善をもって人々を目覚めさせる
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文/吉林省の大法弟子

 【明慧日本2025年5月14日】以前、ある商売人に法輪大法(法輪功)の素晴らしさと迫害の実態を伝えたとき、彼は戸惑った様子で「一体、何のためにやっているのですか?」と尋ねてきました。私は、「人々が大きな災難を無事に乗り越えられるよう願っているだけです」と答えました。そして、「今起きているさまざまな災難は、天からの警告であり、すべて中国共産党(以下、中共)の暴政が原因です。文化大革命では数千万人が迫害され、『六・四天安門事件』では学生が戦車で轢き殺されました。さらに中共は法輪功を中傷し、迫害し、学習者から生きたまま臓器を摘出して売買するという恐ろしい行為まで行っています。これは天に許されない大罪です。そのため、中共の組織から脱退する必要があります。私たちは『善』を修める者として、人々が中共の巻き添えにならないよう、全力で救おうとしているのです」と、三退の重要性を伝えました。彼はようやく理解し、敬意を込めた眼差しでうなずいてくれました。

 気がつけば、中共についての真実を伝え始めてから11年が経ちました。ここで、いくつかの体験を師父に報告し、同修の皆さんと共有したいと思います。

 法に則って 自分の難を乗り越える

 大法の素晴らしさと迫害の実態を伝え始めた頃は、人心にとらわれて言葉に力がなく、どれだけ話しても人を救うことがほとんどできませんでした。たとえば、三退について少し話しただけで相手に怒鳴られ、「そんな話は聞きたくない! あっちへ行け!」と強く拒絶されたこともあります。私はすぐ引き下がり、「言うべきことは言ったし、受け入れないのは相手の選択だ」とその場を離れました。

 でも、その心には恐れや恨み、対抗心、メンツへの執着が混じっていました。今振り返ると、人を救えなかっただけでなく、大法弟子としての「善」も示せてはいませんでした。修煉が足りない状態で、本当に人を救えるのでしょうか。

 師父は「慈悲は天地の春を溶かし 正念は世中の人を救う可し」(『洪吟二』「法は乾坤を正す」)と説かれました。私は繰り返し暗唱していましたが、真の「慈悲」とは何かが分からず、戸惑っていました。

 その後、『轉法輪』や『洪吟』を暗唱し、毎晩遅くまで学法に励みました。すると、師父の法理が自然と心に浮かぶようになりました。ある日、『洪吟二』の「梅」の「連日の雨雪(うせつ)は神佛の涙のよう 待ち望む梅の帰るを」を暗唱していたとき、世の中の人々や自分の世界の衆生がずっと私を待っていると思うと、胸が熱くなり、使命感と責任感が込み上げ、涙が止まりませんでした。これが慈悲の一つの表れだと思います。

 それ以来、自分が変わったのを実感しています。法輪功の素晴らしさと迫害の実態を伝えるときの口調はより穏やかになり、心も広くなりました。たとえ相手に冷たくされても、それを受け止め、相手を妨げている原因を探り、できる限り善意で目覚めを促すよう努めています。

 恐怖心を取り除き、堂々と人を救う

 真相を伝え始めてから恐怖心は少なくなりましたが、まだ完全には取り除けていませんでした。私は見た目が優しそうな人を選び、険しい表情の人は避けていたのです。

 ある日、道端で一人の男性に声をかけ真相を話し始めたところ、「警察だ。もう逃げられないぞ」と突然言われ、彼が携帯で電話をかけ始めたのを見て、私は恐ろしくなり、その場をすぐ離れました。「運が悪かった」と悔しさを感じつつ、「いつまでもこんなに怖がっていてはいけない」と思いました。

 そのとき、師父の法が心に浮かびました。「あなたに恐れ有らば 它(だ)は直(すぐ)に抓(つか)む 念を正にすれば 悪は直に崩れる」(『洪吟二』「恐れ無し」)。これは自分の恐怖心が招いた結果だったと気づき、発正念で恐怖を取り除こうとしました。しかし、しばらくすると再び恐れが現れてきました。後になって、「恐怖心も執着の一つであり、段階的に取り除かれるものだ」と理解しました。

 その経験から、「恐怖心だけでなく、あらゆる執着を捨て、正念を持って堂々と人を救わなければならない」と強く思うようになりました。

 しばらくして、また試練がやってきました。ある日、バス停で男性に三退を勧めたところ、彼は険しい顔で「俺が誰だか分かっているのか? 警察だぞ!」と大声で怒鳴りました。今度はもう動じず、「この人を救おう」と心で念じながら、笑顔でこう言いました。「警察の方にも平安が必要です。大法弟子が皆、良い人だと分かっているはずです。災難が多い今の世は、人の道徳が崩れたからです。天は悪を淘汰しようとしているのです」。彼が耳を傾けてくれているのを見て、続けました。「あなたは優しく、目も穏やかで善良な方です。天は善良な人を残そうとしています。私たちはきっと縁があるんです。中共の組織から脱退してくださいね」。私の善意が伝わったのか、彼の表情は和らぎ、やがて笑顔を見せ、「わかった。そうしよう」と言ってくれました。別れ際、「気をつけてね。誰にでも話しかけるのは危ないから」と優しく言ってくれ、私は「ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えました。

 この二つの体験から、私は大きな気づきを得ました。人を救おうという一念に徹し、自分の損得を考えなければ、恐れは消え、結果もまったく変わってくるのです。きっと、師父が私の正念と善の心を見て、加持してくださったのだと思います。

 魔難に遭った時は、無条件に内に向かって探す

 ある日、外で真相を伝えていた際、足を踏み外して転倒し、帰宅後には足が大きく腫れて歩くのも困難になりました。「人を救う大切な時期なのに、なぜこんなことが?」と考え、「きっと修煉に漏れがあり、旧勢力に迫害の口実を与えてしまったのだ」と反省し、法から外れていないか内に向かって探し始めました。

 しばらくは思い当たることがありませんでしたが、ふと、以前同修と交流していた時の自分の態度を思い出しました。活動を通して親しくなった同修たちは、心性の問題に直面すると私に相談してきて、「あなたは正直で優しく、正念が強い」と信頼を寄せ、さまざまな悩みを打ち明けてくれました。私は毎回「無条件に内に向かって探してね」と言っていましたが、自分自身を省みることはほとんどなかったのです。また、同修たちからの繰り返される称賛に対し、法に照らして考えることなく、知らず知らずのうちに歓喜心や顕示心、自分を証明したい心が大きくなっていました。

 さらに、「私は『三つのこと』を着実に行い、どんな天気でも外に出て、多くの人を救っている」という思いに、密かな自慢の気持ちがあったことにも気づき、愕然としました。私は心から、「これらの執着を取り除き、さらに多くの人を救えるように」と、師父にご加持をお願いしました。

 翌朝、大きめの靴を履き、タクシーで外出しました。降りた瞬間、道を尋ねてきた人がいて、「これは師父が導いてくださった」と思い、三退を勧めるとすぐに受け入れてくれました。その後も次々と人々が理解を示し、30分間で9人の三退ができました。不思議なことに、足の痛みもなくなり、帰宅後には腫れもすっかり引いていたのです。

 私はこれからも時間を大切にし、心を込めて「三つのこと」に取り組み、より多くの人を救い、自分の使命を果たしていきます。

 師父、本当にありがとうございます。

 
翻訳原文(中国語):https://www.minghui.org/mh/articles/2025/5/9/493824.html
 
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