【ドイツ語明慧】自分の誓いを新たにする
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 文/海外の大法弟子

 【明慧日本2022年9月29日】私が英国で法輪大法を修煉し始めたのは25歳の時で、今から約12年前になります。その2年後、私は明慧ネットで初めて翻訳をしました。初めて翻訳をした時のすべてのことを私は今でも昨日のことのように覚えています。明慧は常に私の修煉の道の一部であり、私の心に深く根づいていました。

 今日は明慧ネットでの修煉体験交流会ですが、この修煉の道を歩んできて私が経験した山あり谷ありの話をしたいと思います。私はこの交流会のために、そして大規模な交流会へのささやかな貢献として、この修煉体験を書きました。しかし、また自分自身のためにこの修煉体験を書いているのであり、自分の修煉状態を自覚するために書いているのであり、また同時に、同修のために書いているのでもあり、同修のみなさんの新たな悟りになればと願っています。そして、最も重要なことは、私はこの修煉体験を私たちの師父のために書いているのだということをはっきりと感じることでした。師父に私の感謝の気持ちを申し上げ、同時に自分の誓いを新たにしたいと思います。

 2週間前、私は夢を見ました。法会が終わろうとしている時、私は時間を無駄にしていることが多いことに気づき、そのことを残念に思いました。師父が説かれたことを私は本当に感じることができました。

 「今はもうすぐです。今は本当にもうすぐです。ただ、たくさんの悔いが残ります」[1]と、師父は説かれています。

 突然、すべてが明るくなり、心の声が「時間を見てはいけない」「実際は時間の動きはこことは違う動きをしているはずだ」と言いました。まだ時間はたくさんあることがわかっていたので、今からでも遅くはありませんでした。そして、希望に満ち溢れた目覚めを迎えました。

 この夢は、ちょうどいいタイミングで実現しました。近年は、私は少しサボり気味でした。煉功も、明慧ネットチームへの支援も、そして法に対する真の理解も、怠ってしまいました。私の2人の子どもは小学1年生と2年生ですが、専業主婦である私の時間は、この3~4年、文字通り奪われているような気がしていました。夫が長年シフト制で働いているため、子どもの指導や、家庭のことなど日常的なことも含め、すべて私の責任でした。また、私はかなり大きなIT企業で営業の仕事もしており、この営業の仕事もまた時間を占有しました。

 もちろん、家事も仕事もこなすのは当たり前のことであり、多くの修煉者が抱えていることだと思いました。IT企業での営業の仕事をする前、当時はもっとうまく行っていました。その時はいつも翻訳し、三つのことも安定してしっかり行っていました。また、私自身の修煉体験もたくさん書いていました。しかし、しばらくすると、知らず知らずのうちに感覚が麻痺するような状態になりました。煉功の量も減り、いつも力を与えてくださっていた源流を失ってしまったのでした。顧客との打ち合わせの後や、疲れて眠る前に正念を発することなど、忙しいスケジュールの中に法を学ぶことを入れました。夫が昔も今(訳注:2022年9月)も夕方から夜にかけて仕事をしているため、私は長年定期的にグループ学法に参加できませんでした。少しずつですが、私の修煉環境は切り離されていきました。

 明慧を離れる

 私は子供の頃から、すでに人から認められることに執着していました。人から認められたいという思いを抱きながら、私は多くの大法プロジェクトに参加してきました。自分ではいい仕事ができていると思っていたし、気分もよかったのでした。よく他の同修から、熱心で何事も順序立てて行うことができると褒められました。自分を必要とするプロジェクトに親近感を覚えた私は、3年前に明慧ネットのチームを離れ、別のプロジェクトに時間を投入することにしました。法をしっかり学んでいなかったため、人に認められたいという執着に駆られて物事を進めてしまいました。明慧を離れることを宣言した後、明慧のメンバーから電話があり、プロジェクトの重要性を認識させられ、明慧ネットの一員であることは非常に特別なことなのだと言われました。私は明慧への復帰を決めたものの、別のプロジェクトに多くの時間を投入し続けました。2021年のベルリン法会の後、私は自分の時間をすべて明慧プロジェクトに捧げるべきだと気づきました。たくさんのプロジェクトをこなすより、一つのプロジェクトに取り組むべきでした。ちょうどその数日後、私に電話がかかってきました。「『明慧報告』のプロジェクトチームに参加しませんか」とある人に言われました。私はすぐに承諾しました。この道を歩むことは、師父の願いであり、私の決断は正しかったのだと思いました。

 執着に駆られる

 翻訳を再度校正し、元となる参考資料を確認・修正しなければならない時もある種のプレッシャーが私を襲いました。丸一日かけてメンバーたちが修正した点を調整し、提起された問題や理解の違いを明確にし、修正結果を「明慧報告」に反映させました。修正点を「明慧報告」に反映させるなどの仕事は、子どもの教育や家事と並行して行わなければなりませんでした。ノートパソコンの前に座りっぱなしで、みんなが当たり前にやっていることを私がやらないので、夫との関係がぎくしゃくするなど、さまざまな困難や衝突が生まれました。家の中の雰囲気を和らげるために、私はいつも夫に「しばらくしたら状況が変わりますよ」と言い聞かせました。例えば、「この本は順次印刷所に回し、その後はすべて元通りになります」というような感じでした。このように、衝突をなくすのではなく、衝突を回避するように心がけました。

 当時は毎朝法を学び、全ての功法ではありませんでしたが、ほぼ毎日煉功していました。私は困難にぶつかった時、内に向けて探し、正念を保つように努力しました。

 「明慧報告」がようやく印刷され出版されると、状況は一変しました。子供たちが学校に戻ることになり、朝の学法に参加する時間がなくなりました。自宅で仕事をすることができなくなり、会社に戻って顧客とのアポイントやネットワークミーティングが多くなり、夫からは「今は家族や家事にもっと時間を使ってほしい」とずっと期待されました。

 プレッシャーはどんどん大きくなり、みんなを喜ばせるために、私はすべてを協調できるのだと信じることにしました。実際は、私の行い方はまったく逆をやっていました。拒絶されるのを恐れ、人に認められたいという執着心には触れないようにしていたのでした。

 私は5人兄弟の真ん中で、とても悪い環境の中で育ちました。私はこれまでの人生で、両親が喧嘩し、騙し合い、お互いに苦しめ合う姿を見てきました。私は幼い頃から頭がよくて自立していたので、いつもあまり他人の目を気にする必要はありませんでした。同時に、女の子である私には何の価値もない、ということも言われました。それ以来、私の人生の中には「認められたい」という、一種の強い思いが生み出されました。

 観念の外殻が割れる

 数ヶ月前、母親との会話の中で、母親が私に「これは、自我の認識によるものです」と言いました。母親が言っていることをよく聞かず、文脈も理解しないまま「自我の認識」という言葉が私の心を打ち、何かを引き裂いていきました。今まで他の人が言っていた自分の良さというのは、実はまったく本当の自分ではなかったのだ、ということに突然気づきました。突然、私は「観念」という言葉をさらによく理解しました。他の人がこの観念という方式で私を見て、私はこの観念を本当の私としていました。そして、私は自分の考えで自分の周りに外殻を作ったのでした。

 師父は「すなわち彼の身のまわりの空間場の範囲内にある物質すべてが、彼の意識によって演化するからです。それは『心による変化』とも呼ばれます」[2]と説かれました。

 私はいつも、自信と勇気に満ち溢れた人物として、人々から賞賛されてきました。また、私には自分の観点があるのだといつも思っていました。しかし、この「自我の認識」という言葉は、私を包む外殻に深い亀裂を生じさせました。実際は、私には自信がなく、傷ついたり拒絶されたりするのを避けるために、この強力な殻の表面の陰に隠れて人生を過ごしてきたのでした。私には勇気もなく、自分の行ったこと、言ったことを自慢げに話すことが多かったのですが、いざ対抗する時になると、相手の意見を受け流したり、ごまかしたりして、見たところなかなかいいと自分でも思っていました。夜、ソナントで法を学んだり、法を正すことに関連することを行おうと思った時、夫に説明すると、私が毎晩ノートパソコンの前に座っていることに夫はよく腹を立てました。夫は悪意があったわけではなく、旧勢力が私のこの殻という大きな漏れを見て、その大きな漏れに付け込んだからでした。法を正すために何を行っても、仕事の後に大法のプロジェクトに関わっていると、いつも批判されました。夜だけは誰にも邪魔されなかったのですが、しかしそうすると日中はとても疲れを感じました。

 自分の執着を隠すことで、自分に困難をもたらすだけでなく、間接的に夫が長い間このような私に腹を立てるというような行動を取る原因になっていたのでした。

 私は現在(訳注:2022年9月)、この妨害を突破している最中です。これは実はとても時間のかかる過程であり、自分の殻に隠れるという行動が染み付いていたため、すぐに気づけないことが多かったからでした。しかし、妨害を突破しようと試みて以来、修煉状態がまた安定してきたことがわかりました。私が必要だと思う時間を用いて誓いを果たしました。

 私は、修煉の低調な時期から脱却しつつありました。私の修煉があるキーポイントに達したこと、仕事がよくできなかったことを率直にみんなに話ししたのは、私の長年の修煉の中で、初めてのことでした。この数ヶ月で、自己を認識するとはどういうことか、真に正念正行するとはどういうことかということを学びました。拒絶や認められないという恐怖が認識され、この執着が隠れる空間はもうありませんでした。同時に、自分が大法弟子であるということがいかに大きな価値があるかということも、日に日に分かってきました。

 私の歩んできた修煉の道を紹介し、その中から有益な啓示をみなさんが得ることができればと、心から願っています。もし、法に則っておらず正しく判断できていないところがあれば、遠慮なく指摘してください。

 次のように、私は再度、師父の前で誓いを立てたいと思います。

 私は最後まで師父が衆生を救い済度されるお手伝いをいたします。そのために、法をしっかり学び、法を学ぶことを第一に考えます。私は、この誓いを完全に実現するために、三つのことを真剣にしっかりと行い、修煉状態を維持・向上させるよう注意を払います。いつもそばにいてくださる師父に、心から感謝申し上げます。

 注:
 [1] 李洪志師父の経文:『各地での説法十四』「二〇一六年ニューヨーク法会での説法」
 [2] 李洪志師父の経文:『轉法輪

 (2022年明慧多言語部門法会の発表文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/9/28/450120.html)
 
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