文/日本の大法弟子
【明慧日本2022年10月9日】私はベトナムで生まれ、現在は日本で働いています。大法に出会う前、私の日本での留学生活は閉鎖的で、他人とのコミュニケーションも少なく、友人も少なく、ただ学校に行き、仕事に行き、ネットの記事を読み、映画を鑑賞し、フェイスブックをやるだけの生活でした。1年弱の日本での生活で、帰国するつもりでしたが、運命的に今の夫と出会って結婚し、2019年7月に生まれた子供は、5カ月になりました。
フェイスブックを見ていた時、偶然、修煉者が煉功する動画を見て、功法が軽やかでリラックスした感じに惹かれました。その後、煉功場の担当者に連絡し、すぐに師父の9日間の説法を全て聴きました。聴いている最中、多少の妨害がありましたが、担当者は「聴き続けていれば、恐怖はすぐに消えます」と話してくれました。その後、私は携帯電話で師父の経文を読みながら、修煉を始めましたが、その後、修煉が安定せず、困難や葛藤に遭遇すると、すぐに自分が修煉者であることを忘れていました。
葛藤の中で、私は半年以上、法を全く勉強しませんでした。しかし、偉大で慈悲深い師父は、私に再び修煉の機会を与えてくださいました。私はこの機会を大切にし、『轉法輪』と経文を買って毎日読みました。また、他の修煉者の熱心な協力のおかげで、時間がある時に明慧ネットで修煉者の体験文章を読み、徐々に大法弟子の仲間入りをしました。修煉の意義と重要性は理解しましたが、悟りが浅かったため、師父に何度も啓示され、やっと実感できるようになりました。以下で、私が修煉の中で経験したことのいくつかを紹介したいと思います。
一、嫉妬心を捨てる
私はスーパーマーケットでアルバイトをしながら、子供の世話をしました。学期末に子供は別の幼稚園に転園しなければなりませんでした。しかし、私が申し込んだ幼稚園は空きがなく、空きを待つために幼稚園を休むか、遠方の幼稚園に願書を出さなければなりませんでした。その時、夫の実家にいろいろと問題があり、お金が必要になりました。姑が電話であれこれ話すたびに、心の中で、非難、恨み、嫉妬心が現れて、とても嫌な気持ちになりました。当時、我が家はかなり収入が少なく、余剰金がほとんどありませんでした。私は心配でイライラして、いつも現状を変えようと思っていました。後で考えてみると、この状況は私が、私利私欲への執着を放下するためのものだったのですが、その時は気がつきませんでした。
夫と2人で修煉していますが、夫は法の勉強をあまりしません。夫はフルタイムで働いていますが、安逸心を言い訳にしていました。家事を担当しているのは私ですが、家で私が家事をしているのに、夫が坐って遊んでいると、私は心が落ち着きません。私が早起きして煉功しても、彼はまだ寝ているのかと、不安になりました。その時、彼が法を勉強せず、煉功もしないなら、どうして修煉者になれるのかとずっと考えていました。私は彼に「法」をもっと勉強し、経文も読むようにアドバイスしましたが、彼は読まず、スマホでフェイスブックばかり見ていました。私は不満を感じ、彼を常人だと思い、彼と何も共有したくない気持ちになり、やさしく接することができず、いつのまにか彼は修煉をしなくなりました。
当時、私は彼のようにフルタイムで働いて、修煉ができるのなら、彼は自分の執着を正当化しようとしているだけだという証明になると思いました。私はそのような態度で、自分を正当化し、自己をアピールしました。納得のいかないことがあると、恨みが出てくるのです。
フルタイムで働きながら修煉すると決めた後、夫に「修煉に戻るべきだ」と言うと、夫は「同じ仕事や職位でなければ理解できないよ」と言いました。その時、師父の「実際は同じであるはずがありますか? やっている仕事は違うし、責任の大きさも違います」 [1] を思い出しました。
私は彼に嫉妬していたのです。何度も何度も、私が修煉に戻るように勧めても、彼は聞く耳を持たなかったのです。その時、私は「どうしてこんなに頑固なんだろう? どうして他人を見下すのだろう? もう何も言いたくない」と思いました。
その後、法を勉強する時に、「顕示心理」について学びました。私は夫に修煉に戻るように勧め、嫉妬心も放下できませんでした。私には自分がたくさん知っていることを見せようとする心理があり、師父が経文で言われたことを伝えようとしました。しかし、私の言うことは全部無駄だったのです。
衆生への資料配布に参加したとき、他の同修がたくさん配布しているのを見て、羨ましく思ったことがありました。たくさんの人が通っているのに、私はチラシを1枚も配れませんでした。実際、立っていても、この人にはどうだろう、あの人にはどうだろうと、いつも頭の中でいろいろと考えていました。時々、通りすがりのきれいな女性を見ると、あの人はスタイルがよく、化粧も上手で、身長も理想的だと思うのです。自分の身長は、とても低く、周りからは「中学生みたい」とよく言われます。このような状態なので、人を救うことができなかったのです。
「嫉妬心」の一節を暗記し始めてから、嫉妬は個人の趣味、仕事、地位、生活環境、外見などあらゆる面に現れていることに気づきました。この心はまだ残っています。ケンカしたとき、嫉妬心があるから、いつも自分を見せびらかしたくなりました。自分が人より劣っているときは、恨みを抱き、人より優れているときは、自己満足をして人を見下してしまうような心がおき、善を育むことはできませんでした。
二、なぜ心性が向上できないのか
家計はすべて私が握っています。家族の大事なこともすべて自分で決めるか、自分でしなければ安心できません。私が法を勉強している時、疑心の部分を読もうとすると、「読みたくない」という気持ちがありました。私の母も『轉法輪』を読んでもうすぐ一年になりますが、母はよく私にメールを送ってきて、「本に書いてあることは本当なの、そんなことはない、修煉は信じられない……」と言いながらも、法を読み続けています。母が時々そのようなメールを送ってくるので、私は「師父の法を信じないのはだめです。師父の法は一言一句正しく、信じなければなりません」とメールを返しました。私はいつも母に問題があると思っていましたが、まさか自分に問題があるとは思いませんでした。これは疑心ではありませんか?!
数カ月前、私は転職しました。新しい仕事を始めたばかりで、辞めたくなるようなことがたくさんありました。残業が多く、悪い人がいて、何でもかんでもやらされる、その仕事に時間を取られすぎて、修煉する時間がありません。このままではいけないと思い、もう一度、状況を変えようと思いました。その時、私は非常に違和感があり、どうしたらいいか分かりませんでした。しかし、法を学んだおかげで、私は3カ月間、仕事をやり続けました。以前の私だったら、1週間もすれば、すぐに辞めたと思います。私の脳には「執着」という言葉がなかったのです。この問題を持ち出して、小さな学法チームで共有したところ、他の同修から次の一節を指摘されました。
師父は「長い間皆さんを悩ますこの問題において、皆さんは難しいと知りながら、さらに進んで行なうのではなく、難しいから退いてしまい、やる気を失ったのです」 [2] と説かれました。
法を読んで、私は心の中で衝撃を受けました。私は困難な状況に出会った時、いつも変わりたいと思いながら、諦めてしまっていたのではありませんか。私が毎晩仕事から帰り、座って法を勉強し、法を読むと、仕事を辞めたいという思いはすぐに消えました。法を学ぶと、力が湧いてくるのです。
職場は、私が心性を鍛えるための環境であると分かり、涙が出ました。私が出会うことは、私の心を映し出している鏡です。他人からどのように扱われるかは、自分自身を振り返ることでもあるのです。疑問があるから、ずっと師父の法を学んでいても、新しい法理を理解できず、向上できないのです。
子供がクッキーをほしがったのですが、私は許さず、「どうしてそのお菓子でないといけないの、他のものではだめなの?」と独り言のように言いました。師父はまた私のために慈悲深く指摘してくださいました。かつて、私は師父の法身が猪八戒を弟子として受け入れる夢を見たことがあります。師父の法身は概ね、「これは重大なことだから、偽物を使ってはいけない」とおっしゃいました。目が覚めたとき、家の中の造花を生花に替える必要があることに気づきました。夫に話すと、「それは修煉するフリだったんだよ」と言われました。その言葉を聞いて、私は本当に修煉しているのか、修煉しているフリをしているだけだったのかと、ショックを受けました。その後、私は他の同修に師父が弟子を受け入れる夢を話しました。私自身は孫悟空のように修煉して、美味しいものを食べたい、楽になりたいという執着心が強く、もう西にお経を取りに行くのは嫌なのだ、ということに気づかされました。
師父は私にたくさん啓示してくださいましたが、私は自分のどこを改善すべきなのか、内を見ることができませんでした。私は何度も何度も自分を正すことができず、私利私欲を守ることに専念していました。幸せな家庭で暮らしたい、良い言葉を聞きたい、人に良くしてもらいたい、だから人と衝突しないように、自分が傷つかないように、特に人を信用しないようにと、常に防御の意識を持っていました。他の同修たちの交流文を読み、それが執着であることに気づきました。
この執着は本当に深刻で、真剣に取り組む必要があることに気づきました。しかし、どのようにしたら、この執着を取り除くことができるのか、私はまだ分かっていません。「結婚する前に法輪大法を修めれば、欲望を取り除くことが簡単にできるのに」と思い、私は自分の状況が修煉の障害だと考えてしまいました。
法を学ぶことで、私があきらめるべきは「人心」であって、夫ではないのです。私の心性が変わらなければ、環境が変わろうとも、何の役にも立たないのです。
法を学ぶとき、どのような態度を保つかは非常に重要です。冷静な心でなければ、法を学ぶことはできません。また、修煉者である以上、常人のようになってはいけません。煉功をしないことは小さな問題ではありません。正念を十分に発しなければ、この空間に問題が現れるのだと理解しました。
私は解決できない問題にぶつかると、すべてを中断して法を学びます。そのような時に法を学ぶと、師父の穏やかで慈悲深いエネルギーに守って頂いた気持ちになり、すべてが解決されました。毎回、私が修煉する必要があることを悟ることができた後は、環境も完全に変わりました。夫も徐々に修煉に戻り、学法に参加し、修煉者のやるべき三つのことに励んでいます。
最後に、いつも私を慈しんで励ましてくださる師父に感謝いたします。私はこれからも必ず、自分の良くないところを根気よく直し、時間をかけて法輪大法の素晴らしさを多くの人に伝えていきたいと思います。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』
[2] 李洪志師父の著作:『各地での説法九』「二〇〇九年大ニューヨーク国際法会での説法」
(2022年日本法会の発表原稿)