つことを主張し、異なる顔料を混ぜて天然の特性を失い、色の彩度を暗くすることに賛成しませんでした。これには、もともと人の目が明るく純粋な色を好むことにも関係があるかもしれません。多くの人が、どんよりした物に興味がなく、彩度が高く明るい、あるいは透明な宝石を好むのと同じです。

 西洋と同様に、中国古代の絵画で純粋な色が使われることも多く、特に唐の時代には細密画法で濃い色調を重んじ、造形が厳密で、色は鮮明で明るく、宋朝までは院体画や花鳥画もこの特徴を保っています。もちろん、細密画法には薄い色調の作品もあり、線を重んじ、色彩が補助の役割で絵を引き立たせるものもあります。しかし宋朝以後、中国絵画は水墨絵を重んじ、筆の運びが主導になり、情趣の発露に任せ、墨色の変化によって表した境地を追求し、色彩も徐々に薄くなっていきました。

图例:晚唐时期的绢画《引路菩萨图》,作者不详,约作于公元851到900年间,绢本设色,纵80.5厘米,横53.8厘米。1907年由英国考古学家斯坦因(Marc

晩唐時期の絹絵『引路菩薩図』(作者不明)

 残された史料や美術作品からみると、中国の服装の色は、かつての純粋な色から徐々に灰色にと変わっていきました。近年は灰色の服を着る人が多いですが、千年前の古人の服の色は、非常に鮮明で美しい色でした。古代の絵画は長い年月を経て劣化し、紙であろうが色彩であろうが、今は灰色に近くなりました。古代の本当の様子を垣間見るのは容易なことではありません。

 しかし、世界最高峰の中国古典音楽と舞踊の団体…神韻芸術団は、長年にわたり古典芸術を通じて真の中華伝統文化の復興と発展に力を注いできました。彼らの衣装制作や舞台の背景色は、伝統的な審美観に基づいています。中国美術全盛期の色彩と人文観、服装、建築、音楽等が再現されているのです。同時に、神韻芸術団は舞台芸術を通じて、直接中国古代の正統修煉文化と伝統思想の真髄を表現しました。中国古代を垣間見るには、ぜひ神韻をご鑑賞ください。

https://shenyunperformingarts.org/

続く

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/10/13/431983.html)
 
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