人から学ぶのではなく法から学ぶべき
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  【明慧日本2022年12月13日】一部の修煉者は、法から学ばず、人から学んでいるので、このような修煉者は法に従っていない行為であることをしっかりと認識し、自分を正し、悔いのないようにしなければいけないと忠告したいのです。  

 一、学法より交流を重視している 

 修煉者の間で交流会を数多く行い、殆どは修煉状態の良いと思われる同修に発言してもらい、多くの話題はいわゆる天目が開いた同修が発言していました。発言者は自慢げに話し、参加者は興味深く聞いていました。交流すると夜中までになり、市外から車で同修を迎えに来ることもあれば、市内の同修が車で送って行くこともあります。最近、彼らは食品を持っていって修煉者の家で交流をし、話題は「同化と善解」です。大体の内容は修煉中、身体のどこかが悪い場合、その悪い所の生命と交流して善解するのです。悪いところ生命なので、善解して自分の小宇宙までに同化したら、すぐ良くなります。例を挙げると、ある修煉者の唇に水ぶくれができて、その水ぶくれも生命であるので、交流したらすぐに消えました。執着心が出てきたら、それと善解して、その執着心をすぐ取り除きます。

 全ての物は生命だと聞いているので、ある修煉者は夕食後に外に出て、花、草、木等を済度しに行き、忙しくて仕方がないようです。また修煉者の中には、誰が高次元にいるとか、あの人は次元が最も高く、その次は誰それだとか、あちこちで言いふらしたりする人もいました。

 二、圓満成就に執着し、自分が一番偉いとうぬぼれる

 明慧ネットで2022年5月20日、冬のダウンジャケットを作る知らせを見ると、すぐに知っている人に声をかけたり、注文したり、サイズ合わせの手伝いをする人もいました。また、中には修煉者同士で写真を撮ったり、5式の煉功動作も含め、Webサイトにアップすると言うと、写真を撮ってもいい修煉者がいれば、怖くて断る人もいます。更に修煉者の写真を蓮の花の上に載せ、円満を待っているかのようです。その中にある光景が見え、多くの人がある高さで歩いていて、皆が落ちてしまったのに、自分だけ歩けたと言う人もいました。また、ある人は「私は法であり、法は私です」と言いました。

 こうした判断できないことの多くは、法を学ばず、法を得てないからなのではないでしょうか。私たちの修煉では、大法が師父であり、人から学ぶのではなく法から学ぶべきです。物事は師父の法に従い、内に向けて探し実践して、師父の言葉を聞き、三つのことをしっかり行えば、師父について真の家に戻れるのです。     

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/11/11/451724.html)
 
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