闘争心を取り除く
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文/中国の大法弟子

  【明慧日本2024年7月29日】 嬉しいことに、70歳の私は1996年に大法を学び始めました。 子供の頃は、小学3年生までしか学校に行けず、文化大革命の時に両親と一緒に田舎に下放され、あまり教育を受けていませんので、文章を書くのは不得意です。しかし、今日は勇気を出して書いてみました。 師父に報告して、同修と交流をしたいと思います。間違ったところがあれば、同修の慈悲なるご叱正をお願いします。

 常人社会の中で、私の性格は比較的温厚で、他人といざこざを起こさずに、人に優しく接することが出来る人間です。 長年、修煉してきましたが、自分の人心に触れた出来事がほとんどありませんでした。平坦で静かな感覚は非常に良いと感じていました。 数日前、私は同修と一緒に法輪功迫害の真相を伝えるために出かけました。私は自転車に乗れませんので、同修は毎回私を三輪車に乗せて、近くの村に連れて行ってくれます。 ある日の帰り道、移動用のスクーターを見かけた同修・Fさんが「このスクーター、すごくいいよ 」と言いました。 私は「そうだね、乗れないけど、私もこのスクーターを買おうか? 歩いていけない距離の時にスクーターに乗れば便利でしょう ね」と言いました 。 思いもよらぬことに「強要してる訳じゃないよ、切羽詰まれば必ず乗れるようになるから」と同修に言われました。 それを聞いたとき、私は少し違和感を感じましたが、黙っていました。 でも、同修は私が聞こえていなかったと思ったのか、また2度も繰り返し「そう思わない?」と私に聞いてきまし た。 私は 「そうですね 」と言うしかありませんでした。 でも心はとても不快でした。

 家に帰ってからも、なぜ同修はあんなことを言ったのだろう? と何度も何度も考え、5、6日間は吹っ切れませんでした。ある日の昼、横になっていたら、このことが頭に浮かび、実際、そんなに大したことではないと思いました。小さなことでさえも乗り越えられない自分には、どのような人心が働きかけていたのでしょうか? どんな人心の影響を受けて、自分はこんなに辛く感じたのでしょうか?  しばらく考えても、答えが出ませんでした。私は立ち上がって、同修とグループ学法の準備をして、法を読んだ後、同修に聞こうと考えました。 同修と法の勉強を終えて、同修にこのことを話しました。 同修は「闘争心ではないでしょうか?」と私に言ったので「私にもよくわからない」と答えました。  「本当に自分はスクーターに乗れないと思ったから、彼女の言葉を不快に感じたのですか?」とまた同修が聞いたので、私は「はい、確かにそうです」と答えました。

 同修は、この人心に辿って他の人心も見つけることができると教えてくれました。 私は闘争心をたどって、不平不満な心、他人の指摘を拒む心、そして利を求める心を見つけました。 さらに同修と30分ほど正念を発しました。見つけたそれらの人心を30分間の間にずっと取り除き続けました。 すると、外に出たとき、足が一瞬にして軽くなり、砂が詰まって、持ち上がらないような感じがなくなりました。このとき初めて、本当に内に向けることができましたので、応援してくれた同修たちに「ありがとう」と感謝の気持ちを申し上げたいです!

 この内に向けて探す事を通して、私は以前にもそのような状況があったことを思い出しました。 第2式の功法で両手を頭上に上げていたとき、同修に動作が正しくないと言われたことがありました。すると、私は同修に「手術を受けたので、手は高く上がらない 」と言いました。すると、 同修に「そんな考えを持つべきではない」と言われたので、不機嫌になった私は、同修に「歯が抜けそうで食べられない時に、 そのような考えを持たなければ食べられますか?」と言い返しました。 師は私が悟らないのを見て、ある晩、第2式を行っていた時に、師の法が私の頭をよぎりました。「他の空間の身体は手術を受けておらず、煉功はあちらの身体が作用しているからです」(『轉法輪』)。 私のもう一つの空間では、手術を受けてないのです。 私は思い切り、一気に両手を持ち上げることができました。 嬉しくて夫に見てもらうと「どうやったの?」と驚きました。  その後、私は第2式の功法を正しく行えるようになりました。

 長年、この闘争心に悩まされ、精進できなかったのですが、今、本当に理解することができ、本当に恥ずかしく思います。 これからは、もっと法を勉強し、もっと正念を送り、もっと内に向けて探し「三つの事」をしっかり行い、法を正す進展に追いつき、師父と一緒に帰りたいと思います。

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2024/7/8/479383.html)
 
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