「大道は至簡至易である」から悟った
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 【明慧日本2022年12月29日】大法修煉は難しいものではなく、至簡至易です。なぜそう言えるのでしょうか?

 毎日明慧ネットの記事や各地のニュースを読んでいると、先月は何人判決が下されたとか、毎日何百人が厳正声明を発表したとか、ゼロ運動でサインを求められたとか、夫婦で連行されたとか、真相伝えをして反って通報され、真相カレンダーを配布して通報された等々延々と出て来ます。修煉者として、佛法は無辺で、大法は無辺であることを知っており、なぜこれらの問題を解決できないでしょうか。まだある人は病業が出て、なかなか治らず、同修発正念をしに来たり交流をしたり、最後は死んでしまう人もいるようです。

 その原因は実はとても簡単です、それは、何なのでしょうか? では、皆さんで答えましょう。答えは置いておいて、また後で。

 実は多くの人が修煉していますが『轉法輪』に従って修めていないのです。それに答えた同修は、できる人ですごいです。

 師父は『轉法輪』の第2ページに説かれています「人間の修煉の過程は何でしょうか」もうそろそろ、皆さんにご理解頂けたと思います。それは執着心を取り除くことです。

 執着心と業力は連動しており、心性にもつながっています。執着心を取り除かないと業力も減らず、心性も向上できず、当然功は伸びることはありません。功が少ないと力がなく、真相伝えやチラシ配りの時、悪い人に遭遇すると抵抗できないのです。執着心をいつも取り除かず、あるいは綺麗に取り除かない人には、旧勢力はあなたの執着心を取り除くために助けに来るのです。どうやって助けるのでしょうか? そこで連行されたり、病業が来たり等々いろいろなことが起こります。

 執着心を取り除くことは難しいでしょうか。考えて自問してみてください。また、私たちの使命はどうなるのでしょうか。執着心を取り除かず使命を果たすことができるのでしょうか。

 毎日の三退者の数をみて、師父は満足しておられると思いますか?

 師父は経文の中で「常人の心を放下できるかどうか、これは真に常人を超えることに向かっていくための至難の関なのです。真に修める弟子であれば誰でも超えなければならないもので、これは修煉者と常人の境界線です」 [1]と説かれました。

 今さら言うまでもなく、誰でも理解しているはずです、それをできるかどうかの問題です。

 私は大法弟子の一人であり、以上は個人の悟りです。常に法を師とします。

 それでは、試してみてください。真に全ての執着心を取り除くと、どうなるのでしょうか? 迫害はまだ来るのでしょうか? 真相を伝える際、相手は嫌がるでしょうか。等々です。

 本当に「大道は至簡至易である」 [2] 執着心を取り除き、全ての執着心を取り除き、この時に「師父について家に帰ります」と言うと現実になるのです。あなたは確信できるはずです。

 同修よ、もっと多くの人を救い、歴史の最後の瞬間を無駄にしないで下さい。

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『精進要旨』「真修」
 [2] 李洪志師父の著作:『大圓満法』「一、功法の特徴 」

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2022/12/20/453373.html)
 
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