文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年2月3日】最近、同修の欠点(執着)を見かけても、相手の機嫌を損ねることを恐れて言えない状況が多々あります。
このことで同修と交流したことがあります。「自分にも問題があると思うと、他人の欠点を言うことはできない」という人もいれば、「相手の欠点ばかり見ないで、長所をもっと見たほうが良い。誰にだって漏れはある」や「相手と隔たりが生じるので、指摘するよりもっと励ましたほうが良い」、「一言二言で言えることではない。相手が悟ってないと言っても仕方がない」など、様々な意見が出ました。
「言わない」理由は様々ですが、あまりにも多く、同修たちは自然と口にしなくなったのです。
個人的に思うに、同修の執着を見かけたのに言わないのは私です。同修のためにも、大法弟子の責任としても、堂々と指摘したほうが良いのです。真に修煉している同修にとって、むしろ指摘したほうが早く精進できるからありがたいはずです。たとえ一時的に人心が重く、受け入れてくれなくても、後には感謝してくれるでしょう。向上するには、執着と向き合わなければなりません。
例えば、地元にある夫婦弟子がいます。どちらも99年以前に法を得た古い弟子です。奥さんは短気で、よく旦那さんの欠点を言ったり、文句を言ったりしているため、家庭内のトラブルが絶えません。他の同修たちも何度も内に向けて探したり、性格を直したりするよう勧めましたが、彼女はかえって旦那さんの欠点や執着を多くの同修に言いふらしました。自分を修めないばかりかいつも文句ばかり言っているため、体の状態は悪く、皮膚病を患って入院することもありました。
彼女の旦那さんも顕示心理が強く、まさに双方に問題があります。
しかし、おかしいことに誰も2人の問題を教えてあげたり、指摘したりしません。本人の前では「寛大な心を抱くように」と勧めるものの、陰では「よく修めていない」や「次元が低すぎる」などと悪口を言っています。
かつて「なぜ直接本人に言わないのか?」と同修に尋ねたことがあります。その同修は「あのようでは、人の言うことを聞いてくれそうにないので、自分を修めましょう」と答えました。私が思うに、同修を助けることは、ともに自分も向上していきます。時間は待ってくれません。
このような事例は、他にもたくさんあります。例えば、ある同修が携帯電話やスマートフォンを全体学法に持ち込んでも、見かけた同修は指摘せず、結局事件が起こり、全体学法ができなくなりました。他にも、全体学法する前に何人かの同修はネットショッピングに夢中で学法するどころではなく、他の同修たちも指摘したり、交流したりしません。このような状態は警戒すべきであり、反省すべきだと思います。