心性を向上させていく沁沁くん
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 【明慧日本2022年3月24日】四川省の成都市に沁沁(シンシン)くんという子どもがいて、当時はまだ6歳で、幼稚園児でした。新年が近づき、幼稚園は休みになり、両親も仕事に行かなければならないため、沁沁くんはおばあちゃんの家に預けられました。

 その頃、沁沁くんの60歳のおばあちゃんは法輪功の気功教室でボランティアの世話人をしていて、家ではよく李洪志先生の説法録音を聞いていたので、沁沁くんもだんだんと李先生の説法を聞きたくなりました。

 おばあちゃんが説法を聞こうとする度に、沁沁くんも手元の遊びをやめて、一緒に静かに録音を聞くことにしていました。しかも聞いた後、彼はよくおばあちゃんに法輪大法の学習者たちの修煉の話をしてほしいとお願いしました。時間が経つにつれて、法輪大法は沁沁くんの心に根づき、花を咲かせ、しかも実も結びました。

 ある日、迎えに来た両親を見るとすぐ、沁沁くんはこう言いました。「パパ、ママ、おばあちゃんが習っている法輪大法はとても良いものだよ。李先生が教えている真、善、忍もとても良いものだから、ぼくも習いたい!」。母親は好奇心から「沁沁、真、善、忍って何?」と聞きました。「真は、本当のことを話して、真実のことをすることだよ。善は慈悲心があって、善良で優しい心を持つことで、忍は殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さず、がまんすることだよ」と、沁沁くんは息もつかずに言い終えました。

 沁沁くんが授業中に先生の質問に答える時よりもすらすら話していたのを見て、お母さんは喜んでいました。

 沁沁くんは口先だけではなく、実際にその通り行動していました。新学期が始まったある日、あるいたずらっ子がわざと沁沁くんの顔を引っかいてしまいました。顔から血が出て、涙が出るほどの痛みを感じつつ、殴り返したい気持ちがいっぱいになっていた中で、沁沁くんはふと李先生が『轉法輪』で言われたことを思い出しました。「一人の煉功者としては、まず殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないで、ひたすら耐えられるようでなければなりません」。そこで彼は、煉功者として、李先生の言うことを聞くべきだと思いました。そう思ったとたん、痛みが消え、涙も止まりました。彼はやり返さなかっただけでなく、怒りの言葉すら口にしませんでした。

 それを見たクラスの先生は、よくがまんできたねと沁沁くんを褒めました。

 それ以来、子どもたちに殴られても、罵られても、物を盗まれても、沁沁くんは我慢しようと思い、本当に殴られても殴り返さず、罵られてもやり返さないようにしていました。クラスの子どもたちは皆、沁沁くんが好きになりました。

 沁沁くんは常に李先生の言うことに従うように努力していて、心性もとても速く向上しました。

 ある日、雨の後で道がすべりやすく、彼を連れて同修の家に行こうとしたおばあちゃんは、彼をおんぶして行くことにしました。通りには多くの歩行者がいて、自転車に乗っていたあるおじいさんがうっかりと沁沁くんの足にぶつかりました。ぶつけられて痛かったにもかかわらず、沁沁くんは笑顔で「ごめんなさい。僕の足で汚してしまって!」と、おじいさんに言いました。

 自転車に乗っていたおじいさんは嬉しそうに、「いい子だ。しかし、先にぶつけたのは私だ」と言いました。

 2日後、おばあちゃんは沁沁くんを連れて市場へ買い物に行きました。荷車を持ったおばあさんが、かごの中の茄子を一本落としてしまったのを見た沁沁くんは、それを拾って、「おばあさん、茄子を落としましたよ!」と声を掛けました。おばあさんは沁沁くんが茄子を取ったと思い、怒ったようすで茄子を奪い取っていきました。一瞬ぽかんとした沁沁くんは、すぐに自分が煉功者であることを思い出して、おばあちゃんにこう言いました。「おばあちゃん、さっきのおばあさんは、僕の心性を試すために李先生が按排してくれたんだね」

 確信を持ってそう言った沁沁くんを見て、おばあちゃんは「どうして分かるの?」と聞きました。沁沁くんは「茄子を拾ってあげたのに嫌われるなんて、きっと李先生は僕ががまんできるかどうかを試されたんだよ」と言いました。

 まもなく、心性の試練が再びやってきました。ある朝、郊外に住む沁沁くんは父親に連れられて、市内のおばあちゃんの家に向かっていました。途中、父親の自転車の後ろに座っていた沁沁くんは、遠くからやって来る女性が見えました。女性は、ブドウの入った二つの大きなカゴを自転車の後ろに乗せて、市内に売りに急いでいました。女性が沁沁くんの近くに来たとき、ブドウの入ったカゴが沁沁くんに引っ掛かかり、彼は自転車から落ちてしまい、大きなカゴが沁沁くんの足の上でひっくり返ってしまいました。

 女性は何と言ったらいいか分からなくなり、びっくりして震えていました。そこへ多くの人が集まってきました。父親は慌てて沁沁くんを抱き上げて、母親も心配そうにしていました。

 沁沁くんは震え上がっている女性に、「おばちゃん、もう行ってもいいよ、何でもないよ」と、落ち着いた口調で言いました。女性はとても感動し、「お利口さんだね! 本当にごめんね。このブドウをどうぞ食べて」と言いました。沁沁くんは「いいえ、いいえ、家にもあるから」と言いました。

 見物していた人たちも感動して、「この子は本当に物わかりがいいね」と言う人もいました。

 父親は安心できず、沁沁くんの足をじっくり見てみましたが、本当に傷がなく、かすり傷さえなかったのを見て、とても不思議な気持ちになりました。

 家に着くと、沁沁くんはおばあちゃんに「おばあちゃん、あのブドウ売りのおばさんは本当に可哀想だよ。こんなに朝早くから市内に来なければならないんだから」と言いました。

 沁沁くんのおばあちゃんは、1995年に法輪大法を修煉し始めました。沁沁くんもその頃から、法輪大法の子ども弟子になりました。誰かに要求されたわけでもないのに、幼い彼は自分を煉功者として気をつけていました。おばあちゃんが学法するとき、彼はいつも静かにそばについていました。彼は李先生の説法録音や説法のビデオを何度も聞き、何度も見ていました。その中のいくつかの言葉は彼の心に深く刻み込まれていて、法輪大法は沁沁くんにとってますます重要なものとなりました。

 ある同修が、水道の蛇口の使用問題をめぐって隣人と言い合いになりました。それを知った沁沁くんはその同修にこう言いました。「私たち煉功者は心を修め、徳を守るべきで、魔の妨害を受けないように注意しなければなりません。これは李先生があなたの心性を試されていると思います。耐えることができれば、心性を保つことができたということになりますよ。耐えなければなりません」。その同修は恥ずかしく思い、「本当だ。私は沁沁くんよりも分かっていなかったね」と言いました。

 また、沁沁くんはすべての物事を「真・善・忍」という法理に照らし合わせて見るようにし、自らの心性を向上させるだけでなく、両親の心性の向上も助けていました。ある日、両親がケンカをしていてどちらも一歩も引かず、家の空気が急に緊張し始めました。沁沁くんは台所に行き、父親にこう言いました。「パパ、『真・善・忍』を実行すべきではないの? 2人がケンカすれば、人に笑われるよ」。父親は恥ずかしく思い、母親のところに行って、「ママ、パパは我慢するから、あなたも我慢してみたら?」と言いました。母親も恥ずかしくて何も言えませんでした。短時間で両親は仲直りしました。

 時間が経つにつれ、沁沁くんはますます自分を厳しく律するようになりました。 

 半年後のある日、沁沁くんはおばあちゃんに「李先生が言われている『真・善・忍』は、常人社会で苦しみに耐えるようにという意味だと思う。今日から、おいしいとか、おいしくないとか言わないよ。すべては自然に任せて、お腹が空いたら空腹を満たせばいいんだよね」と言いました。その後、おばあちゃんに「沁沁、今日は何を食べようか?」と聞かれる度に、彼はいつも「何でもいいよ」と答えていました。

 求めることが少なくなっただけでなく、沁沁くんは勉強もがんばるようになり、働き者にもなりました。自分の部屋の片付けに加えて、彼はゴミを捨てに行き、ランドセルや文房具、おもちゃの整理も自ら行うようになりました。法輪大法の修煉を始める前の彼は、これらのことをしたことがありませんでした。

 そんな沁沁くんの大きな変化を目にして、両親はもっと彼を可愛がるようになりました。沁沁くんは確かに別人のように変わっていきました。家の中だけでなく、両親やおばあちゃんに連れられて人の家に遊びに行くときも、しっかりとした振る舞いができていました。誰の家に行っても、ゴミが落ちていたら拾ったり、彼にできることなら何でも率先してやっていました。また、自分の家に誰かが遊びに来ると、「果物を食べて、お茶を飲んで」と温かく声をかけたりしました。皆が「いい子だね」と沁沁くんを褒めてくれました。

 ある日、沁沁くんはまじめな顔でおばあちゃんにこう言いました。「おばあちゃん、僕たち2人は必ず正果を得なければいけないよ。李先生の言うことを聞いて、一生懸命に煉功しなければいけない。気楽にやっていたら成就できないよ」。その後、沁沁くんはもっと積極的に煉功するようになりました。

 おばあちゃんと一緒に煉功する以外に、沁沁くんは自分で煉功するときもありました。特に、真夏の午後3時か4時になるととても暑く、太陽に面したベランダが日差しでさらに暑くなっているにもかかわらず、沁沁くんはベランダに行って座禅をしました。両足を組んで座り、時には10分、時には30分の座禅を行う彼は、大量の汗をかきながらも、表情から見れば真剣そのものでした。そのような沁沁くんを眺めながら、おばあちゃんはとても感動し、「この子は心に佛がいるので、きっと成就できる」と思ったそうです。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/1999/7/8/144052.html)
 
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