【明慧日本2022年11月11日】大連市の法輪功学習者・劉紅霞さんは昨年10月28日、警官に尾行され連行され、拘禁された。劉さんは極度に衰弱し、座ることもできない状態であるにもかかわらず、今年7月13日、甘井子区裁判所は劉さんに対して不当な裁判を行った。その後、懲役4年、罰金4万元の判決を宣告された劉さんは危篤状態に陥り、病院に運ばれ、集中治療室に入れられたが、それでも、甘井子区裁判所は劉さんの「仮釈放」の申請を拒否した。そして、11月8日朝、劉さんは冤罪を晴らせないまま、47歳の若さでこの世を去った。
法輪功は世界の人々に親しまれる伝統修煉法であるが、1999年以来、中国共産党によって迫害されている。
劉さんはロシア語を専攻し、大連外国語大学を卒業した。中国共産党の法輪功弾圧により、2007年10月、劉さんは大連市公安局の警官に連行された。その後、労働教養所外での執行の労働教養処分1年を科された。そして、また2014年8月8日、劉さんは大連市西岡区公安分局の警官に連行された。その後、裁判所は劉さんに懲役3年の判決を下し、劉さんを遼寧省女子刑務所に送った。刑務所で劉さんは小さな独房に入れられ、両腕を背中に回されて手錠をかけられ、殴打され、手のひらサイズの椅子に座らせるなどの迫害を加えられた。
拷問の再現:手のひらサイズの椅子に座らせる |
劉さんを尾行してきた警官は昨年10月28日午後、劉さんを連行した。その後、西岡区白雲街派出所の警官らは、劉さんの自宅と劉さんが子供のために借りた家を家宅捜索した。法輪功に関する書籍と数台の携帯電話を押収した。劉さんは大連市留置場に拘禁された。
今年2月28日、弁護士は留置場に行き、劉さんと面会しようとしたが、劉さんは入院したと告げられた。情報筋によると、2月14日、迫害を抗議するため断食を始めた劉さんは、その後、大連留置場または大連刑務所に収容されている受刑者が利用する、大連大学附属新華病院の総合第二病区に移されたという。病室の前に警官が立っていて、他の科に勤務する病院の職員は、この病区について質問することは許されないことである。
病院では、劉さんはベッドに縛られ、強制灌食され、不明の薬物を注射された。家族は劉さんとの面会を要求したが、拒否された。家族は6月28日に大連市公安局に連絡を取り、病院にいる劉さんに面会できない理由を尋ねた。次の日、留置場側からパンデミックが理由だと返事があった。
拷問の再現:野蛮な灌食 |
劉さんは甘井子区検察から同区裁判所に起訴された。7月7日、劉さんは留置場に戻された。裁判所は劉さんの家族に、劉さんに対する開廷が7月13日の予定だと伝えたが、劉さんの家族の傍聴を許可しないと告げた。裁判官は、開廷前に劉さんとの面会は誰も許可しないと強調した。弁護士は劉さんの健康状態で、開廷の延期を求めたが、拒否された。
7月13日、劉さんは椅子にも座れないほど非常に衰弱し、弁護士1人も欠席のままで、オンラインで裁判にかけられた。裁判官は劉さんに懲役4年、罰金4万元の判決を言い渡した。
当時、劉さんは断食して5カ月で、衰弱し体重30数キロしかなかった。劉さんは灌食と点滴のことしか覚えておらず、ほかの記憶がなくなっていた。判決を受けた後、さらに迫害を受けた劉さんは危篤状態になり、新華病院のICUに搬送され、2週間救急手当を受けた。判決に不服し、上訴した劉さんは10月、原判決維持の結果を下された。そして、11月8日、新華病院で劉さんは死亡した。
10月25日、劉さんの家族は留置場と裁判所にそれぞれ、治療のための仮釈放の申請書を提出した。しかし、裁判所側に拒否された。10月29日、家族は劉さんに会いに行ったが、劉さんは深刻な状態だった。
病院側は、11月4日午後、劉さんが鼻と口から出血したため、劉さんの余命は数日だと判断し、子供を連れて来るようにと家族に伝えた。子供が会う時、警官1人はボディカメラを装着してその場にいたという。