文/中国の大法弟子
【明慧日本2023年5月7日】私は幸運にも1998年の旧暦の正月の8日に大法の修煉を始めました。最近、明慧のホームページを見て、法輪大法の修煉者たちが書いた記事を読み、感動しています。どんな状況においても、修煉者たちは師父と大法を信じています。このような修煉者たちに比べて、私は20数年の修煉で経験した素晴らしい出来事を分かち合おうと思わなかったことにとても恥ずかしい思いを持っております。ですから今からいくつかの体験を皆さんに紹介したいと思います。
修煉の道を歩む
大法を修煉する前、私は狐などに取り付かれた人のことを信じていました。ですから家族の誰かが病気になったり、何かあると必ずこのような人に助けを求めに行きました。このような汚れたものにいつも頼っているので、時々、私は理由もなく泣いたり笑ったりすることがありました。
毎晩、家族が仕事から帰ってくると、私はあくびをし始め25回も続ずいて、とても不快でした。ある時、彼らは私にある事をする様に言ったのでその通りにし、正月の6日に義姉の家に供え物を持っていき、線香を供えました。その後、私が良くない類いのものに線香を供えているところを長男の甥の妻が見て、とても不快に感じたと言いました。私は娘の姑にこのことを話したところ、姑は「法輪大法を修煉しなければなりません。今のままでは幸福にはなれません」と言いました。それから私は大法の修煉を始めました。
煉功を学んだ最初の日、私の動きは正確ではありませんでした。他の修煉者が3回行ったのに対し、私は1回しか煉功の動作を行うことができませんでした。義理の両親が『轉法輪』を私にくれました。家に帰って『轉法輪』を読みましたが、この本の内容はまさに私が求めていたものだと感じました。それは本当に素晴らしく、その夜、あくびが止まりました。
驚くべき出来事
春になると、修煉者達は外に出て煉功をしました。私もそこに行きました。何人かの修煉者が煉功を教えてくれて、私はそれらをもう一度学びました。それ以来、法輪大法は私の人生の一部分となりました。
第二功法の法輪を抱える動作をしていた時、古の衣装を着た天女が空を飛んでいるのが見えました。遠くでは赤、水色、そして目に入ると黄色になりました。私はしばらく見ていました。それからまばたきすると、妖精は消えました。別の夜、私が座禅をしていたとき、空に通じる階段のような道があり、その道の両側に水と花がありました。その光景はとても美しく感じました。私は通りの一番下に立っていました。その時、あそこに行けたらいいなと思っていました。
別の時、座禅をしていると、橋が見えました。橋の上では、裏地が青の黒い綿のジャケットと黒い木綿の靴を履いた多くの人々が、橋の南側から北側に向かって歩いていました。これは奈何橋(なかきょう:あの世への入り口である三途の川にかかっている橋)かなと思いました。座禅を終えた後、これは師父がヒントを与えてくださったに違いないと思いました。もし私が修煉をしなければ、あの橋の上の人々と同じように、地獄に落ちていくでしょう。
私は通常、夜に座禅をしました。煉功音楽が家族の睡眠を妨げる可能性があると思ったので、私は煉功時に音楽をかけませんでした。代わりに、時間を知らせる電気時計を使いました。私はその時計を10年以上使っています。ある夜、しばらく煉功した後、時計が点灯しませんでした。壊れているのではないかと思ったので、買い換えようと思いました。次の日、新しい時計を買いに行ったら、偶然にも他の修煉者に会いました。そのことを彼女に話すと、彼女は「すべてのものには魂が宿っており、それと交信することができる 」と言いました。 私は「どうして思いつかなかったんだろう。新しいのは買いません。家に帰って時計に話してみます」。私は家に帰ると、時計に向かってこう言いました。「私の古い友人よ、あなたは何年も私と一緒にいて、とても疲れているのはわかりますが、あなたは我慢しなければなりません。私が円満成就したとき、あなたは間違いなく良い場所に行くでしょう。途中であきらめないで」と話終えると、時計は再び正常に機能しました。
業を滅する
夫も息子も嫁も仕事をしています。私には6歳と、17カ月の孫がいます。私は彼らの世話をし、彼らのために食事を作りました。どんなに忙しく疲れていても、法の勉強と煉功を怠りませんでした。師父は、私が日中に業を滅する時間がないのを見て、夜に業を滅っするように按配してくださいました。
たとえば、夜に熱が出ても朝には熱が下がっていました。ひどい風邪をひいて高い熱が出た時の事を思い出します。私は二日間、食事をしませんでした。3日目、夫がレーズンを買ってきてくれたので、少し食べました。夜になると嘔吐と下痢が始まりました。真夜中に夫が「どうして熱が下がらないの?」と言ったので、私は「もう大丈夫です」と言いました。彼は「驚いた! 薬を飲まなかったの?」、私は「もちろん、師父が私を見守ってくださったのです」と言いました。あれから25年間、風邪の症状は一度も出ていません。
ある日、朝市に野菜を買いに行きました。私は三輪車とぶつかって倒れました。私の足が車に轢かれているのに、女性ドライバーは運転を続けました。私は「師父、助けてください!」と心の中で叫びました。すると誰かが「早く止まりなさい、人を轢いていますよ」と言っているのが聞こえました。それで彼女は三輪車を止めました。私が起き上がった時、彼女は「怪我はないですか、病院に行きましょう」と言いました。私は「大丈夫です。行ってください」と言いました。彼女は魚屋に行って、私の為に大きな魚を買って来ました。私は「その魚を店に返して下さい。私は大法修煉者です。もし貴方が今日、他の誰かを轢いていたら、病院での検査だけで何百元も払わなければならなかったでしょう」、後で私が彼女に中国共産党を脱党することについて話すと、彼女はとても喜んで「ありがとう! お姉さん」と言いました。「私に感謝する必要はありません。私の師父に感謝すべきです」と言いました。
春節のある日、私は台所を掃除していました。高いところに手が届かなかったので、小さな踏み台を下にして、2つの踏み台を重ねました。降りようとした時、踏み台が2つあることを忘れて、ひっくり返って床に倒れました。その時、頭はグラグラでしていましたが、気持ちはハッキリしていました。「大丈夫!」と心の中で思い、すぐに起き上がりました。私はこれを3回も経験しましたが、毎回問題ありませんでした。普通の人があんな高さから床に落ちたら骨が折れるどころか、大変な事になっていたでしょう。慈悲なる師父はいつも私を見守って下さっているのです。
師父の御慈悲に感謝
この特別な最後の時期に、私は大法修煉者として幸運であり、世界で最も幸せな人間だと実感しています。師父の御慈悲に感謝したします。
(English: https://en.minghui.org/html/articles/2023/4/30/208294.html)