口を修める大切さを痛感した
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 【明慧日本2022年11月29日】修煉前の私は物事に対して常に自分の意見を述べ、ペラペラ喋ってしまい、他人の意見など気にしませんでした。自分では素直だと思っており、言い換えれば威張っていたのです。修煉してからは、大法に従い自分を律し、絶えず人心を放下し、常人のことにはあまり関与しなくなりました。

 

 しかし、同修間に於いては、物事に冷静でいられない癖は取り除かれてはいませんでした。一旦トラブルが起きてしまうと相手の欠点ばかり見て、高い声で指摘するのが当たり前になっており、同修との間にギャップが生じてしまいました。しかも、それらのことは相手の態度をみて初めて気づくのでした。口を修めていないので、自分と同修との関係がうまくいかず、トラブルが頻繁に起きてしまい、多くの回り道をすることになりました。

 

 3年前、私は現地の同修Aさんが書いた交流文章が「明慧週刊」に掲載されているのを見ました。中にはある同修のことや、私が口を修めないことなどが含まれており、とても動揺しました。実は同修Aさんは好意で、法の基点で書いていたものなのですが、当時の私は理解できず、同修Aさんは自分を持ち上げ、人を貶していると思い、何カ月も心がふさぎ込んでいたのです。

 

 今年の春、同修Aさんが私のパソコンのシステムを変更するため家に来てくれることになりました。そこで5.13の原稿募集の整理をするために来ていた同修とも会いました。私が原稿を書く際、同修Aさんは関連資料を提供したり、文章を書く技法もアドバイスしてくれました。数カ月後、同修Aさんが自分の車で、他の同修と一緒にプリンターや資料等を届けてくれ、同時にパソコンの技術的な知識を教えてくれました。私はとても感動しました。そして私は、今まで同修Aさんに対する誤った見方を変えました。なぜ今まで胸が苦しく感じていたのでしょうか。それは自分が口を修めていないにもかかわらず、自分の非を認めたくなかったからです。本当に同修Aさんに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。しかし同修Aさんは、私が不満を持っていたとは全然知らないのです。そのため、私はこのように書き出すことにしました。一つは、心より同修Aさんに詫びることです。もう一つは、自分自身の隠された執着心をさらけ出すことです。この一歩を踏み出すことによって、自分の心を修めていると思いました。

 

 現地の協調人の同修Bさんがプロジェクトを協調中、彼女の口調に衝撃を受け、私が厳しく指摘したため彼女の面子をつぶしてしまいました。そんなことがあった後、それでも私はまだ納得がいかなかったため、同修の間で彼女が如何に法に背いたかを言いふらしました。そのため、現地で大きな影響を引き起こしてしまい、私は同修Bさんと3年間会っておらず、関係がぎくしゃくしてしまいました。

 

 1年前、同修Bさんが協調しているプロジェクトが上手くいかず、多くの困難に直面していました。同修Cさんが私に説明してくれましたが、同修Bさんが現地の衆生を救うことを重荷に思っていると知りました。それを聞いて、同修Bさんは本当に大変だと思いました。私は同修Bさんと私を隔てていた分厚い氷の層を瞬時に溶かし、彼女を注視しました。同修Cさんは私に、「同修Bさんの記事を助けてほしい、彼女個人の問題ではなく、私たち全体の問題です」と言いました。私は気持ちよく承諾しました。このことを知った同修Bさんはとても感動し、私に対する見方も変わってきて、用事がある時には積極的に私と連絡を取るようになりました。

 

 私はこの一年を通して、やっと「口を修める」という大切さを認識しました。もし当初同修Bさんに落ち着いて話しかけ、穏やかな口調で指摘し、神の一面を発揮して、物事に慈悲なる気持ちで接していたとしたら、きっと「柳暗花明又一村」[1]というように、眼前に新たな世界が開けることに気づいていたに違いありません! 

 師父は、私たちを高い次元へ導いてくださり、私たちが神になるようにされているのではないでしょうか。神は軽々としゃべるでしょうか。神はきっと言うべきことを言い、言ってはいけないことを言わないのです。師父は『轉法輪』で口を修めることについて単独に説かれています。師父は、「われわれが口を開いてものを言う時には、煉功者の心性に基づいて言うので、人と人との間の和を損なうようなことを言わないし、良くないことを言わないのです。修煉者として法の基準に基づいて、自分自身がそれを言うべきかどうかを判断するのです」[1]と説かれました。法は明るい灯であり、真に修める弟子の心を導いてくださっています。過去の自分が真に修めていなかったことを本当に恥ずかしく思いました。そして、同修の中でもめ事を巻き起こしたことを痛感しました。

 これは私の痛ましい教訓であり、書き出してさらけ出すことは、私が口を修めないことを支配する変異した生命を完全に根絶するためであって、私の空間場に隠れることを許さないためです。

 今年、私は師父の全ての法を勉強しました。『轉法輪』を書き写し、「洪吟六」を暗誦したことによって、法に対して理性的に理解することができました。自分は誰なのか、来世の大願及び自分の使命を知り、自分を修めることが如何に大切か、そして口を修めることも大切な修煉の一部だと分かりました。

 今では、修煉する中で問題に遭ったら自分の口をしっかりと制御し、心性を守り、問題が出てきたらすぐに自分の不足を探し、人を思いやるようになりました。同修が悟らないことがあれば、私も法に従って同修に気を付けなければいけないと呼びかけ、同修とうまく付き合っています。

 大法修煉は本当に浄土なのだと実感し、同修間の縁を大切にすべきです。同時に口を修めることができると周りの環境もスムーズになり、同修たちの顔も和やかになりました。修煉して25年間、体験したことがないような素晴らしいものでした。口を修める大切さを痛感しました。

 自分のささやかな悟りであり、適切でないところがあればご指摘をお願いします。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/18/451971.html)
 
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