文/中国の大法弟子・小傑
【明慧日本2022年12月23日】最近、私の地区で病業の仮相が現れる同修が多くなりました。同修たちは、今までと同じように魔難の中にいる同修と一緒に法を学び、正念を発して内に向けて探しましたが、明らかな効果はありませんでした。ついに、周囲の同修はネガティブな考えや、無力感が生じ、ひいては正念がないと責めたりする同修もおり、そのため、その同修もだんだんと正念がなくなり、病院に行って緩和させたいと思うようになりました。
この状況を見て私は、「師父は何でもでき、大法はとても大きく宇宙を作る法であり、なぜ私たちはこれを法の中で認識することができないのだろうか? なぜ突破できないのだろうか?」と師父にご教示をお願いしました。そこで私は、「この問題に対する私たちの理解のどこが間違っているのか、何の漏れがあるのか、どのように突破すればいいのか」といった問題を持って学法し始めました。すると、夜12時の正念を発している時、突然、カメラで写真を撮るかのように、いくつかの画面が現れました。カチッという音がして、その瞬間その画面が固まりました。画面の中でのAさんは、両手で印を結び、結跏趺坐をしている姿でした。
普段、私は天目が閉じている状態で修煉しているため、異なる空間のことは何も見えなかったのですが、今回は心の感知を伴って非常に鮮明な画面が現れ、「師父が悟らせて下さったのだ」と明らかに感じることができました。私は、Aさんが心を静めて内に向けて探しさえすれば、速やかにこの関を乗り越えられると分かりました。しかし残念なのは、邪魔な要素が多くて、同修Aさんはきちんと内に向けて自分の漏れを探すことができず、探してもうわべだけの利己主義や情だとしか悟れず、これが同修Aさんにとっては長期的な漏れであるのかもしれません。その時私は「今回の魔難を通して、Aさんは修正し向上することができる」と思いました。
しかし、Aさんと交流したCさんが帰ってきて、「あなたに見えたことだから、あなたに悟らせるものです。あなたこそが内に向けて探すべきです」と言いました。それを聞いて「そうかもしれない」と思いました。同修Bさんがテーブルの前に座って法を学んでいる画面もあり、意念の中で「心を込めて法を勉強しなさい」ということが分かりました。私はその瞬間、「同修Bさんが心を込めて学法をすれば、法が本当に頭に入れば、この関を突破することができる」と理解しました。これはおそらく、同修Bさんが長年抱えていた大きな欠点であり、この法が正される最後に補う必要があるのかもしれません。その後、同修Bさんに見たことを話しましたが、残念ながら邪魔な要素が多すぎて、大きな改善が見られず、Bさんは依然として形だけの学法のままです。
師父は、「師は入口まで導くが、修行は各自にあり」、「悟る者が得るのです」 [1]と説かれています。
私はこのことを通して「自分は向上したい」という願望がなければならないことを悟りました。
私は見たものを自分に当てはめると、心を静めて内に向けて探しました。実際に探してみて本当に驚きました。頭の中にあれこれと湧いてきて、心の中は雑草がいっぱい生えたようで、抑えられませんでした。『轉法輪』を開いて、「清浄心」の一節を勉強したのですが、全く頭の中に入りませんでした。その後、足を組んで印を結び、頭の中で「清浄心」という3文字を思い浮かべながら、雑念を排除し心を清めました。しばらく心を静めると、身体の周りが静かで穏やかな暖かい感覚が広がり、とても心地よいものになりました。改めて法を学ぶと、すべての文字が法理を示しており、20年の修煉では経験したことのない素晴らしさを体験をしました。法の力は無限であり、泉のように私を清め、エネルギーが注がれました。私はエネルギーに包まれて、自分の気持ちを表現する言葉が見つからないほど、素晴らしいものでした。ただ、自分が悟ったのはあまりにも遅かったために、長年の貴重な時間を無駄にしてしまったことに対して、残念に思いました。
私と同じ問題を抱える同修に注意を喚起するために、この文章を書きました。心を静めて学法し、心を込めて学法をしましょう。あなたは思いがけない収穫を得られると思います。
この過程で小さなエピソードもありました。私は新しくミニスピーカーを買いましたが、ある日突然、充電できなくなり、ジュウジュウと音がするだけでした。同修である夫は「まだ買ったばかりだから、交換しに行ったら?」と言ってくれました。私は「ミニスピーカーが充電できないということは、私に悟らせるもので、自分が充電できていないこと、即ち修煉者として学法ができていないことを示してくれているのだ」と悟りました。その夜、心を静めて学法を終えました。翌朝ミニスピーカーが奇跡的に直ってジュウジュウ言わなくなっていたのです。夫に「このミニスピーカーは、とてもスピリチュアルだね」と言った時、夫は「もう一度充電してみて、本当にできる?」と信じられないようでしたが、その結果、まるで壊れていなかったかのように、まったく問題ないことが判明したのです。修煉は本当に不思議なことです。
注:
[1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』