法輪大法を修煉して若返り、人々を救うことを怠らず
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文/中国の大法弟子 

 【明慧日本2025年4月1日】私は今年80歳ですが、他の人たちは私を見て「60代に見える」と言います。精神的にも充実していて、明るく楽観的で、身体も軽くて健康です。歩くときは、足が地面に触れていないかのように、若い人でも追いつけません。毎日大きな袋を背負って、買い物をしながら人々に法輪大法を伝えています。帰宅する頃には、真相を伝え、縁のある人々を救い、必要な物も購入できているので、毎日一石四鳥です。私はいつもニコニコしていて、近所の人や知り合いは私に「80歳のおばあさんが若い人よりもエネルギッシュだね」と言います。これらすべては私が法輪大法を修煉したおかげです。

 文化大革命の時期、夫は労働組合委員長で、「党内党員」として打倒され、毎日吊るし上げられ批判され、誰の勧誘で加入したか、また誰を勧誘して加入させたかを白状するように迫られました。彼は「私は党内党員じゃないです、何を言うんですか!」と答えると、相手は「お前さ、そうだと言われたらそうだと認めるしかないぞ! 言われた通りだ、認めたくなくても認めろ!!」と叫びました。壁にも床にも大きなポスターが貼られ、批判のスローガンが大声で叫ばれました。「頑固者には死しかない!」……私は幼い子どもと一緒に部屋の隅に縮こまり、人と会うことを避け、どうしようもなくなりました。夫は「どこかで食料券を借りて北京に行き、苦情を申し立てよう」と言いました。夫は高熱でトイレで倒れ、誰も助けてくれませんでした。私と息子だけが夫を頼りに夜明けを待ちました。どれくらいの時間が経ったか分かりませんが、私たちの無罪が証明され、この件はそれで終わりました。

 数年後、夫は再び反革命分子として扱われ、四人組の一員として批判され、さらに激しく批闘され、家には帰れないまま、工場に1年間閉じ込められて帰れませんでした。24時間体制で数人が交代で監視し、大きなスピーカーで毎日大声で「反革命の〇〇を打倒せよ、人民の敵、運動を破壊する者…」と叫ばれました。私は衛生隊で働き、1日1元の給料で、人々にいじめられ、冷たい視線を受けながら、ただ頭を下げて歩くしかありませんでした。昼間は働き、夜は3人の子どもと一緒にため息をつき、泣いていました。毎日、毎晩苦しみの中で、夫を思い、子どもたちを守りながら、次第に体が支えきれなくなり、働けなくなりました。子どもたちに食事を作るのもとても大変で、どうすればいいのか、出口が見つからないままでした。私は限界に達し、心も魂も失ったように感じ、絶望していました。ある日、私は長女に「妹を見ていてね、私はおばあちゃんのところに行くから(すでに亡くなっている)」と言いました。子どもはもちろん私の言うことが分からず、ぼんやりと私を見ていました。言い終わると、私は家を出ました。どこに行くか、何をするのかも分からず、ただ目的もなく東へ西へと歩きました。どれくらいの時間が経ったのかも分かりませんが、家から西へ十数キロの川辺に着き、水の中に足を踏み入れ、思い切り飛び込もうとしたその時、突然親戚が現れて、慌てて私を引き止め、「姉さん、何をしているの? 死んじゃダメだよ、子どもたちはどうするの? 旦那さんはどうするの?」と言って、私を家に引き戻し、命を救ってくれ、私の家も守ってくれました。

 文化大革命が終わった後、夫は仕事に復帰し、ようやく家庭は安定しましたが、私の体は完全に壊れてしまいました。心臓病、全身の痛み、不眠症、毎日痛み止めや、睡眠薬、消炎薬などを頼りにしていましたが、それでも疲れが取れませんでした。占い師や民間薬を売っている人々にも頼みましたが、どれも効果はありませんでした。

 1996年、ようやく法輪大法に出会いました。当時、煉功拠点には数十人が集まっていました。私は文字が読めませんでしたが、同修たちが法を読むのを聞くうちに、どんどん好きになり、本の中で述べられていることがとても素晴らしく、正しいと感じました。一度に4冊の大法の書籍をお願いして、毎日朝の3時半に規則正しく煉功拠点に到着しました。功を煉って間もなく、すべての病気が治りました。本当に師父がおっしゃった通り、どんなに遠く歩いても疲れないのです。あるとき他の人を手伝って車から荷物を降ろすとき、私は1袋の麦を持ち上げることができ、その後も車一台分の麦を降ろし終わって、翌日朝起きてもまったく疲れていませんでした。自分でもそれが不思議に感じました。私の家では学法拠点を作り、9人が集まってよく一緒に学法しました。同修たちの助けと師父のご加持のおかげで、私はついに『轉法輪』の文字をすべて覚えました。私は法に浸り、最後まで頑張る決心をしました。どんな困難も私の修煉の道を阻むことはできません。

 師父と法を信じて、人々を救うことを怠らずに私たちが修煉に全身全霊を捧げている時、邪悪な迫害が始まりました。みんなの気持ちは非常に沈みました。多くの兄弟姉妹が圧力の下で修煉を続けられず、顔を合わせても話すことすらできなくなってしまったのは本当に残念でした。師父は私たちに真相を伝え、衆生を救うようにとおっしゃっています。衆生が嘘に欺かれないようにしましょう。私たち修煉を続けている数人の同修は、小さなグループを作り、真相を伝えたり、真相資料を配布したりしました。遠くまで出かけて真相資料を配り、横断幕を掛けたり、標語を貼ったり、台歴や九評、CDなども配布しました。毎日自転車に乗り、市内の四方八方を走り回り、なるべくすべての地域を漏らさないようにしました。

 地元で真相を伝えることは、1日も怠ることなく、厳しい寒さや暑さ、吹雪などがあっても、人々を救う道を阻むことはありません。3、4人のグループで行動し、誰かが話し、誰かが資料を配り、誰かが正念を発し、とても良く協力していました。基本的に話を聞こうとする衆生を見つけたらその人を逃がさず徹底的に真相を伝え、毎日最大で30人以上を脱党させました。時には20人程度、特別な状況でも1、2人は退党を説得できました。時には2日間話を聞こうとする人は1人もいなかったこともあります。私は速く歩き、前方に人が見えたら急いで追いかけて、常に真相資料を持って面と向かって手渡しするようにしていました。多くの人が喜んで受け取ってくれ、その中には、新しい資料があればまた渡してほしいと約束してくれる人もいました。また、真相を伝え終わると、両手を合わせて感謝の気持ちを示してくれる人たちもいました。

 私の親戚はほとんどが真相を理解し、三退しました。当然、少数の人々は聞かず、信じようとしませんが、私たちは心が動じず、影響を受けることもありません。みんなで一緒に正念を発し、彼らの背後にある邪悪を取り除き、他の人が救われることを願っています。ある日、私は派出所に連れて行かれましたが、私は恐怖の念を抱くことなく、ただ警官たちを救いたいという思いだけがありました。私は彼らに真相を話し、真相資料を1人1冊渡して、家に帰ってよく読んでほしいと言いました。警官らは同意しました。その後、私の息子が人に頼んで私を迎えに来てくれました。

 ある時、私は夫と一緒に外地に資料を配りに行った際、派出所に連れて行かれました。息子の嫁が派出所に迎えに来てくれました。息子の嫁は「彼女たちは修煉をしているだけで、体を鍛え健康を増進するためです。何も悪いことをしていません。なぜ彼女たちを連行するんのですか?」と質問しました。警官は「彼女たちを連行したのではない」と言いましたが、息子の嫁は「今、彼女たちはあなたたちのところにいます」と言いました。その時、私は突然病気の症状が現れ、全身が震え、倒れそうになりました。警官は私の様子を見て責任を取りたくなかったので、すぐに私たちを解放しました。家に帰るとすぐに回復しました。私は師父が弟子を常に守ってくださっていることを深く実感しました。

 私は何度か連行されたことがありますが、そのたびに息子や息子の嫁が出てきて私を助けてくれました。これも彼らの位置を示しています。彼らはすでに三退を済ませており、いつも「法輪大法は素晴らしい」「真・善・忍は素晴らしい」と唱えています。息子の嫁は「私は何か問題に直面すると、いつも心からの九文字を唱えます。ある時、わずか5分間しか時間がなかったのですが、明らかにバスに間に合わないと思っていたところ、心からの九文字を唱えながら駅に向かうと、バスはちょうど出発するところでした。私は無事に乗れました。本当に良かったです!」と言いました。

 修煉して20年以上、心から身体、そして家族全員に天と地がひっくり返るような変化が起こりました。人として生きる意味がわかりました。人間として生きる目的は、名誉や富、世間でいう幸福を追い求めることではなく、常人の中で業を消去し、罪を償い、執着を取り除き、最終的に心身ともに清浄な状態で真の故郷に帰ることだと理解しました。だから私は修煉を決意し、すべての執着を取り除くことを決めました。同修の皆さん、私の不足を指摘してくれることを心から願っています。そして、師父が示された天の梯子を登りながら、内に向けて探し、かつて師父に誓った誓いを果たし、自分の使命と責任を全うし、衆生を導いて師父に従って聖園に戻るため力を尽くします。

 慈悲深く偉大な師父に、心からの感謝と敬意を込めてお礼を申し上げます。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/3/15/490968.html
 
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