【慶祝513】日本の医師:新たな命を与えてくださった師父に感謝
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文/日本の大法弟子   

 【明慧日本2022年12月20日】私は1995年4月、中国での医者の仕事をやめて、進学のために日本に留学することにしました。その数年後、私は医学博士号を取得しました。博士号取得後は日本の医師国家試験に向けて、毎日自宅で独学で勉強しました。

 一、大法を修煉していることに気づかされる

 数年前、私の喉の右側に魚の骨が刺さっているような感じがしました。その後、食道の上部から胃に向かって鋭い痛みがありました。さらに、右の太ももがよく痛んでいました。

 しかし、これらの痛みは、深刻な健康問題を抱えていることを示すものではありませんでした。私は喫煙や飲酒など、健康に害を及ぼすようなことは一切していません。

 そして、他の症状に加えて、しつこい咳が気になるようになりました。咳が止まらないので、そろそろ病院で診てもらおうと思ったのです。医師は私を咽頭アレルギー性炎症と診断し、1日2回服用する薬を処方しました。それから、2カ月間、私は薬を飲んでも、喉に違和感があり、他の症状も治まりませんでした。

 3回目の再診のとき、医師は私に「喉に腫瘍ができています、処方された薬は、腫瘍細胞の増殖を抑制するものでした」と言いました。

 まだ30歳を過ぎたばかりなのに、この診断を受け入れることができませんでした。喫煙も飲酒もしていないのに、どうしてこんなことになったのでしょうか?

 私は博士課程に在籍していた大学医学部の近くの公園まで、毎日30分以上歩きました。 毎日、公園でじっと座って、ただ考えています。「どうして人はこんなに簡単に病気になるのだろう? なぜ、病気による死の宣告を簡単に受けてしまうのか?」。 このことを中国の家族に言うと、とても心配すると思い、言わなかったので、1人で苦しみました。

 日本人である夫は、私は元気がないことに気づき、夫の両親に相談することを勧めました。彼の母親は、私が実践している法輪功を心の中に持つべきだと指摘しました。私は自分が法輪大法を修煉していることを思い出しました。李洪志師父は、常人になっていた私に思い出させてくださるよう按排してくださいました。

 日本に来る前、私は両親から法輪大法の功法(法輪功の第一式の功法から第四式まで)を習いました。母は、私に読んでほしいと思って『轉法輪』を渡してくれました。

 日本に来てからは、『轉法輪』を読んだり、煉功をしたりする時間が少ししか取れませんでした。勉強が忙しくて、修煉に身が入らなかったのです。また、本の中に出てくる功能、功力、返修、借功、憑き物などの部分は、私にとって意味のないことでした。なので、私は真剣に読んでなかったです。

 二、真の意味での修煉の道を歩むために

 家に帰った後、私は真剣に修煉に取り組むことにしました。痛みのため、その日の午前2時頃に起きて、『轉法輪』を読み始めました。本の中に「五通りの功法を一度に習得して、全部覚えなければなりません」[1]と書かれました。

 そして、私は煉功をしようとしましたが、足を組むことができませんでした。骨が折れるような感じがしました。枕元の明かりを消し、暗闇の中で、師父の法を繰り返し唱えました。

 師父は「忍び難きは忍びうる。行ない難きも行ないうる」[1]と説かれました。

 師父はまた「なぜかと言えば、足に痛みを感じる時、われわれは、黒い物質が彼の足を攻めているのが見えます。その黒い物質はすなわち業力なのです。苦痛に耐えていれば、業を消して徳に転化させることができます。足が痛くなることはすなわち業力が消去され始めているということです。業力が足の方に押し寄せれば押し寄せるほど、足の痛みがひどくなります。ですから、足が痛くなることにはそれなりの理由があるわけです」[1]と説かれました。

 私は痛いならもっと痛くなればいい、業力を取り除けば病気も治る、と思いました。5分、10分、15分......こうして1カ月ほど経つと、座禅して30分座れるようになりました。

 そして、大法に復帰した効果を実感しました。私の体は変化し始めました。曲がった背中が少しずつまっすぐになってきたのでした。毎晩眠れるようになり、食欲も出てきました。しかし、私はまだ『轉法輪』を読み、煉功をすれば難病は治るとは思えず、4カ月間薬を飲み続けました。しかし、私は薬を見るたびにストレスを感じるようになりました。

 師父は「古くからの学習者で、わたしにこんなことを言う人もいました。『先生、わたしは身体のあちこちの調子がおかしくて、よく病院へ行きましたが、注射をしてもらっても、薬を飲んでも、まったく効き目がありません。どういうことでしょうか』。よくも恥ずかしげもなくわたしに言えたものです! 効かないのは当然です。もともと病気ではないのです。どうして効くでしょうか? 検査してみればよい。どこも悪いところがなく、ただ調子が悪いだけです。ある学習者は病院で注射してもらったところ、なんと注射器の針が何本も曲がり、最後には薬も噴出してしまって、どうしても注射ができません。そこでやっと『そうか、わたしは煉功者だ。注射などしてはいけないのだ』と分かり、ようやく注射を中止することにしました。ですから、魔難に遭った時は、くれぐれもこの問題に気をつけてください」[1]と説かれました。

 しかし、薬を飲むことで腫瘍細胞の増殖を止めることができるというので、医師の話を聞いていました。薬の副作用なのか、師父のヒントなのかわかりませんでしたが、肝臓に激痛が走りました。私は理解を得て、1日2回の服用をやめ、1回だけにしました。1カ月後に医師から「何も変わらないですね」と言われたので、薬を飲むのを完全に辞めました。

 また1カ月後の再診の時も、医師は同じように「変わらないですね、薬を飲み続けてください」と言いました。 私は医師にこう伝えました。「私は1カ月間薬を減らし、1カ月間完全に薬を飲むのを止めました」。その医師は怒って、「あなたは薬を処方通りに飲んでいないなら、もう病院に来なくていいです、病状がひどくなったら、又来院して下さい!」と言ったのです。その日私は、全身がとてもリラックスした状態になりました。 私は大喜びでした。 これからは、薬を飲まなくても生きていける、飲まなくてもいいんだ、と。 今回は心を鬼にして、ただひたすら『轉法輪』を読み、きちんと修煉をしました。

 ある日、私はインターネットで法輪大法に関する記事を探すために、大学医学部の図書館に行きました。午後、帰宅した後、眠りについた私は夢を見ました。

 急な崖の真ん中に家があり、窓の開口部はあるがガラスはないのです。突然、私の体が窓の開口部に向かって浮き上がってきました。何度か崖の壁にぶつかっては、ベッドに戻ってくるということを繰り返しました。そして、足の裏から体全体に温かい電流が流れ、喉へと流れていました。目が覚めたとき、師父が私の体を浄化してくださったのだと思いました。

 その後、私は『轉法輪』を学び、煉功を行い、1年後には体力が回復していました。私は専門書を読み続け、試験に備えようという考えが再び湧いて来ました。受験勉強に気合を入れ直しました。当初は1日3時間、5時間、7時間、10時間と徐々に長くしていきました。この間、師父が私の体を調整してくださっていたことが分かりました。 腰や右足の股関節あたりが伸びるような感覚がよくあり、座禅していると、それまで痛かった部分が、誰かに手で引っ掻かれたような、しびれたような、かゆいような感覚になることがよくありました。毎日、舌が引っ張られるような感じで、口を閉じることができませんでした。 それが2カ月続いて、ようやく口が閉じられるようになりました。 私の業力が大きすぎて、いつも体を浄化にしてくださる師父に感謝しました。

 しばらくの間、毎日喉にカミソリが刺さっているような感じがして、筋肉や肉が硬直するほどの激痛でした。 私は『轉法輪』を手に取り、喉の激痛を忘れるために少しでも読もうとしましたが、できませんでした。 痛みに耐えられなくなると、座禅して、足の痛みを喉の激痛より酷く感じるようにしました。この痛みは2週間ほど続きました。喉の違和感や痛みは、我慢できるレベルまで収まっていました。

 時が経ち、体内のエネルギーの流れが上向きになってくると、法を学び、功を煉るうちに、口の中に大きく深い潰瘍が何度もできるようになりました。 一度出てきて、治るまで1カ月も続くのです。 その後も、8年、9年と治ったり治らなかったりの状態でした。

 私の夫は親切で正直ですが、とても面倒くさがり屋です。好きな本や雑誌をたくさん持って帰ってきますが、なかなか捨てられません。数年後、私はそのうちのいくつかを捨ててしまいました。

 夫はそれに対して激怒し、喧嘩になりました。喧嘩をするたびに、のどが焼けるような思いをしました。しかし、この喧嘩のおかげで、私は師父の教えをより深く理解することができ、心性も向上しました。

 師父は「しかし、往々にしてトラブルが発生する時、それが人の心の奥深いところを刺すような激しいものでないと効果が上がらず、向上につながりません」、「つい抑え切れず、喧嘩をしてしまった人がいます。そうすると、その日の煉功はまた無駄になってしまいます」、「何かトラブルに遭った時、それはよく人と人との間の心性の摩擦として現われますが、それに耐えることができれば、業力も消去され、心性も高まり、功も伸びます。それらは一つに溶け合うのです」[1]と説かれました。

 その後、一緒に医師国家試験を受けた何人かの中国人医師と知り合いました。電話のたびに、専門書を読んで理解したことを率先して相手に伝えました。そうすることで、相手も正直に自分の理解していることを話してくれたのです。お互いに励まし合いました。 数年間の独学を経て、ようやく入学試験を100点以上上回る成績で予備試験の第一部に合格することができました。 次に、休むことなく、また猛勉強の毎日に戻りました。 その3カ月後、見事に2次試験に合格しました。

 私は嬉しくて涙が出ました。病気の地獄から這い上がり、徐々に体力を回復し、精神も向上し、このような試験に合格できたのは、私が法輪大法を修煉し、大法の力を体験したからこそできたことです。師父が私を救い、天国へのハシゴを掛けてくださったからなのです。

 三、試験結果への執着を手放す

 準備試験の後、私は1年間の臨床実習をしなければならず、それが終わって初めて医師国家試験を受けることができました。

 試験の準備中に『轉法輪』を読んでも集中できず、不安になりました。しかし、しばらくすると落ち着いてきて、「私はなぜこんなにイライラしているのだろう? 私は何を求めているのだろう? それは執着ではないか?」と考え、試験のことは意識しないようにしました。

 臨床実習が午前中だったので、午後に大法の本を読むことができました。これで心が落ち着きました。

 日本の医師国家試験は3日間かけて行われます。試験に向かうバスの中で、「自分の知っていることだけを答えればいいのだ、結果を気にする必要はない」と思っていました。試験が終わった後、私はとてもリラックスしていたので、師父は私の心の中の悪い考えを取り除いてくださったのだと思いました。

 試験の結果が発表されたとき、私は非常に良い成績で合格していることに気づきました。私は本当に信じられないです、こんなに簡単に医師国家試験に合格できるとは思いませんでした。 『轉法輪』を学んだおかげで、心を落ち着かせ、試験の結果を追い求めることにも執着することもありませんでした。

 四、日常生活で修煉する

 私は日本で6年間、医師をしています。法輪大法を実践しているので、思いやりをもって患者さんに接しています。常に患者さんの視点や考え方を理解しようと努力しています。そうすれば、患者さんの協力も得やすくなります。

 私の患者の1人は中国出身でした。診断後、私が帰るまで待ってもらって話をしました。カフェに立ち寄り、私は自分の病気のこと、そして法輪大法を修煉した後、健康になって、気性が改善され、医師免許を取得したことを話しました。

 その患者さんは「あなたが言った法輪大法の話をあえて信じてみます。中国全土に法輪大法のチラシがたくさんありますが、私は読んだことはありません」と話してくれました。私は彼に明慧ネットを教え、『轉法輪』を読んでもらいました。

 家庭の中で、私は、自分が医者になったから偉いという態度はとりません。私の周りでは、「ご主人もお医者さんですか?」と聞かれることが多いです。 私はいつも、「うちの旦那は医者ではありません、公務員です、夫はとても親切です、私が医師免許を取得できたのは彼の支えがあったからです」と答えました。夫のいくつかの生活習慣についても理解し、指摘するつもりはありません。

 また、夫に法輪大法の修煉と神韻公演の鑑賞を求めましたが、夫は拒否しました。私が法を学び、煉功を続け、また時間をつくって彼の両親にも親しく接しているうちに、彼は変わってきました。

 夫は「あなたがこんなに熱心に修煉しているのを見て、私は本当に法輪大法を信じるよ 」と言ってくれました。そして、今年の神韻公演を一緒に見に行くと言ってくれました。

 私は別の医師を神韻公演に招待しました。彼女は、警官がが法輪功学習者を連行した後、ドアに「X」印をつけた理由を知りたいと言いました。

 私はこう説明しました。「中国共産党は、国民が法輪大法と真・善・忍を信じることを認めていないのです。当局は、多くの法輪功学習者を連行し、彼らの家を家宅捜索し、私物を押収しました。そして、扉を封印し、『X』の封印の紙を貼ったのです」

 私は親戚や友人の医師などに、大法の素晴らしさと、中国共産党が大法を迫害している事実を伝えています。彼らの中には私を信じようとしない人もいます。

 私の修煉が足りないから、彼らの心を動かすだけの強大な徳がないのかもしれません。もっと精進しなければなりません。

 私は50代で、十数年間法輪大法を修煉してきました。法輪大法のおかげで、私は今日まで歩んで来ることができました。私に新たな命を与えてくださった師父に感謝します! 師父、ありがとうございます!

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2018/5/12/365023.html)
 
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