文/中国の大法弟子
【明慧日本2022年2月7日】2019年1月6日の午前4時30分頃、私は夫が運転する電動自転車に乗って卸売市場に仕入れに行きました。 ある交差点を通過する際、そこに車はなく、街を清掃する人が数人いただけでしたが、交差点の中央まで進んだ時、急に横からヘッドライトを落とした車が猛スピードで走ってきて、私たちが乗っていた電動自転車と正面衝突しました。私たちは吹っ飛ばされて、一瞬、私は気を失いました。
目が覚めると、私は自分が車の下敷きになって動けなくなっていることに気づきました。隣で見ている人たちはいましたが、誰も私を引っ張り出してくれそうもなかったので、 私は、「誰か私を引っ張ってくれませんか」と話しかけましたが、 誰も動きませんでした。横にいた夫が「早く彼女を引っ張り出すのを手伝ってくれ。彼女は大丈夫だ」と言うと、街を清掃していた何人かの人がやってきて、「まだ生きてるぞ」と小さな声で話しました。そして、車の下から私を引っ張り出してくれました。私は慌ててお礼を言いました。 その時、車の運転手は電話をしていましたが、私が生きているのを見ると、急いで駆け寄ってきて「おばちゃん、大丈夫ですか? 今電話をしたのですぐ救急車が来ると思います。 病院に行って、しっかり診察してもらいましょう。要望があれば何でも言ってください」と言いました。
話しているうちに救急車が到着し、救急隊員がストレッチャーを持ってきました。 私は彼らに、「病院に行く必要はありません、何も問題ありません。私を見てください、私は大丈夫です」と言いました。 運転手は、「おばちゃん、病院に行きましょう。こんなお年なのに、もし体に不具合があったら、申し訳ないです。責任は取りますから、診察してもらいましょう」と言いました。 私は運転手に、「あなたはとてもいい子で、親切ですね。 私を見てごらん、大丈夫ですよ。 どこも怪我していません。手にある傷なんか数日で治るでしょう」と言い、救急隊員には「帰ってもらって結構です。朝早くから呼んでしまって申し訳ありません。ご迷惑をおかけしました」と言いました。 運転手は、「後遺症が心配ですから、今のうちに検査しておいたほうがいいです」と、病院に行くことを勧めました。運転手と私が話している最中に振り返ると、救急車はいつの間にか全員帰っていました。
私は「心配しないでね。おばちゃんは脅迫したりしませんよ。私は信仰を持っていて、法輪大法を修煉しています。私たちの師父は何かをする前に相手のことを考えて、相手に迷惑をかけないようにと、いつも教えてくださっています。こんな朝早くにぶつかって、仕事の邪魔になっていないかしら?」と言うと、運転手は私の手を取り、「おばちゃんは、優しいですね。僕は仕事に行くのを急いでいたので、スピードを出しすぎてしまいました。本当にすみません。ですがやはり病院に行って診察してもらえませんか。そうすると私も安心できますから。お爺ちゃんの電動自転車はどうなりましたか? その責任も取ります」と言いました。電動自転車を起こして見ると、プラスチック製の付属品があちこち壊れていたものの、電源を入れると普通に回っていたので、電動自転車も大丈夫なので、修理代金を払う必要もないと運転手に伝えました。
運転手は私たちに何度もお礼を言いました。私は運転手に「早朝にこうしてぶつかってしまったからあなたと会うことができました。あなたとは本当に縁がありますね!」と言うと、運転手は「本当にそうですね」と答えました。「縁がある人だからこそ伝えたいのですが、『三退すれば平安が訪れる』という言葉をあなたは聞いたことがありますか?」と私が聞くと、 彼は 「いいえ、聞いたことがありません 」と答えました。
私は彼に、天安門広場での焼身自殺の真相、法輪大法が世界中に広まっていること、「蔵字石」、「天は中国共産党を滅ぼす」、「三退」の意味などについて話しました。そして平安を保つために「三退」しなければならないと彼に言いました。彼は快く承諾してくれました。自分は共産党員で、姓はユーで、役所で働いていること教えてくれました。 彼に「三退」する時の仮名をつけてあげたところ、とても喜んでくれました。
運転手は私の健康状態を把握したいと、何度も私の電話番号を聞いてきましたが、私は「大法の師父が守ってくれているので、私は大丈夫です。あなたはとてもやさしい子ですね。もし本当に不安に思うなら、電話番号を教えてくだされば、私の方から電話して健康状態をご連絡します」と答えました。 別れ際に私は、家族も「三退」して平安を保つことを忘れないようにと伝えました。彼は喜んで同意しました。
私たち夫婦は、再び電動自転車に乗り、卸売市場に行って買い物をしてからから帰宅しました。そして、普段どおり仕事を行い、滞らせることはありませんでした。しかし、午後になってから体の痛みが出てきました。 夫は、車とぶつかった時、常に意識があったそうです。車とあまりにも強くぶつかったため、空中に舞い上がったそうです。その時、夫は心の中で「師父、助けてください!」と師父に助けを求めたそうです。そして空中から落下した時、車のフロントガラスに落ちると、再び跳ね上がって地面に強く叩きつけられました。夫は、起き上がることができず、地面に横たわったまま車の下で動かない私を見て、急いで心の中で師父に「師父! どうかあなたの弟子を救ってください! 彼女はまだ真実を伝え、人々を救わなければなりません!」とお願いしたそうです。隣にいる人々は誰も私を引っ張り出そうとしませんでしたので、夫は師父にお願いしながら、地べたにいる私に向かって這っていき、その時、初めて私の叫び声が聞こえてきて、周りの人にお願いして車の下から私を引っ張ってもらい、その間、心の中で絶えずに師父に感謝したそうです。夫も誰かの助けで立ち上がりました。
私の左太ももの左側は黒紫になっていて、車が体の上を通って行ったことがわかりました。ダウンジャケットの左側は粉々になって糸くずが飛び散り、髪留めのゴムについていたプラスチックのビーズは粉々になって穴が開き、後頭部には大きなたんこぶができていました。事故当時、私は後頭部を強く地面に打ちつけられたのだと思います。プラスチックのビーズが粉々になっているなんて、私の頭蓋骨と地面の間にどれほどの衝撃があったでのしょうか。 師父に守られていなかったら、考えるだけでも恐ろしい結果になっていたことでしょう。
太っていた夫は非常にひどい転び方をして、翌日帰宅すると、胸が締め付けられるような痛みを感じました。息が苦しくなり、痰を出したいが、喉のところに留まって出なくなりました。胸が痛いため力を入れられず、顔が赤くなり、顔色もだんだんと変わっていきました。私はそばで絶えずに発正念しました。夫は息ができない、体が冷たい、手が冷たいと感じました。 彼は心の中で「師父、私を助けてください」と力一杯声を上げました。その時、口を開けると、大きな痰が喉から出てきました。咳をすることなく、勝手に排出されたのです。息を吹き返した夫は、声に出して 「師父、ありがとうございました 」と言い、目には涙が浮かんでいました。 このようなことが10日間続いた後、私たちは完全に回復しました。それから私たち夫婦は、心の中にあるたくさんの執着心を見つけました。師父の保護がなければ、私たちは今どうなっていたか分かりません。
法輪大法の普及により、私たち家族は幸運にも法輪大法に出会うことができ、人生が大きく変わりました。 夫の癌も、冠動脈バイパス手術を行おうとしていた私の心臓病も、子供の先天性の眼病も消え、修煉によって道徳性も向上しました。それ以来、私たちの生活は晴れ晴れとしたものになりました。 邪悪な迫害が起きてから、苦痛と悲しみもたくさんありましたが、修煉への決意は変わったことはありません。修煉して二十数年が経ちましたが、よくできた時も、執着心を捨てられない時もありました。私自身のこの忘れられない体験を書き記し、師父の慈悲深い救済と保護に感謝したいと思います。法輪大法は本当に素晴らしいと思います。