師父が天目を開かせて下さった
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 【明慧日本2022年7月1日】私は8歳の時のある日、近所のおばさんに誘われて、李洪志先生の説法ビデオを一緒に見ました。見ているうちに、ふと気づくと、師父が着ていたスーツが、急に黄色い袈裟に変わったのが見えました。

 不思議に思った私は、「おばさん、師父は服を着替えているよ。さっきはブルーだったけど、今は金色に変わっているよ!」と言いました。おばさんは「そうなの?」と言い、『轉法輪』を私に見せて、表紙にある法輪の図形を見て、と言いました。見てみると、法輪の図形が非常に速いスピードで回転しているのが見えました。おばさんは嬉しそうに「師父はあなたの天目を開かせて下さったのね」と言いました。

 その後、師父の説法を見ている最中に、師父の同じ姿かたちをした佛がたくさんいて、師父を囲んで何層もの輪になっているのが見えました。あとで他の修煉者から、それは師父の法身だと聞き、「法身なんだ! なるほど」と思いました。

 (1)不思議な世界

 その後、おばさんはよく私を煉功に連れて行ってくれました。行く途中、道を歩きながら空を見上げると、そこには師父の法身がいっぱいあって、大きいものもあれば小さいものもありました。1万人もいる煉功場の上空が赤く染まり、大法弟子たちが集団で煉功していた時、非常に強いエネルギーを帯びた、大きな丸い柱の形のカバーが皆を包みこみ、カバーの上部が大きな法輪となっていて、師父が法輪の上に座って大法弟子たちの煉功を見ていたのが見えました。

 また、私はこういう光景も見えました。それぞれの大法弟子の頭上の右側には、大きな蓮の花の中に座り袈裟を着ている師父の法身がいて、その背後には、金のふち取りをした透明体の師父の法身が立っていました。

 普段『轉法輪』を読む時、本にある全ての文字が師父の法身と法輪の形で、本の各ページにはピンクの蓮花座に座っている師父の大きな法身が常に見えます。その蓮の花はつやつやして色合いも柔らかくて、まるで咲いたばかりのような美しさです。それぞれの文字がどんなに小さくても、そこには法身の顔がはっきりと見えて、とても不思議でした。

 ある日、法を学んでいた時、本の中の法輪がぐるぐると回っているのが見えました。「法輪の中はどんな風になっているのだろう?」と思ったとたん、突然、私は自分が果てしなく広い世界にいるのを感じました。

 その世界では、中心でも隅でも、短い間隔ごとに法輪があります。気ままにそのうちの一つの法輪に入ってみると、私はより広い法輪世界に入ったと感じ、更にその中にある法輪に入って行くと、私は更に更に広大な法輪世界に入ったのを感じました。この行為をいくら繰り返しても、最後までたどり着くことができませんでした。

 師父の法身に入ってみた時も法輪と同じ状況で、どこまで行っても師父の法身がありました。

 (2)他の空間では、私たちは常に一緒に煉功している

 以前、一人で煉功していた時、私はいつも「一人ではエネルギー場が弱く、孤独だ」と思っていました。今ではそんなことは考えなくなりました。なぜなら、ある日の煉功中に、私は同じ次元にいる同修たちがこの空間では私と一緒に煉功していませんが、他の空間では私と一緒に煉功していることに気づいたからです。

 第一式の「佛展千手法」を煉功していた時、私は清々しい世界にいました。そこの全ては人間の言葉では表現できないほど美しくて、心が晴れ晴れとした楽しい感覚になりました。そこではすべてが透き通っていて、空気さえも爽やかで冷たく、それを吸い込むと頭が冴えて、体がその世界と一体化したように感じました。その空間では、10人ほどの同修が私と一緒に煉功していました。

 おととい、第二式の「法輪樁(とう)法」を煉功していたとき、私は自分が夜空のような黒い背景の下で煉功しているのが見えました。頭前抱輪をしていたとき、両手に抱えられている法輪は正面がこっちに向く方向、横方向、そして平面方向に回転していて、十方世界に向けて回転していました。次の日にこの功法をしていた時、私は自分が赤とオレンジ色が混ざった炎のような空間の中で煉功しているのが見えました。人間界にある火のようなものではありません。私は下半身から上半身に向かって熱気が上がってくるのを感じ、体がポカポカでした。

 第三式の「貫通両極法」を煉功していたとき、私の周りには宇宙の一番上に直接達する大きな銀白色の柱がたくさんあることに気づきました。

 第四式の「法輪周天法」は、私は無数の蓮の花びらがある世界の中で煉功していました。蓮の花びらの配置はとても不思議で、バラバラのように見えますが、実際はとても整然と並んでいて、とても美しかったです。花びらはピンクと白で色鮮やかで、内側からとても繊細な明るさを放っていて、私がこれまで学んだ形容詞では表現できないほどの美しさでした。

 蓮の花びらの世界では、私は蓮の花の爽やかな香りを吸い込み、人間界では想像できないほどの美しさを感じました。自分の目で見ていなければ、それが幻覚としか思えず、自分がその世界の一部になったような気もしました。

 私は第五式の功法である「神通加持法」をあまり煉功しないため、たとえ他の同修と一緒に座禅していても、他の空間で見れば次元の差が大きく開いています。異なる他の空間での同修たちの真の姿が見えた時、私は思わず感心し、威厳を感じ、直視する勇気を失ってしまう時もありました。

 つまり、法輪大法の修煉における向上は、ものすごく速いのです。今日はこの空間で煉功していても、明日はもっと高い境地にいるかもしれません。それだけでなく、煉功の最中に突然ある理が分かったら、瞬時により高い境地に上がっていくこともあり得ます。

 (3)天上のすべての衆生が私たちを羨んでいる

 ある日、私は自分の修煉のエピソードを書いている最中に、突然、自分が天国世界に来ていて、ある大きな佛のそばにいるような気がしました。

 急に目の前に大覚者が現れたので、私は緊張のあまり、慌てて後ろに下がって距離を取りました。よく見てみると、私は大覚者の右下方向にいました。

 霧がかかっていましたが、大覚者の体ははっきりと見えていました。大覚者は金色の蓮花座に座っていて、蓮花座は内側から非常に繊細な光を放っていました。霧が濃くて、私は3層の蓮花しか見えませんでした。また、大覚者の真後ろには、椅子の背もたれのような美しいものが蓮花座とつながっていて、その中央には、私には読めない銀白色の文字が縦に書かれていました。

 背もたれの中央には、大きな楕円形の金色のエネルギーの塊があって、そのエネルギーの塊は密度が非常に、非常に、非常に高くて、四方八方、そしてはるか遠いところへ帯状の光を放っていました。

 大覚者がはっきり見えるように、私はおどおどしながら正面に回ると、「あ! 師父だ!」と分かりました。師父は慈しみ深い顔で目を伏せて座っておられ、髪は青くて艶があり、くるくると巻いて、かなり高いところまで重なっていました。

 驚きと喜びとともに、ここにいるのが師父だと知り、少し安心しました。周りをよく見回してみると、私はまたも驚いてぽかんとしました! 周りの霧の中には、見え隠れする数多くの天上の衆生がいました。彼らはみな目を閉じて座っており、片手を立て、口では何かを唱えていました(邪悪を取り除くための発正念をしているのかもしれません)。

 すぐ目の前にいるように見えた師父と、師父と対面して座っている衆生たちを見て、私はあることが分かりました。「私のいる師父が見える空間と、反対側にいる衆生たちと師父がいる空間の間には、数え切れないほどの層の空間が隔てています。師父がいる空間の『密度』(適切な言葉がない)があまりにも高くて、私の命はそれに耐えられるはずがなく、本当にこのままその空間に入ると、命が解体してしまうでしょう。私が師父の姿を見ることができるように、慈悲深い師父はわざわざ私に覆いをかけられ、真正面に来れるようにして下さったのです」

 彼らに向かって近寄ろうとしたとき、ある強烈なエネルギーが押し寄せてきて、私は頭がぼんやりとさせられました。その時、彼らが私にこう言っているのを感じ取りました。「あなたたち人間界の大法弟子は本当に羨ましい存在です。それほどの得難い機会でも手に入れることができるなんて。しかし、私たちは、それらの精進していない修煉者のことを、本当に残念に思っています」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2002/6/29/32536.html)
 
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