フランスの学習者、毎日真相を伝え続ける
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 文/フランスの大法弟子

 【明慧日本2022年9月22日】私は最初、修煉体験談を書くようにと言われたとき、何を書けば良いのか分からず、少し不安でした。それにはより深く自分の内に向けて探さなければならず、そして、見つけ出した問題を深く理解する必要があると思いました。この一連の流れで、今までの気持ちが整理され、とても助けられました。

 私は2000年に、マルティニーク島で法輪大法に出会い、すぐにこれこそ私が長い間探していたものだと気づきました。チラシを配ることや、地元の学習者と一緒に法を広めるイベントを開催すること、学法煉功することなど、何でもしっかり取り組んでいました。当時、2~3年以内に法がこの世を正す時期がやってくると思っていたので、何に対してもとても積極的でした。師父が定められた基準に、私たちは到達しなければならないのです。その時の自分の心境は、大法のプロジェクトのためなら、身の回りのことはさておき、積極的に揺るぎなく行動する覚悟があったのを、今でも思い出します。大法に出会えたことを心の底から喜び、私を選んでくださった師父に感謝しました。

 時間が経つにつれ、法がこの世を正す時期はそんなに早く訪れないと思ってしまいました。2011年、私はフランスのマルセイユに移り住み、すぐに法輪功への迫害の実態を多く伝えるプロジェクトに参加しました。その中でも最も重要だったのは神韻でした。

 私は学法するとき、時々、掛け算の表を暗記するように『轉法輪』を学んでいたことを認めます。口では読み上げながら、頭の中では、メールボックスのチェックを忘れないようになど、常人の事柄を考えていました。修煉を始めたばかりの頃、私は法の力と効果が感じられ、スポンジが水を吸収するように、『轉法輪』の書かれている文字、一つ一つを吸収していました。しかし今は、『轉法輪』は読み慣れており、基本的に見なくても次の文章がわかるのに、ネットでの学法では、以前のような真面目さがなくなりました。なぜ、最初のころのような、大法に深く溶け込む感覚がなくなってしまったのでしょうか。

 そして、自分の心を乱しているものが何だったのか、内に向けて探してみました。私の心の中は、趣味や芸術、家族や友人など、常人の中のごく普通のものばかりであることが分かりました。これらのもの、一つ一つはそれほど重く見ていませんが、それでも積み重なるとかなりのスペースが必要になります。また、以前ほど積極的に真相を伝えなくなったことにも気づいていました。私は毎日多くの人と接触していますが、法輪功のチラシを渡すことはほとんどありません。1週間に1枚も配らないこともあります。チラシは段ボール箱に入れっぱなしでした。しかし、以前は、出かけるたびに自然に真相を伝え、しかもあらゆる面で、まるでDNAのように自然に伝えていました。

 さらに内に向けて探していくと、他人に迷惑をかけることや他人から拒絶されることへの恐れ、という恐怖心が蘇ってきたと気づきました。この恐怖心は、傲慢と利己主義から生まれ、悪に利用された執着心です。街中で人に声をかけるには、謙虚さと一定の慈悲心が必要で、これは私が教えられてきた価値観とは異なります。また、同修と協力して真相を伝える時は、比較的やりやすいのですが、一人で真相を伝えると、自分の無力さを感じることに気づきました。街中で真相を伝えることは、私にとって本当にチャレンジなのです。

 師父には、「人は自分の考え方が間違って、心が正しくないから、厄介なことを招いたのです」[1]という説法があります。

 ですから、自分の問題を見つけたあと、とても恥ずかしく思いました。「私は大法のメディアのプロジェクトで働いており、数多くの視聴者たちに真実を伝えているから、人に面と向かって伝える必要はない」と言い訳している自分に気づきました。しかし、それは正しいことではありません。「通行人は放っておけ、彼らは自ら大法のメディアを見て救われるべきだ」という声が聞こえました。今、私はこの考えを心の底から否定します。私は毎日出会った何千人もの通行人に真相を伝えるチャンスを見逃してしまいました。法に従って考えれば、私はそれらの通行人にどのような責任を取る必要があるのでしょうか? その責任を取らなかったら、大きな業力を作ることになるのでしょうか? 私が償えば、彼らの未来、次のチャンスがあるのでしょうか?

 師父には、「大法弟子は法が正される中で賦与された偉大な責任を台無しにしないでください。更に、救い済度される衆生を失望させないでください。皆さんは彼らが未来に入ることができるかどうかの唯一の望みとなりました。ですから、全ての大法弟子、新しい学習者、古い学習者はみな行動を起こし、全面的に真相を伝えるべきです」[2]という説法があります。

 師父の「全面的に真相を伝えるべき」[2]というのは、私はすでにメディアの仕事をしていますが、毎日、道で出会った人たちが待っているのですから、その人たちを救うことも同じくらい責任があるということだと気づいたのです。

 1週間前、この体験談を書き始めたとき、私は真相を伝えることを最も重要な位置に据えることにしました。「毎日、外に出るのは、人に会ったり、会議をしたり、食料品を買うためではなく、真相を伝えるためであり、ついでに常人のことをする」と、自分の頭を整理し「再設定」しようとしています。この習慣を身につけるのは簡単ではありませんが、師父がこの一歩を踏み出すのを助けてくださっていますし、学法することも加持になります。それに発正念をするたびに、新しい道が開けるのです。

 お店や街で真相を伝えること、これは私にとって最も難しいことです。私は、社会階級や利己主義といった一般的な概念を乗り越えなければなりません。そして、大法のことを最も重要な位置に置くべきです。この1週間、毎日克服しようと思い、師父も加持してくださっています。学法する時、心もより穏やかになってきています。

 師父、ありがとうございます。不適切なところがあれば、慈悲なるご叱正をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
 [2] 李洪志師父の著作:『精進要旨三』「人心を放下し、世の人々を救い済度する」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/9/2/448302.html)
 
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