【513祝賀】台湾研究員:家族が一緒に修煉を始めた
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文/台湾の大法弟子

 【明慧日本2023年9月8日】私は台湾の研究員(注:台湾の学術機関や研究機関に務め、多くは高学歴を持つ)で、子供の頃から両親や先生の教えの下、自分に対する要求も比較的高く、学業も比較的順調でした。結婚後は男女一人ずつ二人の子供を授かり、夫の家族とも仲が良く、家庭は仲睦まじいほうだと思います。唯一家庭内の雰囲気を壊すことがあるとしたら、それは私が子供の学業に非常に厳しいことです。子供たちはすでに他人から見れば非常に優秀であるにもかかわらず、私の要求に達していなければ厳しく叱っていました。私が法輪大法を修煉して初めて、子供たちを本当に理解し、支えることができるようになり、子供たちも私の変化を感じ取って修煉を始め、家庭はより円満で幸せになりました。

 大法に出会って、メンタルが強くなった

 親として、皆わが子が勉学に励み、他人より秀でていて、大人になって成功し、幸せな人生を送ることを願っています。特に、辛い人生を経験した者、あるいは成功の甘美さを味わった者にとっては特にその願いは強いものです。

 私は少し苦を舐めましたが、甘さも味わった者です。多くの親と一緒に、成績が良いということは、将来良い学歴が得られ、良い仕事に就くことができて、幸せな人生が保証できると考えていました。そのため、私は子供たちが幼稚園に入ったときから、ピアノ、ダンス、美術、囲碁、暗算、動物、植物、天文学など、さまざまな勉強をさせるよう積極的に段取りしました。息子の同級生は、息子のことを百科全書のようだと言ったのを聞いて、内心嬉しく思いました。

 仕事が終わると、私は子どもの連絡帳と学力試験にほとんどのエネルギーを費やしました。子どもが試験で好成績を収めれば喜び、私の努力は報われたと思います。試験の結果が満足いかない時は、一問ずつ振り返り、私は簡単だと思うので、子どもがすぐに理解できない問題があれば、「どうしてこんなにバカなの?」とぼやくこともしばしばありました。自分の目には情けない子どもの姿にしか見えず、目くじらを立てる自分の姿が全く見えませんでした。息子は耳をふさぎながら「声が鋭すぎて耐えきれない」と言い、娘も目に涙を浮かべているのを見て、私はやっと良心に苛まれ、態度や口調を変えました。

 子どもの学校生活を通してこのドラマが繰り返されました。 2015年、娘が中学校2年生から3年生に進学する時、急に成績が後退し、昇格試験に向けて相当なプレッシャーを感じていました。 同年5月、私は法輪大法の修煉を始め、仏法の教えの智慧と真理を少しずつ認識するようになり、人の福徳はその人自身の業力の大きさと関係しており、ただ勉強して追い求めるだけでは得られないと信じるようになりました。人生の目的は業力をなくして返本帰真し、純粋な善と慈悲の心になってこそ良い将来が得られるとわかりました。 そのため、私は日常生活の中で、大法の「真・善・忍」の要求に従い、生命を大切にし、慈悲深く寛容で、名声や富を求めず、無私であらゆる面で利他的であることを自らに求めるようになりました。

 法を学んだ当初は、根強い観念をすぐに手放すことがなかなかできませんでした。娘の学業成績が後退したのを見て、口では「大丈夫、次は頑張ればよい」と言い聞かせましたが、心の中ではやはり気にせずにはいられず、「今回の試験はどうだったのか、少しは上達したのか」といつも聞いてしまいました。このようなプレッシャーの中で、娘の勉強の成績は不安定なままでした。

 法を学び、修煉を続けるうちに、人生に対する考えもどんどん変わってきました。ある日、私は娘に言いました。「この世の名声や財産は重要ではなく、あなたの心がもっとも重要だ。あなたがベストを尽くしさえすれば、結果は自然に任せればよい。どんな結果であろうと、ママは無条件で最大のサポートをするよ」と。そして、勉強や運動、休むことのバランスをとるようにと念を押しました。それからは、時折「今日はどうだった? 何かママの助けが必要なことはある?」と聞くだけでした。執着心を捨ててから、娘の成績は徐々に安定し、進学試験の成績で、地元で最も良い高校に入学することができました。

 私は大法の修煉を始めましたが、私と同じ修煉の道を歩ませようと子供には強要しませんでした。しかし、私の物事への態度や教育方式が変わったため、子供たちも大法の素晴らしさを感じました。息子は大学3年生の時に修煉を始め、娘は高校3年生になり、進学のプレッシャーが増してきて、 勉強ですら手が回らないのに、大法を修煉する時間があるわけがない、と思い自然の成り行きに任せることにしました。嬉しいことに、高3の一番忙しい時期、特に試験間近の時に、娘が自ら『轉法輪』を手に取り、五式の功法を身につけ、自ら大法の修煉を始めたのです。

 修煉後、大法の法理の指導の下で、娘は受験時も落ち着いて臨み、無事に名門大学に入学できました。 娘によると、大法を学んだことで、今まで挑戦することを恐れていたことにも挑戦できるようになったそうで、私たちは内なる忍耐力が増してきました。大法は智慧と知性を開くことができるのです。

 心からの九文字を唱え、義父は難を免れた

 義父は幼い頃から苦しみに耐え、忍耐力が非常に強い人です。何年か前のある週末の午後、80歳を過ぎた義父は梯子を壁に立てかけ、荷物を運ぼうと登ったところ、不意に梯子が倒れ、父はアルミ製の梯子に頭をぶっつけ、全身に大けがをしました。ベッドに横たわったまましばらく動けなくなりました。週末は主治医が休診のことが多いので見てもらうことができず、家族も手伝い、まずは薬で打撲や怪我の手当てをし、しばらく家で横になって翌週の月曜日を待ちました。

 夜8時か9時頃、夫が帰ってきて、義父が眉間から内出血していて、しかもだんだん広がっている、と言うので、みんなとても心配しました。私は内心、義父を救えるのは大法しかないと思いました。義父母の仏教信仰を尊重するため、まず義母に電話し、法輪功のことを教えたいと伝えました。義姉も義母も早くおいでと言ってくれました。私は貴重な『轉法輪』の本を持って義父母の実家に向かいながら、義父が受け入れてくれるかどうか心の中で考えていました。義母が「義父は前世でお寺で修行していたと占い師に言われた」と言ったのを思い出し、それが本当なら大法に救われる運命にあるに違いないと思いました。

 義父母の実家に着くと、義母は菩薩像の前で忙しくしていました。以前の穏やかさをなくし不安でどうしようもないといった様子でした。私が来たのを見て、義母も義姉も快く私を迎え入れてくれました。急いで義父の部屋に挨拶に行くと、義父の眉間にあざがありました。私がまず、私を信頼しているかと尋ねると、義父は「あなたはいい人だから信頼している」と言ってくれました。義父の誕生日が近いので、私は義父に誕生日プレゼントを贈ることを告げました。食べ物や洋服ではなく、お金では買えない、とても貴重なプレゼントです。そして、私は義父に「法輪大法は素晴らしい、真・善・忍は素晴らしい」という心からの九文字を唱えるように教えました。義父は台湾方言の訛りがあるので、間違えることを心配し、私が「正しく読めている」と言うまで何度も念入りに確認し、心の中で黙読しました。それから、轉法輪をしばらく読んだ後、私は彼を休ませ、時間があるときによく唱えるように伝えました。その頃、薬学を勉強していた義理の弟も実家に到着し、「これが頭蓋内出血だったら非常に危ない」と言いましたが、義父は病院へ行きたがらないので、とりあえず家で休養することにしました。

 翌日、義父に会いに行くと、だいぶ良くなったとのことで、眉間のあざの色が薄くなってきているのを見て、師父の慈悲に心から感謝しました! 義父は私に心からの九文字の唱え方を確認し、唱え続けました。

 月曜日、義父が整形外科を受診した後、医師は義父が高齢なのでギブスをはめて様子を見ましょうと言いました。一週間後、帰宅した義父は私に、「医者はすごいと言っていたよ。ずれたところが自動的に元に戻ったんだ!」と言いました。80歳を過ぎた義父はしばらくしてギブスも必要なくなりました。

 これは義父がこれまで負った怪我の中で最も大きなもので、整形外科以外は病院で治療することなく治ったのです。この出来事によって、私は大法の奇跡を改めて目の当たりにすることができました。まさに「佛光が遍く照らせば、礼儀は圓明となる」[1]

 私はかつて、数人の高齢の教授と食事をした時、彼らがため息交じりにこう言いました。「どんなに名声があり、裕福であったとしても、病床に伏せば代わりになれる人は誰もおらず、すべて自分で我慢しなければなりません」。その時、私は、このような貴重な宇宙大法を得ることができ、慈悲深い師父に常に守っていただき、災難や厄災から遠ざかり、心身ともに健康でいられることは、なんと幸せなことだろうと感無量でした。

 私の幸運を、縁のある人たちにも伝えたいと願って、この文章を書きました。次の幸運はあなたに降りそそぐでしょうか?

 注:
 [1] 李洪志師父の著作:『轉法輪』

 
(中国語:https://www.minghui.org/mh/articles/2021/5/28/426275.html)
 
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