【明慧日本2022年6月16日】(前文に続く)
「あなたってどうしてここまで良い人なの?!」
大法弟子たちは、 師父が弟子たちに要求されている「無私無我」 [2] の境地に達するべきです。大法を修めてから、私はしばしば助けを必要とする人々を助けることに尽力し、見返りなどを考えませんでした。学校に勤務してからの7年間、当時の総合管理弁公室(パソコン操作がわからない学校の会計士でもあるL主任50代)の仕事(資料の編集や印刷、財務データや報告書の作成および記入)をよく手伝っていました。
ある年の年末、学校の安全活動が県から表彰と奨励を受けたので、L主任は感謝の気持ちを込めて私に100元を渡そうとしましたが、私はその好意を断りながら「それは容易いことであり、自分がすべきことだ」と伝えました。これを聞いたL主任は「あなたってどうしてここまで良い人なの?!」と言いました。彼は退職後も、私に会う度に「良い人です! 本当に良い人です!」と言っていました。
面倒なことを嫌がらず、学生に優しく
ある年、知的障害を持つ小浩と麗娟の保護者は仕事が忙しくて、放課後の子供の出迎えができないため、教務主任は私に「2人のお子さんを自宅まで送ってあげることができますか?」と打診してきました。私は迷わずに承諾しました。
それからの週末を除いて、毎日、私は退社時に少なくとも30分の道を歩いて2人の子供を親のそばに連れて行き、それから自宅に向かうことにしました。実は、長く歩けば、私の右足の足首は必ず痛くなります。毎日こうして歩いていると、さらに辛くなりましたが、2人の保護者の憂いを解消できたと思うと、あまり気にはなりませんでした。
2人の子供を連れて歩くのは簡単ではないと思ったことはありませんでした。小浩はとてもやんちゃで言うことを聞かず、道路に飛び出さないように歩道を歩こうと言っても、騒ぎながら道路の真ん中に飛び出していきます。通りすがりの車に轢かれるのではと本当に心配していました。その都度、私は怒ってはならないと自分に言い聞かせ、早く歩道に戻るように優しく声掛けをしていました。
時々、小浩は忠告を聞くどころか、道の真ん中で笑ったり踊ったりして、私に泣き笑いを誘っていました。その時、翌日から連れて帰るのをやめようと思いました。しかし、彼の母親が駅で靴磨きをしてお金を稼ぐのも大変だと思うと、大法弟子である自分は他人のために考えるべきだと思いました。私が毎日仕事帰りに歩いている道は、町の主要道路と言っても過言ではなく、交通量の多いところです。しかし、不思議なことに、小浩が道路の真ん中で悪戯をしているときに限って、いつも車の通行はあまりありませんでした。これは、師父による慈悲なご保護だと思いました。
小浩をお母さんのところに連れて行く度に、「ありがとう!」と感謝の言葉をかけられて、その「ありがとう!」を聞く度に、私は続けて助けてあげなければならないと思いました。
その年の年末の冬休み前のある日、麗娟の両親は感謝の印として私に100元を渡してきました。断り切れず、私はそれを受け取りました。私は子どもの教育費を稼ぐための出稼ぎ保護者たちの大変さを知っているので、翌日に麗娟を母親の職場に連れて行ったとき、100元を母親に返しました。彼女はとても感動していました。
大法弟子の寛容さに運転手が感動した
もう10年以上も前のある冬の日のことですが、仕事を終えた私は校門の右側の歩道で帰りの車を待っていました。しばらくして、一台の「長安」(客引き乗用車)が目の前に停まりました。左足を車に乗せ、右足がまだ地面についているとき、運転手は私がすでに車に乗ったと勘違いし、勢いよくアクセルを踏んでしまいました。瞬時、私は何も分からなくなりました。
気がついたとき、私はすでに運転手に起こされて座っていました。彼は罪悪感と不安に満ちた表情で私を見ていました。体中のほこりと、綿いれジャケットの右脇下の縫い目に1尺ほどの裂け口があるのを見て、私は何も言わずに、ほこりだけを叩きました。辛そうな表情がなく、文句も言わない私を見て、運転手は私を助手席に座らせ、家まで送ってくれました。
途中、運転手は他の乗客を乗せる気にもなれず、ただゆっくりと運転していました。突然の交通事故に遭い、私は最初「私は足が不自由なので、行動が少し遅いと知りつつ、なぜちゃんと車に乗り座ってから運転しなかったのか!」と、心の中で愚痴をこぼし、運転手を怨み、悔しい気持ちもありました。しかしその直後「彼が急いだのは、もう少し乗客を乗せて、もう少し稼ごうと思っていただろう。彼を怨んではならない」と考え直しました。
目的地に近づいていたとき、私はカバンからお金を取り出そうとしました。それを見た運転手は恥ずかしくなり「お金は頂きません! お金は頂きません!」と言いました。私は1元を手に握り、降りるときに黙って車の中に置きました。
交通事故の後、何日も右の胸郭に鈍痛がありましたが、何の治療もしないうちに自然に治りました。今回の事故の前に、バスの中で誤って転倒した人が、バスの運転手から数千元の慰謝料を巻上げた事件が地元で起きていました。
常識的に考えて、触らぬ神にたたり無しと言われているように、長安車の運転手は面倒を起こさないためにも、二度と私のような足が不自由な人を乗せないでしょう。しかし、事故の後、大法修煉者である私が見せた優しさと寛容さに感動して、その運転手は私が道端で待っているのが見える度に、素早く車を回して私を乗せてくれました。
結び
私の煉功の動作は極めて不正確で、未だに体をリラックスさせることができませんが、法輪大法の無限のご慈悲により、私は25年前に死神とすれ違い、それ以来、病気に罹ったことがなく、薬を飲んだこともありません。
25年間法輪大法を修めてきて、私の人生も25年間再生されました。私に新しい人生を与え、障害があってもやめることなく、無私で他人のためになれる幸せな生命に作り上げて下さった慈悲で偉大なる師父に感謝しています。
世の人々が中国共産党の嘘を見抜き、大法弟子と共に李洪志先生のご慈悲、および法輪大法が迅速に心身を浄化できる不思議な超常さを感受できるよう、心から願っています。
注:
[1]李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2]李洪志師父の著作:『精進要旨』「佛性に漏れなし」