内に向け探し、同修との問題を解決
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年4月7日】私は長年大法を修煉しており、田舎で教学しています。他の田舎の同修より条件は比較的に良く、数年前から、ある同修をいろいろと手助けすることが多くなりました。最近、彼女から「いつも物をくれるのは困る、自分のためにならない」と言われました。

 私は学法を通し内に向けて探すと、彼女が言ったことは理にかなっていることがわかりました。また、常に同修に物を与えてはならないことを法理から気づかされ、時間が経つにつれ、問題が生じることになりかねないのです。

 しかし、身につけた習慣はすぐに変えられず、同修・Aさんに物を与えない代わりに、お金、服、靴、帽子、果物、肉を含むなどのいろいろな物を同修・Bさんに与えるようになりました。良くないとは気づいていますが、顕示心や物事に干渉したり、按排する心は常にあります。これらの人心の下で、これ以上はあげない、同修のためにならないと思いながらも、ついついものをあげてしまうのです。

 最近突然、同修・Aさんが私の前で、同修・Bさんの悪口をいっていることに気づき、同修・Aさんに内に向かって探すように説得し始めましたが、変わらず同修・Bさんの悪口を毎日言っていました。話を聞いているうちに、やっとわかりました。これは同修・Bさんに何か問題があるわけではなく、明らかに私がちゃんとしなかったためで、私には執着心があり、同修を悩ませているのは私の執着心なのです。

 私は落ち着いて内に向けて探すと、強く他人を軽蔑し、常に自分が正しいと思い、自分がどれほど優れているかという思い込みに気づきました。長年、同修と話すとき、叱責することが多く、自分は彼らに対し、嫌悪感で一杯でした。

 大法を修煉し、皆は大法弟子であり、師父の家族なのだ、私には同修を叱り、嫌う権利があるのだろうか。実は、中に3つのことをしっかりやる同修もいます。自分は嫉妬して人を見下す、私心や雑念の下で、いっぱい悪いことをしていたのに、同修は私のことを責めず、笑顔で優しく、中には私に言われて、家に帰って泣いた人もいました。本当にもっと早く内に向けて探せばよかった、このようにやってはいけなかったのです。私を助けてくれた同修に感謝します。

 私は、自分自身と同修に、もっと法を学び、常に内に向け非を探し、善行を積むときにもそうすること、他人の葛藤さえも見るとき、内に向けて探さなければなりません。人心を取り除き、隔てを無くして、問題を解決し、一体となることを肝に銘じて、この記事を書きました。

 私がこの記事を書き終えた翌日、同修・Aさんは私を見て、自分がしたことは間違っていて、同修・Bさんの悪口を言ってはならない、もう二度としないと言いました。

 師父は私たちに慈悲深く、問題を解決してくださいました。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/3/30/440629.html)
 
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