【韓国語明慧】「明慧ネット」は私の一番親しい同修である
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文/海外の大法弟子 

 【明慧日本2022年10月2日】

 慈悲で偉大なる師父、こんにちは!

 同修の皆さん、こんにちは!

 私は2015年に法輪大法を学び始めた韓国の大法弟子です。私の住む地方には同修が少なく、私の修煉は明慧ネットに大変助けられました。私は明慧ネットから世界中の大法弟子たちの情報を知ることができ、同修たちの修煉体験の交流文章を読むことができ、世界中の大法弟子たちと繋がれるだけでなく、修煉の後押しもしてくれました。師父が精進している大法弟子に奇跡的なことを見せてくださった文章を読むたびに、映画を見ているように脳裏に映像が浮かび上がり、修煉の道を奮い立たせてくれました。同修たちが書いた体験談もまるで自分が体験したかのようです。いつも私を精進させてくれ、自信を与えてくれました。

 明慧ラジオとの

 修煉して最初の数年、私が住んでいる都市に古い大法弟子はおらず、古い大法弟子と一緒にいる機会や交流の機会もありませんでした。他の都市へ学法に行くときだけ、長年修煉した学習者に会えますが、あまり遠いので、めったに行かなかったのです。たとえ行っても、古い学習者たちはあまり話さず、交流もしなかったのです。幸い大紀元時報の英語の翻訳プロジェクトに参加しているので、大紀元時報の記者の同修と知り合い、ネットで交流していました。ある日、ある古い同修に自分の修煉中で起きたトラブルのことを交流しました。同修は「明慧ラジオを聞いてみてください」と勧めてくれました。私ははじめて明慧ラジオを知りました。そして、私はすぐに明慧ネットで明慧ラジオを見つけ、同修の声を聞いて、「良い修煉方法を見つけた」と喜びました。

 私たち夫婦は共働きですが、家計、家事、育児は主に私が担っているため、修煉時間が足りず、不安になることも多々ありました。当時は、学法、煉功発正念の時間さえなく、修煉体験の文章を多く読むことすらできませんでした。しかし、明慧ラジオを知ったその日から、家事をするときも、車を運転しているときも明慧ラジオを聴くようになりました。以前、家事が多くなると、1人でやるのがとても大変で、心も激しく動揺し、体調を崩すことも多かったのですが、明慧ラジオを聴きながら家事をしていると、内容に夢中になり、知らず知らずのうちに家事が終わっても疲れを感じませんでした。特に、中国本土の同修たちの修煉交流には感動し、涙をよく流したものです。明慧ラジオを聞いて、家事もはかどり、笑って泣いて、感動して、心性の向上もできるのです。

 明慧ネットに恩返し

 私は比較的声が良いほうで、歌も上手です。過去歌のコンテストに参加した際は、何度も優勝しています。大法を修煉し始めた当初は、勤め先のバンドで歌手としても活動し、人前でパフォーマンスしていました。ある日、「私は明慧ラジオから多くの恩恵を受けた。大法弟子である私の声が良いのは偶然ではなく、それは師父が按排して下さった一部に違いない。常人のために歌ったりするのではなく、大法プロジェクトに使うべきだ。明慧ラジオのナレーターになってみよう」と思いました。突然の思いつきに自分自身も驚きました。当時、明慧ラジオのナレーターになるには、精進している大法弟子でなければならないと考えていました。「私のこの修煉状態でチャンスはあるのか」と、自分でも不相応だと思いましたが、その想いは種のように心に埋まり、次第に芽を出したのです。

 2021年11月、師父の慈悲なるご加護の下、私は法会で自分の修煉体験を発表しました。大紀元で知り合った同修は私を明慧ラジオの責任者に紹介してくれ、私の心の中の種がやっと花を咲かせたのです。奇跡的なことに、ただ花を咲かせただけでなく、実も結びました。私は心から「師父、私のこんな小さい念さえも察知してくださり、本当にありがとうございます」と言いました。法会で体験談を発表した後、光栄にも英語版書籍2冊の翻訳と校正に携わり、2冊の本が明慧ネットに掲載され、非常に感動的な修煉体験が収録されています。本当に長くて大変な仕事で、途中辛くてあきらめようとしました。しかし、師父が大法弟子たちの素晴らしい物語を見せて下さったことを励みに、最後まで続けることができました。長くて大変な旅でしたが、角を曲がるたびに大法弟子たちの感動的な話に出会い、深夜に翻訳しながら涙が溢れました。今思えば、翻訳や明慧ラジオのナレーターとしての苦労は、私に多くのものを与えてくれました。明慧ネットへの恩返しのつもりでしたが、その過程で私は予想もしなかったもっと大きな贈り物を受け取ったと言えます。

 明慧ネットは私の一番親しい同修である

 明慧ネットは、私が辛いとき、一番身近な同修のような存在でした。自分と同じような難関を突破した同修の物語や心性を向上した体験は、山を越える途中で誰かが木の枝に結んだ黄色い帯のようなものでした。「ああ! この困難な道を、すでに誰かが先に歩いているのだ。こんな辛い道を歩んでいるのは自分だけではないのだ。私もきっと乗り越えられる!」と思い、大きな励ましとなりました。

 もし、見知らぬ危険な道を歩くとき、前を進む人の背中が見えたら、どんなに心強いことでしょう。明慧のホームページに掲載されている多くの修煉体験は、修煉の道を歩む大法弟子にとって、深い山中で渇きを癒す泉のようであり、迷った時に出会う喜びの道標のようでもあります。私にとっては苦難と喜びを共にする最も親しい同修であり、激励を与えてくれる存在です。

 明慧ネットとのご縁はこれからも続くと感じています。師父が私に授けてくださったこの尊い縁を大切に育み、与えて下さった御恩に応えられるよう、精進していきたいと思っています。師父の慈悲深い洪恩に心から感謝します!

 以上、今の次元での認識ですが、もし不足があれば、同修の皆さんの慈悲深いご指摘をお願いします。

 師父、ありがとうございます!

 同修の皆さん、ありがとうございます!

 (2022年明慧多言語部門法会の発表文章)

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/10/1/450127.html)
 
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