養老院の物語
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文/中国の大法弟子

 【明慧日本2022年7月31日】2013年、従姉の紹介で養老院で介護の仕事をすることになりました。しかし、従姉は院長に私が4階(院長の仕事場兼会議室)の清掃しか担当しないと言ったそうです。私が他の階で介護の仕事をするのは納得しないだろうと思ったようでした。

 面接当日、院長に3階で試用させてもらいました。施設全体の寝たきりの入居者は、2階と3階の最も働きにくい東館にいるため、新入職員は全員2階と3階で試用してみて、納得がいけば採用するというものでした。

 院内に足を踏み入れた時、年老いた人、弱った人、病気の人、体の不自由な人などを目の当たりにしました。久しぶりの抑鬱した苦しみは言葉では言い表せないほどで、心がはり裂けそうでした。人生の無常と悲しみ、不幸と侘しさ、すべてがここに集まっていました。しかし、私がさらに大切にし、喜びを感じるのはこの万古不遇の修煉の機会でした。

 面接後、採用結果をまた連絡すると言われました。

 院長は元々4階での仕事の承諾をしてくれました。なぜなら、養老院の責任者は、私が表面上は比較的若く、事務仕事の経験もあることを見て、介護の仕事は引き受けたくないのではないかと思っていたようで、4階で働かせてくれることになりました。 ところが試用期間中に3階の介護士から「養老院の検査があるから掃除を手伝ってほしい」と言われ手伝いました。他の人が試しに仕事をしてみて許容範囲内かどうか確認する中、私は半日、介護士の手伝いとベッドの下にこびりついた汚物の掃除に明け暮れ、昼まで、寝たきりのお年寄りに食事を与える介護士の手伝いをしました。その様子を院長がモニターで見ていました。 正式に勤務が決まった時、私は1階の東館に配属されました。

 その時、いとこは私に、「4階しか行かない、他の階の仕事はできないことを院長に繰り返し強調したし、4階はみんな行きたくても行けないのに、せっかくのチャンスを逃したら、私の面子が丸つぶれじゃない」と不満を漏らしました。私は修煉者なので、選ぶことはできません。そして、そのお年寄りたちが私を必要としてくれていると感じていました。

 (一)

 東館の衛生環境は非常に悪く、上の検査は一度も通らず、入居者の家族からも意見が出ていました。そこはほとんど寝たきりの高齢者ばかりで、仕事も疲れるので、上司を満足させるのは難しかったのでした。

 私が行った時、まず寝たきりの人のマットレスの下と尿パッドの防水シートをお湯で洗いました。ある100歳の寝たきりの男性は、防水シートを長い間洗わなかったため、尿石がびっしりと溜まっていました。ベッドの柵は白い鉄製で、柵が比較的高いので、老人は何かに寄りかかって座ることができるので、吐いた唾がよく柵につき、時間が経つと厚い唾のタコができていたのです。私は手袋をはめて金属たわしで強くこすりました。各部屋を丁寧に掃除した後、床をお湯で何度も徹底的に洗うと、かつての息苦しい生臭さは消え去り、爽やかな環境に生まれ変わりました。

 初出勤の日、私は3号室の老婦人のベッドを掃除しました。重度の脳血栓症で、高齢とは言えない60歳の患者さんですが、言葉を失い、寝返りを打つのに手助けが必要な状態でした。良い介護士が担当すれば、時間があるときに見に来るのですが、ほとんどの介護士は責任感がなく、シフトを引き継いだらいなくなり、責任者も確認せず、率先して部屋を確認することはほとんどありませんでした。ときには患者が排泄した後、片付けるタイミングがわからず、皮膚が尿で濡れて赤くなったり、潰瘍ができたりすることがありました。夏の暑い日は、息苦しいほどの臭いを発していました。

 私は彼女を入浴させ、おむつを交換し、パウダーをかけ、薄い毛布をかけ、扇風機の速度を調整しセットしました。食事に行こうとしたら、また排泄されてしまい、その日の昼食はろくに食べられませんでした。同僚は「食事の後に片付ければいいじゃない」と言いましたが、それでは本人が気持ち悪いのではないでしょうか。寝たきりの老人たちは本当に惨めで、このまま余生を過ごしていくのでしょうか。

 ある老人は何の問題もなく、食欲も旺盛だったのに、私が最初にそこに着いたとき、彼女はとても痩せていました。彼女が排泄するのを防ぐために、介護士はできるだけ少ない水を与えました、そして同僚もそうするように、魚や肉などをより少なく与えるように言われました。私はそうしませんでした。老人はすでに十分に不幸なため、もしそんなことしたら、彼女に対してあまりにも良心的ではありませんでした。私が大法の学習者であるからにはもちろん、そんなことはできませんでした。そこで、魚を食べさせるたび骨を取り除き、毎食しっかり食べてもらうようにしました。また時間をつくって、彼女と一緒に過ごし、話をしました。半月後、彼女は顔色がよく体重も増え、彼女の娘が会いに来た時とても喜び、養老院を褒め称え、私に贈り物をくれましたが、全部断りました。彼女は私に2階にいて欲しいと言いました。

 大法を修煉しなければ、私は彼らのようになるかもしれず、もはやここにいなかったかもしれないと、私はよく立場を変えて考え、修煉者の慈悲心で人と付き合うようにしました。

 2カ月後、養老院は四半期ごとの表彰大会を開催しました。私は例外的に優秀な従業員と評価され、大会で賞賛されました。例外が認められていため、自分がやるべきことをやるのが義務であり、施設のルールに従うべきであることを、院長に打診したのですが、院長は「2階のすべてを変えたのはあなたでした、どうして無かったことにできますか」と言いました。その後、私が院長に法輪功迫害の実態を明らかにした時、彼女も三退に同意しました。

 (二)

 福祉施設での仕事は、下層階級の人と付き合い、軽視される仕事でもあります。仕事を始めた時も、家族に真実を隠し、あえて言わなかったのですが、家族はそれを知って強く反対しました。介護士は些細なことでもせめ合い、決して屈服しませんでした。シフトの引き継ぎの際、ちょっとでも仕事ができていないとダメで、仕事が30分遅れて帰る場合も、上司に頼んで、相手の給料から出してもらうなど、大変な仕事だったからでした。

 ある時、夜勤の後半を担当し、引継ぎを終えて自分の持ち場に戻りました。帰ろうとしたら、班長がやってきて、自分が勤務している最後の部屋で、寝たきりの老人のオムツを交換しなければならず、手袋をしていなかったので手伝ってほしいと懇願してきました。

 ちょうど引継ぎが終わったエリアの前を通ると、一緒に働いていた介護士がすでに、自分のエリアを掃除してから、食堂に夕食を食べに行っていました。この時、2号室の老人は下痢をしていて、靴を履く余裕もなく、部屋からトイレまでずっと下痢をして、靴の中も汚物がいっぱいでした。この介護士さんは、もう一方の端で床をモップがけしていて、私が来ると、「お姉さん、私手袋をしていないから、ちょっと片付けを手伝ってくれない?」と言われ、私は何も言わず、彼女の片付けを手伝いました。そしてまた、老人の靴を磨いてほしいとも言われました。

 あとから、同僚に、なんて愚かだと言われました。「勤務が交代したらすぐ帰るのよ、良い仕事でもないし、給料が上がるわけでもないし、特にあの介護士の評判は悪いの、あなた以外にやる人いないでしょう」と、みんながいいました。どんな人にも、私は修煉者の心で接しました。そのため、この養老院では上司、介護士、入居者とその家族の間で私は高い評価を得ていました。

 その後、北京に行くため、辞表を出しましたが、上司のを承認されませんでした。あの脳血栓の患者は、私が去っていくと、同僚が言っているのを聞いて、私の手を放さずに泣き崩れました。彼女の娘は、「私の母はあなたのような、良い人に恵まれており、私たちは安心することができます」と言いました。彼女は私を何度も何度も引き留めようとしました。

 7カ月間北京に行った後、院長や部長から何度も電話をもらい、仕方なく帰ることにしました。今回は3階に配属されました。3階にも脳血栓症の老人がいました。70歳前後で、体が硬く、こわばっていましたが、言語障害はありませんでした。病気になる前、老人は請負仕事の頭をしていて、子供たちがよく見舞いに来ていました。そのたびに介護士に何か買ってきてくれましたが、私は一度も受け取りませんでした。家族はお年寄りへの扱いが悪くなるのではないかと心配していました。私は自分が信仰を持っていることを家族に伝えました、そして家族から余分なお金や物を請求することは決してありません。安心してくださいと話しました。

 老人は不快な時、よく叫びました。私が仕事を引継いだ時、その介護士は、私が3階に行く前からそこにいました。彼女は、おねしょを防ぐために、寝たきりの老人に夜に水を与えないという、自分のルールを作りました。彼女は居士でもありますが、自分の担当区域の知的障害老人をトイレで叱ったりしていました。

 私が来た後、老人とおしゃべりをし、夜間当番だった時、水も飲ませました。冬はお湯で老人の顔を洗ったりして、本来のルールを破ったので、引継ぎの介護士を怒らせてしまいました。老人は、私が親切にしていることを知っていました。雑談の時、私は老人に大法の真相を話し、「法輪大法はすばらしい、真・善・忍はすばらしい」を唱えるように告げました。しっかり学べば間違いはない、学べばいいのだ、と老人は言いました。その後、私の姿を見ると、老人は「真・善・忍」と叫んでくれました。中には心からの九文字を覚えられない人もいましたが、私を見て、「法輪功はすばらしい」と叫んでいました。

 院内のほとんどの人が、私が大法を学んでいることを知っていたので、私も大法の真実を伝えるチャンスを逃さず、伝えました。

 師父は「どんな階層においても良い人間になることができ、誰でも自分のいる階層で修煉することができます」[1]と説かれました。

 このように、師父は私の常人世界で形成した後天的概念を洪大な法理で洗い流し続け、私は何度も何度も大法の中で昇華することができたのです。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/7/13/445722.html)
 
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